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村上春樹 辺境・近境 [日記(2012)]

辺境・近境 (新潮文庫)
 村上春樹の随筆は、1986年~1989年の3年間を外国(ギリシア)で暮らしたエッセイ「遠い太鼓」、 1911年から2年半、プリンストン(大学)に滞在した折りのエッセイ「やがて哀しき外国語」に続いて3冊目。この人の随筆は韜晦の後ろに本人が隠れてしまって小説ほど面白くありません。
以下7編が収められた紀行文です。

・イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地(1991)
・無人島・からす島の秘密(1990)
・メキシコ大旅行(1992)
・讃岐・超ディープうどん紀行(1990)
・ノモンハンの鉄の墓場(1994)
・アメリカ大陸を横断しよう(1995)
・神戸まで歩く(1997)
 
 「ねじまき鳥クロニクル」に関連するノモンハンです。作家は、プリンストンの図書館でノモンハンに関する図書を読み、ノモンハンで戦死した将兵は、日本という密閉された組織の中で、名も無き消耗品として、きわめて効率悪く殺されていったのだ、と考え戦争が終わったあとで、我々は日本という国家を結局は破局に導いたその効率の悪さうを、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。と考えます。そして、戦後の日本はこの効率の悪さを克服して平和になったように見えるが、やはり今でも多くの社会的局面において、我々が名も無き消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然と疑念から逃れることが出来ないと続きます。
  この「効率の悪さ」は「非合理性」と説明されるだけで、それ以上の解説はありません。戦争を、人の死を効率で捉える暴力装置として捉えているわけでしょう。また、自己肥大と杜撰な作戦でノモンハン事件を起こし、手痛い敗北を顧みず2年後には太平洋戦争を起こした昭和の軍人を指しているのでしょう。が、分かったようで分からない...。

 実際にノモンハンを訪れて残された大量の砲弾や戦車に触れ、作家は記念に銃弾を拾って帰ります。帰途、狼と出会い、案内のモンゴル人は牧畜民族ですから、家畜を殺す狼は害獣であり見つけ次第射殺するという習慣に従ってこれを殺します。ランドクルーザーで徹底的に追い回し、狼を射殺します。殺された狼の「静かな目」と書いていますから、作家は狼にソ連の戦車に追い回され殺された日本兵を重ねているものと思われます。
 その夜、殺された狼の静かな目と拾ってきた銃弾が引き起こす怪奇現象は、小説家がノモンハンの草原から何を持って帰ったかがストレートに語られています。
 
 夜中に、部屋全体が激しく振動するポルターガイストの様な怪現象で目を覚まします。怪奇現象が去って、揺れていたのは部屋ではなく自分自身だったことに気づき作家は恐怖に震えます。銃弾と狼が鍵となって作家の中にあるパンドラの箱を開き、内部にある何かが飛び出し、その何かに恐怖を感じたと云うことのようです。(この怪奇現象自体も、作家の創作のような気もしますが)この飛び出したモノとノモンハン事件を起こした魔(日本という国家を結局は破局に導いたその効率の悪さ)と同じものであることに恐怖を感じたんだというわけでしょうか。
 
 プリンストンの図書館で考えた「効率の悪さ」よりも、ポルターガイストの方がはるかに分かり易いです。 

タグ:読書
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