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スパイ・ゾルゲを読む 上海での諜報活動 [日記(2009)]

上海.jpeg
 世界革命から一国社会主義への政策転換(スターリン)により、コミンテルンも世界のソビエト化を目指す組織からソ連国益の組織へと変貌を遂げます。ゾルゲがコミンテルン諜報部から赤軍第四部に移った経緯もこの政策変更の影響といえます。従ってゾルゲの諜報活動は、コミンテルン諜報員の活動からソ連共産党、赤軍第四部の諜報員としての広汎な諜報活動へと変化したこととなります。ゾルゲは1930年1月に上海に上陸し、中国での諜報活動を開始しますが、ゾルゲによると、中国、後日本での活動は自発的なものであったと述べています。

中国革命と日本の満州進出(建国は1931年)はソ連に大きな影響を及ぼす事件である(1929年に中東路事件と呼ばれる中ソ紛争が起きている)。
中国と日本はソ連の安全保障上懸念される国であり、ヨーロッパにおける各国の勢力均衡に重大な影響を及ぼす可能性がある。

 この二つの分析によりゾルゲはヨーロッパから極東へとその活動の場を移し、ソ連共産党、赤軍第四部はこれを歓迎したということです。

中国での任務
中国でのゾルゲの任務は、モスクワから与えられた任務と自発的な調査活動に分類されます。

<<モスクワから与えられた任務>>

1)南京政府の社会的、政治的分析
 ⇒人民のどの階級が南京政府を支持しているのか、政府の社会的基盤は何処のあるのか。人民の各階級が南京政府に対してどういう態度を執り、またその態度はどういう風に変化しつつあるか。
2)南京政府の軍事力の研究
 ⇒ドイツ軍事顧問や武器輸入商から情報を入手
3)中国における各派閥の社会的、政治的分析及びその軍事力
 ⇒広東派、広西派、馮玉派などの軍閥の基礎をなす社会的要素の分析、背後にある広東銀行、広西富豪の調査。
4)南京政府の内政及び社会政策の研究
 ⇒モスクワが熱心では無かったので、調査は進まなかった。
5)南京政府の日本及びソ連対する外交政策の研究
 ⇒ドイツ、アメリカ領事館から情報収集
6)アメリカ、イギリス、日本の、南京政府の及び各派閥に対する政策の研究
 ⇒南京政府といえど・・・・・・・・・・・・・・・・・
7)中国における列強軍事力の研究
 ⇒ドイツ軍事教官から資料を入手
8)治外法権及び租界問題の研究
9)中国農工業の発達と労働者及び農民の状況に関する研究

<<ゾルゲ独自の調査>>

1)ドイツの新しい経済活動の観察(ドイツ軍事顧問団に関連して)
 ⇒列強の中で弱体であったドイツは、軍事顧問団を派遣するなど、中国での勢力拡大に躍起になっていたようです。こうしたドイツの対中国政策が、ソ連にどの様な影響を及ぼすかをゾルゲは研究課題としたのです。
2)中国におけるアメリカの発展状況の観察(上海におけるアメリカの新しい投資に関連して)
 ⇒アメリカをイギリス取って代わる国と考え、アメリカの投資活動と外交政策を調査しています。
3)満州に対する日本の新政策とその対ソ影響
4)上海事変で日本の意図している目的と日本軍の配備に関する精密な観察
5)南京政府と日本の間の関係の悪化に関する観察

 モスクワの指令は、南京政府の動向とそれをアメリカ、イギリス、日本がどう捉え、どう動こうとしているのか、に集約されます。そしてゾルゲの課題は、それを補完するように日本の動向を読み解こうとしています。これは、ゾルゲ逮捕後の自供を日本の検察がまとめたものであり、またゾルゲも過去を振り返って答えていることを考慮に入れる必要はありますが、注目すべきは、ゾルゲはこの時点で、日本が極東における台風の目であると見なしていたことです。

中国の政治状況】 
ゾルゲが極東に注目した1929年~30年の状況です。

1912年 辛亥革命、中華民国成立、袁世凱(中華民国の臨時大総統)
1916年 袁世凱死去
1919年 中国国民党(孫文)
1921年 孫文、広州に革命政府を樹立(後の国民政府)北伐開始、中国共産党全国代表大会
1924年 第一次国共合作
1925年 広東国民政府 (主席 汪兆銘)
1926年 中山艦事件(蒋介石の台頭)第1次北伐(北京・張作霖) 【第1次山東出兵】
1927年 南京事件(蒋介石の北伐軍が起こした外国領事館と居留民に対する暴虐事件、コミンテルンの関与)、上海クーデター(中国国民党の武漢と南京分立)、南京国民政府
1926年 武漢国民政府(主席 汪兆銘、1927年9月に武漢政府は南京政府に統合)
1928年 第2次北伐、【第2次山東出兵、張作霖爆殺事件】、
1928年~1932年 南京国民政府(成立時の主席 蒋介石)
1929年 蒋桂戦争、ソ連邦満州に侵攻し(中東路事件)東清鉄道の権益を確保
1930年 中原大戦、北平国民政府(主席 閻錫山)
1931年 ゾルゲ上海に上陸
      中華ソビエト共和国臨時政府、広州国民政府(主席 汪兆銘)、満州事変
1932年 満州国成立、上海事変
1932年~1949年 新南京国民政府 (広州南京合作。成立時の主席 林森)
1937年 日中戦争

北伐.jpgWikipedia

 この地図を見ると一目瞭然、当時の中国は群雄割拠の時代です。中国の政府といっても、南京政府の行政区域は地図上の青い部分だけで、満州は張学良、山西省は閻錫山、陝西省・寧夏等は馮玉祥、広東省・広西等の南部は李宗仁、雲南省は竜雲など軍閥が支配し中国共産党まであるわけです。 これに列強の権益が交差し、当時の中国は紛争の坩堝と化しています。日本は日露戦争(ポーツマス条約)の結果ロシアから東清鉄道の一部と鉄道付属地での独占的行政権を与えられており、大連、奉天、長春に橋頭堡を築き、ロシアは旅順と大連、ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、イギリスは九竜半島と威海衛を租借しています。
 ゾルゲは中国の正統的政権たる南京政府とそれをとりまく軍閥、中国を蚕食している日本、ドイツ、フランス、イギリス、中国に利権を確保しようとするアメリカに眼を配り、モスクワのために諜報活動を行ったのでしょう。


タグ:ゾルゲ
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