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桐野夏生 グロテスク [日記(2012)]

グロテスク
 「東電OL殺人事件」を下敷きにしています。
 事件同様、主人公は名門Q女子高等学校、Q大学経済学部卒、昼間はG建設の女性総合職、夜は娼婦として街頭に立ち、最後は渋谷円山町のアパートの一室で殺されます。主人公が勤務を終わって娼婦に変身するのは渋谷109、拒食症でコンビニのつゆ沢山のおでんを好むなどほぼ事件を背景に借りています。佐野眞一が『東電OL殺人事件』で世の男どもを「発情」させたと書いたこの事件を、女性の視点で想像するとこうなる!という小説です。

 小説は、「信頼できない語り手」である「わたし」を狂言回しに、絶世の美女である妹ユリコ、Q女子高の同級生で後に円山町のアパートの一室で殺され和恵、三人の独白で構成されています。名門Q女子高生の「わたし」、ユリコ、和恵と、20余年後、Q大学卒業後の3人が重層的に描かれ、娼婦となったユリコ、和恵が中国人のチャンに殺されることで幕となります。

 昼は東電の総合職、夜は娼婦というこの「東電OL」の謎を描くために、作家は和恵の他に「わたし」とユリコを登場させ、娼婦に至る出発点としてQ女子高等学校を用意しました。高学歴の東電OLの昼と夜の落差が男を発情させ、多くの女性に「泰子(電OL)は私だ」と言わせたのです。作家は、「東電OL」を「わたし」とユリコと和恵三人に分解し、この落差を埋めようとします。

 作家は、まず最小の共同体である「家族」を壊すところから初めます。スイス人の父親と日本人の母親を持ち、類い希な美貌の持ち主ユリコを妹に持つ「わたし」は、両親と似ていないことで生まれる欠落感、ユリコと比較され、「ユリコの姉」としてしか存在出来ない空白を埋めるために難関のQ女子高入学を果たします。疎外感と劣等感の代償行為として入学したQ女子高で、「わたし」は中等部からの入学者・内部生と高校からの入学者・外部生の超えられない壁を知り、努力が報われない階級社会を体験し、「わたし」は持つものと持たざるもの格差と差別が厳然と存在することを知ります。さらに、止揚した筈のユリコがQ女子高に入学してくることで「ユリコの姉」に戻ってしまいます。

 有り体に言えば世界は他人から成り立っている、といことでしょう。普通、そうした学習で人は老いるわけです。まれに、学習できずに老いることが出来なかった悲劇が生まれます。このQ女子高で、父親の期待を一心に背負い、努力を重ねてQ女子高に入学した2人目の主人公、和恵の登場です。Q女子高からQ大学、一流企業へと上り詰めることが人生の目標であり、そのための努力こそが全てであると考える和恵には、「わたし」が見たこの努力が報われない階級社会が見えないわけです。「空気が読めない」徒手空拳の努力こそが最大の悲劇であり、後に娼婦となってアパートの一室で果てる和恵の「聖性」なのかもしれません。

 努力が及ばないものに、持って生まれた美貌や才能があります。絶世の美女ユリコと東大医学部に進学するミツルの登場です。美貌と才知を傾けて世界に挑戦し、ユリコは娼婦となって殺され、ミツルはオウムを思わせる宗教団体に入りテロルの果てに自滅します。ふたりの挑戦と挫折もそれだけで十分に一編の小説となりそうですが、作家はあまり突っ込んでいません。このふたりは和恵と「わたし」をあぶり出す炎のようなもので、小説にとっては脇役です。
 
 以下妄想です。 
 雑な読者である私には、いくら読んでもユリコと和恵が何故娼婦となったのかが分かりません。ユリコは自らをニンフォマニア(色情症)と呼び、和恵には復讐のために娼婦となったと自ら言わしめています。ニンフォマニア⇒娼婦の構図は分かり易いですが、復讐のために売春に走る和恵の行動は不可解です。売春を自傷行為と考えると、これはもう精神病理学の分野です。自傷行為で検索をかけると和恵が娼婦となった理由らしきものが沢山ヒットします。小説のなかでも、偏差値が序列を決めると言う和恵の家庭環境や、家柄で夫を蔑む母親、Q女子校の異様な階級社会が描かれていますから、これらが和恵を娼婦(自傷行為)に走らせたと言うこともできます。
 
 トリガーはG建設です。 和恵の中にある情熱とプライドは、男社会である会社組織の中で空回りをし出します(この辺りは、Q女子高校を描いた程の筆の冴えは見受けられません)。
 自分の正義と現実が衝突するとき(衝突することが当たり前です)、人は心のバランスを保つために様々な行動に走ります。努力は報われるという和恵の中にある正義と現実世界(G建設)の衝突を、和恵は売春という行為で回避しようとしたのではないかと思われます。和恵は、G建設の女性総合職と最も遠い存在で娼婦をふたつながら演じることで心のバランスを取ったのでしょう。
 
 共同体にあっては、この回避のために倒れた人間は英雄となり神となります 。女性という共同体の中で、売春の果てに殺された和恵は聖性を帯び、女性たちは「泰子は私だ」と事件に感応し、和恵が客を引いた街角の地蔵が「泰子地蔵」と呼ばれルージュが引かれる現象が生まれたのです。これはもう男の容喙を許さない世界です。「東電OL殺人事件」の闇は、小説以上に深いのでしょう。結局のところ、私にはこの小説は分かりません。 

タグ:読書
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コメント 3

ryang

面白そう。読んでみます。
by ryang (2012-09-26 22:56) 

k_iga

男性より女性読者が多いそうですね。
一説には「彼女の父が反原発派だったため社内で孤立していた」とか、
当時の同僚女性の回想で「彼女の周囲だけ重力が異なるような
重く暗い空間だった」とか週刊誌に書かれてましたっけ。
by k_iga (2012-09-27 16:14) 

べっちゃん

まとめてレス。
ryangさん →女性だったら、どう読むんでしょうか?読まれたら感想をblogにupして下さい。
k_igaさん →父親との関係は、小説でも佐野眞一のノンフィクションでも少し触れられています。どうなんでしょうね?
by べっちゃん (2012-09-27 20:24) 

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