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川喜多二郎氏 を悼む [日記(2009)]

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 今朝の朝刊に文化人類学者の川喜多二郎が亡くなったことが報じられていました。数日前の土居健郎に比べると、小さな記事です。同氏の活躍は1960~70年代でしから、今では殆ど忘れられた人だったのでしょう。

 新聞社には有名人の訃報が生前から用意されているらしく、川喜多二郎のそれは、ごく簡単なもので、今西錦司らとともに京大山岳会出身であること、kj法の発案者であること、『鳥葬の国』などの著作があること、などです。

 生前の川喜多二郎に師事したとか親しかったとかいうことではなく、同氏が主催する研究所で同僚5人とともに研修を受けただけの関係です。当時、勤めていた会社がいくつかの懸案を抱えており、その解決の下準備としてkj法を学んで来い、と派遣されたわけです。私にしてみれば、懸案事項の解決などどうでもよく、あの『川喜多二郎』から指導が受けられると、(失礼ながら)まぁアイドルに会うファンの心境でした。

 研修は3日4泊ほどで、碑文谷にある自宅併設の研究所に泊まり込み、朝9時から夜11時過ぎまでと結構ハードなものでした。研修は、前半はkj法の基本を同氏が講義し、後半でkj法を使って自分たちの問題を解くというものです。こっちは既に結論を持っているのですから、それをどうkj法で辻褄を合わせ会社に納得させるか、という本末転倒の『研修』となってしまったわけです。

 先生(川喜多二郎)はというと、にこにこ笑って聞いているだけ。我々が強引に結論を導き出そうとすると、kj法の理論に反する、とか何とか言って論議を元に引き戻す役目です。
 70過ぎの好々爺の風貌で、よく話が脱線します。『私が××会社を指導しているとき・・・云々』『学術調査で△△に行ったとき・・・云々』。殆ど忘れてしまいましたが、時折同氏の奥さんが(20~30人ほど入る)教室に現れて、先生の脱線話に解説を入れるんですが、これが、先生がいかに偉いか、何処そこの(有名な先生)誰と親交があって云々というもので、先生は苦笑して聞いているだけです。先生も苦労しているんだ、とうのが実感でした。

 で、この3泊4日の研修が役に立ったか?ですが、何とも言えません。えらく感動して、その後何かと言えばkj法を持ち込む同僚もいましたから、会社としては役にたったんでしょうね。確か終了証のようなものを貰った筈です。探せば本箱の隅に眠っているかもしれません。

 なにわともあれ、一時代を築いた川喜多二郎さん、安らかにお眠り下さい。機会があれば、『鳥葬の国』を読みます。

 

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Sanchai

こんにちは。私はヒマラヤ登山隊員だった当時の様子を書かれた『鳥葬の国』が面白くて川喜田先生の著作に少しハマりました。「KJ法」は日本人どころか外国人でも時々言及するし、川喜田先生はマグサイサイ賞も受賞されているので、日本国内はともかく、海外では結構有名なのではないかと思います。
by Sanchai (2009-07-11 14:33) 

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