スパイ・ゾルゲを読む 宮城与德 年譜 [日記(2009)]
宮城与德
洋画家
ソ連共産党中央委員会機密部員
1903年(明治36年)
沖縄県国頭郡名護町の農家に生まれる
1916年(大正5年)
兄与整、父与正に呼ばれ、初渡米
1917年(大正6年)
沖縄県立師範学校予備校に入学
1920年(大正9年)1919年?
渡米していた父母に引き取られ渡米
1921年(大正10年)
ロサンジェルス、アーティスト・リーグ(カリフォルニア州立美術学校)入所
1925年(大正14年)
八巻千代と結婚(1931年離婚)
1926年(大正15年)
サンディエゴ美術学校卒業(主席)
1928年(昭和3年)
北米旅行中の伊波普猷らと交流、「宮城与徳個展」をロサンゼルスのオリンピックビルで開催
1929年(昭和4年)
プロレタリア芸術協会、赤色救援会日本人部に加入
1930年(昭和5年)
アメリカの美術誌「ジ・アート・ダイジェスト」に作品を掲載
1931年(昭和6年)
アメリカ共産党入党、日本人部に所属
1932年(昭和7年末)
アメリカ共産党・日本人部より日本派遣の命令が出、帰国準備
1933年(昭和8年)
5月、日米新聞のストライキを支援。
10月24日横浜着
11月下旬上野美術館にてゾルゲと接触。英訳担当・秋山幸治を組織。
1934年(昭和9年)
5月、尾崎秀実を大阪朝日新聞社に訪ね、ゾルゲとの接触を依頼
1935年(昭和10年)
東京田端の絵画塾で講師を務める
1936年(昭和11年)
津久見房子、山名正実、北林トモ を組織
1937年(昭和12年)
安田徳太郎を組織
1938年(昭和13年)
秋、中国を2ヶ月旅行
1939年(昭和14年)
小代好信、田口右源太を組織
1941年(昭和16年)
検挙、飛び降り自殺を図るが一命を取りとめる
1943年(昭和18年)
8月2日、巣鴨拘置所にて死亡
参照
現代史資料1 ゾルゲ事件(1)
沖縄大学・緒方ゼミ(宮城与德・年賦)
(編集中)
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