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浅田次郎 一刀斎夢録 [日記(2013)]

一刀斎夢録 上 (文春文庫)
 新撰組副長助勤、三番隊隊長、斎藤一の物語です。戊辰戦争をへて新政府の警察官となり、西南戦争を戦った(従って明治まで生き延びた)斎藤一が主人公です。「斎藤一」を逆に並べると「一刀(藤)斎」。斎藤の口述を記録した『夢録』という本の存在が子母沢寛の『新選組遺聞』に触れられているそうで、浅田次郎が夢想した『夢録』が本書ということです。

 浅田次郎は、盛岡藩脱藩?の吉村貫一郎を主人公に新撰組最盛期から鳥羽・伏見の戦いまでを描いた『壬生義士伝』、遊女糸里の視点で芹沢鴨暗殺を描いた『輪違屋糸里』を書いています。いずれも、斜めから見た「新撰組」物語です。もっとも、子母澤寛以下名著のたくさんある「新撰組」ですから、正面から書いても今更で、斜めから書かざるを得ません。
 斎藤一が近衛中尉・梶原稔に昔語りをする構成をとっています。

【斎藤一】
 近藤勇の「試衛館」組の生き残りとして明治、大正まで生き延びたのは、永倉新八と斎藤一のふたりです。永倉は、芹沢鴨の暗殺、池田屋事件、油小路事件にも加わり、戊辰戦争も戦っていますから、小説の主人公としては斎藤よりも話題性に富んでいると思うのですが、浅田次郎が選んだのは斎藤です。永倉と斎藤が異なるのは、斎藤が明治7年に警視庁に入り、警察官となって西南戦争に参加していることです。一方永倉も甲陽鎮撫隊まで近藤と付き合っていますが、その後松前藩士に戻り北海道に渡って平穏な晩年を迎えています。作家の興味は、明治になって「生き残ってしまった」新撰組にあるようですから、物語の主人公としては斎藤が選ばれたのでしょう。

 斎藤一は、居合の達人で近藤勇の護衛、土方歳三の懐刀。その斎藤の語りを聞いていると、「剣の奥義は、一に先手、二に手数、三に逃げ足の早さ、他には何もない」というリアリストで、人間を「糞袋」と呼ぶ「一見」傲岸不遜の男です。この「一見」というのがくせ者で、生涯に百余人?を斬殺した新撰組の血も涙もない「人斬り」が、血も涙もあった、といのが本書のオチです。

 オチという表現はよくないですね。御家人株を買って直参となった生家を嫌って、山口(斎藤)一は、アイデンティティを「試衛館」→「新撰組」に求めます。
 斎藤は左利きです。武道の作法は右、左利きは矯正されるため剣は上達しません。近藤勇は剣に左も右も無いことを説き、斎藤の左利きを認めます。斎藤は、初めて「左」を認めてくれた新撰組で人を斬って自己確立を図り、新撰組隊士として鳥羽伏見で戦い、会津戦争で負け、会津藩士ととも斗南へ行きます。

 その斎藤が東京に戻って邏卒(警官)となります。新撰組隊士として薩長の不逞浪士を斬りまくった斎藤が、何故新政府の権力の片棒を担ぐ邏卒となったのか。興味のあるところですが、「食うため」としか作家は書いていません。

【市村鉄之助】
 もうひとり、アイデンティティを求める人物が登場します。市村鉄之助です。鉄之助は、大垣藩の藩士が村の女に産ませた子供で、藩士に引き取られますが不義の子に居場所はありません。鉄之助に同情する異母兄とともに家出し、京都堀川端で乞食同然に飢えていたところを新撰組の吉村貫一郎と斎藤に助けられます。
 『壬生義士伝』の主人公吉村貫一郎です。新撰組には鉄之助のような雑用を引き受ける少年隊士がいたようです。吉村は、こうした少年隊士の教導係として、鉄之介に読み書きや剣、生き方そのものを教えます。生家で虐待を受け、家族というものを持たなかった鉄之助も、新撰組を家として、アイデンティティを取り戻してゆきます。
 斎藤がこの鉄之助を教導したか?、人間を「糞袋」と呼ぶ斎藤にそんな親切心はありません。むしろ、喪失した自己を新撰組によって取り戻す鉄之介を同類と見做し、近親憎悪に近い憎しみで突き放します。鉄之助も斎藤を同類と見做し、蹴られても殴られても斎藤を慕います。

 鉄之助が入隊したのは1987年の初冬という設定で、1988年1月には鳥羽伏見の戦いが始まっていますから、隊士として期間は数ヶ月に過ぎません。初めて自分を人間として扱ってくれた新撰組こそが鉄之介の家族であり家です。小説ですから何とでもできますが、近藤勇自らが鉄之助に剣を教え、後には斎藤も居合いを教えます。
 鳥羽伏見で吉村を失い、鉄之助は、斎藤や林信太郎、久米部正親に従って戊辰戦争を戦い、新撰組崩壊後は、斎藤によって土方に付けられ函館に渡ります。

 新撰組は、近藤、土方によって作られた、勤王を目的とした武装集団です。戦闘能力があれば出自は問題とならず、浪人も商人、農民も身分制度の枠を越えて上昇してゆくことができた数少ない組織です。尊皇攘夷も勤王も佐幕も無く、左利きの足軽の子も、不義の子も身を寄せることのできる唯一の集団だったわけです。その集団が、京都守護職配下の幕府の警察組織であり、幕府瓦解とともに朝敵の汚名を着せられ追われる集団であっただけです。

 『一刀斎夢録』は新撰組という集団に身を寄せた左利きの足軽の子と、不義の子の物語です。

【斎藤一vs.鉄之助】
 新撰組隊士としてはおよそ正反対の斎藤一と市村鉄之助が、西南戦争の激戦地のひとつ、竹田(大分)の戦場で出会います。斎藤は、別働第三旅団半隊長(警察隊)として、鉄之介は西郷軍の兵士として出会います。
 30万発という弾丸が発射された西南戦争ですが、この竹田の戦いは、士族である警察隊と示現流薩摩武士による白兵戦で、斎藤一と市村鉄之介は剣を交えます。新撰組で育った、足軽の子と乞食の子が敵味方に分かれて戦うことになります。居合いを極めた一之助と

【龍馬暗殺】
 『一刀斎夢録』には、浅田次郎の創作がふたつあります(全部創作ですが)。ひとつは、坂本龍馬暗殺です。龍馬暗殺の実行者は、新撰組説、京都見廻組説、薩摩藩説などがあり、現在では「見廻組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説として扱われている」ようです。
 浅田次郎は、これを斎藤一の犯行として小説に組み入れました。作家の目的は、龍馬暗殺ではなく、斎藤の「左利き」を描くことではなかったかと思われます。狭い室内での暗殺は、居合いの達人である斎藤がもっとも得意とするところです。武士が対面するときには、殺意のないことを示すために刀を右に置くのが作法だそうです。左利きの斎藤は、右に置いた刀で即座に居合いに入ることが可能であり、またそのように龍馬を惨殺します。
 『一刀斎夢録』は、左利きの異能の剣士・斎藤一の龍馬暗殺という事件で幕が開きます。

【西南戦争】
 もうひとつは、青年戦争。浅田次郎によると、西南戦争(1877)は西郷と大久保利通が仕掛けた最後の「維新」だということです。明治維新は成ったが、「萩の乱」「佐賀の乱」など士族の新政府に対する不満は鬱積し、何時反革命が起こっても不思議は無い情況です。この不平士族に新政府の威信を見せつけ反乱の根を絶つために、ふたりによって「西南戦争」が起こされたというのです。
 その根拠として、黒田清隆、西郷従道、河村純義などの西郷の盟友だが新政府の中枢が西郷と共に下野しなかったこと、薩軍が鹿児島を発つ数日前に陸軍に動員命令が下ったこと、西郷の没後21年で復権し上野に銅像が建ったことなどが挙げられています。
 新撰組の生き残り同士が、西郷と大久保が仕組んだ西南戦争で相まみえるという皮肉で、『一刀斎夢録』は幕を閉じます。

タグ:読書
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