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半藤一利 永井荷風の昭和 [日記(2009)]


永井荷風の昭和 (文春文庫)

永井荷風の昭和 (文春文庫)

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 文庫


 永井荷風は、ませた中学生の頃『腕くらべ』を読んでさっぱり分からず(あたりまえ)、その反骨ぶりを聞くにつけ、何時か『断腸亭日乗』を読もうと考えてきました。本書を見つけ、半藤一利さんだから『漱石先生ぞな、もし』の乗りで読めれば荷風も身近に感じるだろう、これが動機と言えば動機。まぁ100円だったのが本当の理由ですが。
 歴史探偵・半藤一利が自著に『永井荷風の昭和』と表題を付ければ、すなわち『断腸亭日乗』に他なりません。

◆女は慎むべし
 永井荷風は、欧米留学?から帰って『あめりか物語』『ふらんす物語』を書いて文壇に登場し、『墨東綺譚』や『つゆのあとさき』等で有名です。寄席や花柳界、私娼窟玉ノ井を愛し、晩年には浅草ストリップに入れあげ、

《女好きなれど処女を犯したることなく、又道ならぬ恋をなしたる事無し。五十年の生涯を顧みて夢見のわるい事一つも為したることなし》

と宣い生涯独身を通したディレッタントです。単に好色なだけ?『四畳半襖の下張』も荷風の作と言われていますね。

 昭和34年、こうもり傘と愛用の帽子だけを遺して亡くなったとおもっていたのですが、当時の金で2000万円の定期預金があったとは知りませんでした。んなことはどうでもいいのですが、荷風が42年にわたって書き続けてきた日記が、『断腸亭日乗』です。公開を前提として書いていたらしいのですが、時の政治、世論から、あまたの女性との交情など、この好色偏屈爺さんの面目躍如といった日記の様です。この日記を半藤一利が眼光紙背に徹る如く読み解くわけですから、面白くない筈はありません。

 例えば、『折からの豪雨』で女性と銀座の料亭に一泊します。部屋は別だったようですが(著者も信じていない様です)、

《余一睡して後厠に往かむとて廊下に出で、誤って百合子の臥したる室の襖を開くに、百合子は褥中に在りて新聞を読み居たり。家人は眠りの最中にて楼内寂として音無し。この後の事はここに記しがたし。》

(管理者注:私は少し眠った後、トイレに行こうとして廊下に出ましたが、間違って百合子の寝ている部屋のフスマを開くと、百合子は布団の中で新聞を読んでいました。従業員は眠っているのでしょう、料亭の中は物音ひとつしません。この後何があったかは、聞くだけヤボよ。)

『なにが、"誤って" 襖を開いたの、"記しがたし"だのと、空々しいことか』(半藤一利)
まったくその通りでしょう。

◆狂気と正気
 昭和13年の 「羽子板市」 に行った日の記述です。新聞に、大蔵次官(今なら財務省事務次官)が三越店内を視察して羽子板を買う客が多いのを見て、羽子板にも戦時税を掛ければどうかという談話が載っていた事を引き合いに出し、

《・・・余は覚えず微笑を浮かべたり。現代の官吏軍人等の民心を察せず、世の中を知らざる事も亦甚だしきなり。・・・桜花は戦時と雖春来れば花咲くものなるを知らずや。》(P183)

『桜花は戦時と雖も 云々』と政府高官を鼻先であしらうあたりはいいですね。

 『日乗』の真価、荷風の凄さはその透徹した(文明)批評だと言われています。軍部の独走に乗せられ戦勝に浮かれた世相を一刀のもとに切ってくれます。60年以上経った現在から見ると、当たり前の批評かも知れませんが、日記とはいえ当時これだけ書けたということは、感心します。

《余は斯くの如き傲慢無礼なるなる民族が武力を以て隣国に冦することを痛歎して惜かざるなり。米国よ、速に起こってこの凶暴なる民族に改悛の機会を与えしめよ。》(昭和16年6月20日、P253)

この後の日本の状況は
07月:日本軍、フランス領インドシナ南部進駐
08月:米、石油の対日輸出全面禁止を発表
10月:東條英機が内閣総理大臣
11月:ハル・ノート
12月8日:パールハーバー

この先見は恐れ入ります。

 『12月8日のこと』 と題して、筆者(半藤一利)はこの対米宣戦布告の日について要領よくまとめてくれます。

 日本国民は、こと外交問題で自尊心を傷つけられる事態に遭遇すると、(ナショナリズムの無い国は無いでしょうが)異常に感情的になる民族のようです。『尊皇攘夷』も結局はこれで、彼我の国力の差から到底『攘夷』が無理であることを悟った勢力が、開国→富国強兵に走ったのが『明治維新』だと云うのです。ポーツマス条約、ワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約等で被害妄想に陥った軍部は、(恐慌と関東大震災による国内の疲弊もあり)『昭和維新』を掲げて二・二六事件を起こし、『尊王攘夷』は『鬼畜米英』へとなって大東亜戦争に突入していった、というものです。まぁ見解はいろいろあるでしょうが、この時代がファナティックであったことは事実です。軍部だけで戦争が出来るはずも無く、この国民のファナティズムが軍部の独走を許したと云えます。
 小林秀雄、横光利一など当時の一流文化人が開戦を支持するなか、荷風爺さんひとりはコレです。昭和16年に『米国よ。速に起こってこの凶暴なる民族に改悛の機会を与えしめよ』とはちょっと書けません。

◆荷風と写真機
 荷風さんは文章は勿論のことですが、写真もそれなりの腕だったんではないかと窺わせる記述があります。

《・・・空腹に堪えざれば直ちに銀座に赴きて夕飯を喫す。帰宅の途上氷を購い家に入るや直ちに写真現像をなす》(昭和12年9月3日、本書P193)

荷風さんは、写真の現像ができたんですね。当然カメラを持っているでしょう。一流好みですからライカだんたんでは、とつい想像してしまいます。こんな記述もあります、

《憲兵に見咎められ写真機を没収せられぬよう用心したまうべし、という。余深くその忠告を謝し、急ぎて山門を出ず。》(9月13日、本書P197)

散歩の途中、荷風さんはカメラを持っていたんですね。『日乗』は残っていますが、荷風さんの撮った写真はどうなっているんでしょう。残っていれば、『写真版・断腸亭日乗』です、是非見てみたいものです。

 本書の魅力のひとつに、当然のことながら文章があります。文語体『日乗』の名文に、筆者の軽妙洒脱な語り口。この対比もまた本書を読む悦楽です。

興味のある人にとっては →★★★★★

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コメント 2

m-kurata

面白いですね~! 青春時代にノホホンと暮らしてきたので、詳しく読みませんでした。買って読んでみます。ありがとうございます!
by m-kurata (2009-03-01 06:53) 

べっちゃん

『断腸亭日乗』は定年後の楽しみに取っておきます。
by べっちゃん (2009-03-01 22:21) 

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