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林望 謹訳 源氏物語(19) 蛍 [日記(2013)]

謹訳 源氏物語 五
 第5巻です。 
 『胡蝶』では、源氏が玉鬘に来るラブレターを検閲しているという話がありましたが、読むだけではなく、代筆までしています。宰相の君という気の利いた女房に、口述筆記をさせます。

すると、その文面は、なにやら、宮のお通いを誘っているような風情……、誘われてきた宮が、どんな様子で玉鬘に言い寄るのか、そのあたりを見てみたいものだと源氏はひそかに思っているらしい。

 玉鬘に代わっていかにも気のあるような返事を書き、ホイホイと出てきた兵部卿の宮の行動の一部始終を物陰に潜んで見ようというわけです。悪趣味ですねぇ。

この宮が、しんみりと心を込めて文をよこされたりする折には、すこし真剣に目を留めて見ることもある。いや、それはなにもこの宮に特に思いを寄せるということではなく、ただこのうんざりするような源氏の振舞いを見ずに過ごす方便はないものか、〈……いっそこの宮に身を任せてしまったら、そのほうが女としてはまだしも……〉と、そう思っているに過ぎないのであったが……。

源氏の魔手から逃れるために兵部卿の宮に身を任せてもよいというのですから、相当思い詰めているようです。

 で、源氏の書いた偽の手紙に誘われて兵部卿の宮がノコノコやって来ます。当時の男女は直接には会話せず、仲介者を通じた間接的だったのでしょうか。この「取り次ぐ」というのは何度か出てきました。

また宮がなにか言うのを取り次ぐために、宰相の君が帳台のあたりへ躙(にじ)り寄るのに事寄せて、源氏は、ずいっと茵(しとね、座布団)近くまで寄ってきた。

手を伸ばせば届く距離、あわや落下狼藉か!という時に、

あ、ぽっと、光るものが……
源氏は、この夕方に、たくさんの蛍を捕まえて光が漏れぬように包んでおいたのを、さりげなく、玉鬘の身の回りの世話でもするようなふりをして、突然に空中に放ったのであった。
几帳のむこうに、蛍の青白い光に照らされた玉鬘の真っ白な横顔が浮かび上がる。たいそう美しいその面差し……。

 源氏の醜い下心さえ無ければ、幻想的なシーンですね。

 源氏物語を読む楽しみは、私の様に源氏の行動をあれこれあげつらうこともそうですが、上のように視覚的な描写を楽しむこともそのひとつです。『蛍』には、もうひとつ華やかなシーンがあります。
 左近衛府の騎射のついでに、源氏の息子の中将が部下の男たちを引き連れて六条院で「騎射(流鏑馬?)」を演じるというシーンです。若い公達がやって来ますから、六条院の女房たちは大騒ぎ(ちょっと長いですが引用)、

西の対の玉鬘のところからも、女の童などが見物に渡ってきて、廊の戸口に御簾を青々と掛け渡し上は白く下に行くにつれて藍色にぼかし染めた当世風の帷子を掛けた几帳をずっと立て並べ、女の童や下仕えの女どもがあちこちうろうろしている。
菖蒲襲(表は青、裏は濃い紅梅)の衵(表着)の上に更に紅と藍で二度染めにした薄物の汗衫を重ね着ているのは、西の対の女の童と見える。またいかにも好ましく馴れた物腰の四人の女は、樗の花を思わせる薄紫をぼかしに染めた裳(裾長の女袴)に撫子の若葉の色をした唐衣(上着)のお揃いを着ている。これらは、いずれも今日の菖蒲の節句に合わせた装いである。
いっぽう、東の対の花散里側の女の童たちは、濃い紅の単衣を二枚重ね着て、その上には、撫子襲(表は紅梅、裏は青)の汗衫を鷹揚な風情に着こなしている。いずれも我劣らじとおしゃれを競いあっているのは、まことに見どころがある。  これには、若々しい殿上人など、ついつい目を引かれて、さかんに秋波を送ろうかというありさまである。

 個人の邸宅で騎射をやるのですね。馬のいななき、蹄の音、人々の嬌声、華やいだ喧騒の中で、季節に合わせた衣装で着飾った女童が騒ぎたて、女房たちに殿上人に秋波を送るという華やかな風景が目に見えるようです。一方、騎射を演じる武人たちは、

緋色の絞り染めにした狩衣めいた服の上に、甲形とて甲冑を象ったものを着け、その華やかなこと

 さてさて、玉鬘と彼女恋しさに周りでウロウロする息子、その父・内大臣は、

あの雨夜の品定めの折にもついつい問わず語りをしてしまったけれど、その後どうなったのだろう、今はどうしてるのだろうな〉と思う。〈思えば、あの母親は、いっこうに頼りにならないような女だったから、そういう親の心に引きずられて、あんなにいたいけな子を、行方知れずにしてしまった……。


と、我が子を思いやり、その「いたいけない子」が六条院に住まい、今にも源氏の毒牙にかからんとしていることはご存じないわけです。

 『蛍』には「物語」についての話が出てきます。紫式部も物語作家ですから、作家による「物語論」かとも思うのですが...それとも玉鬘の聡明さを書きたかったのかもしれません。
 玉鬘は筑紫で育ったため、絵物語などは縁が無かったようです。六条院に来て絵物語に触れ、その虜になります。その様子を見て源氏と玉鬘と「文学談義」のような会話がかわされます。なかなか面白いので、(またも)長めの引用、

やれやれ、まったく困ったものだ。女というものは、面倒とも思わずに、自分から好き好んでこういう作り話にだまされたいと思って生まれてきたものと見えるな。こうたくさんな物語どものなかに、本当のことなどはまったく寥々たる数に過ぎぬと、かたがた承知していながら、こんな根も葉もないようなことにうつつを抜かして、まんまとだまされては、この暑苦しい五月雨に髪の乱れもものかわ、せっせと書いていることよな、はっはっは

近ごろ、明石の姫が、女房などにときどき読ませているのを立ち聞きしてみれば、さても世の中には、うまいこと言い回す者もあるものだと感心したりする。この分では、よほど日ごろから嘘八百のつき放題で、そういう口だからこそこんな風に上手に言いくるめるのであろう、などと思うことさ。そうではないかね

 源氏は、物語などしょせん女子供が慰みに読むものだ、物語作者などは口からでまかせ嘘八百を並べているんだ、と言います。これが男性から見た「物語=小説」の一般的な評価だったのかもしれません。紫式部は、玉鬘と源氏の口を借りて痛烈に男性批判、物語擁護をします。

まことに、日ごろより偽りばかり口にし慣れている人は、そのように裏の裏まで酌み取ってお考えにもなれましょう。けれども、わたくしなどには、ただただ真実まことのように思われることでございますのに…(玉鬘)

これはヤバイ。玉鬘が喜んで読んでいる物語を、批判などすれば嫌われる、

おっと、これはつい不躾に物語どもを酷評してしまった。いや、考えてみれば、あの日本紀などの真らしい史書にしてからが、あれで社会のほんの一面を書き綴ったにすぎないのさ。そこへいけば、この物語などのほうにこそ、単に事実を述べるということから一歩進んで、人情の機微にまで細やかに書き至るということがあるだろうな

物語の世界で、方便のために、人の善き悪しきを誇張して言っているようなものであって、つまるところは、すべてどんなことだって、無意味だということはないのだということになるわけだ・・・(源氏)

と言い訳して、ソッチの方へ話題を引っ張ってゆきます。

ところで、こういう古物語のなかに、のように実直一方の愚かな男の物語など、あるだろうかね。それはそれは素っ気ない姫君の物語でさえ、そなたのように知らん顔の、空惚けた主人公だなんてのは、世に絶えてあるまい。さあさあ、いっそ私たちの仲をそういう類例なく珍しい物語にでも作って、世に語り伝えさせようかな

そんなことを囁きながら、源氏は、じりじりと玉鬘に躙り寄っていきます。誰が「実直一方の愚かな男」なんだ!、「私たちの仲をそういう類例なく珍しい物語にでも作って」と結局そこへ行き着くわけです。玉鬘は反撃に出ます、

「わざわざ物語にして語り伝えなどおさせにならずとも、こんな世にたぐいもないことは、いずれ世間の語りぐさになりはせぬかと見えますけれど……」(玉鬘)

父親が娘に言い寄るという「世にたぐいもないこと」だからそのうちバレますよよ、と玉鬘。源氏も負けてはいません、

「ほほう、そなたもたぐいなきこととお思いか。ならば、私も同じ思い……こんなふうに人を恋しく思うなど、それこそたぐいのないことだという思いがするのだよ」(源氏)

玉鬘の皮肉が通じていないのか、知っていて知らぬ振りなのか。源氏は玉鬘を抱き寄せると、耳元でささやきます。

思ひあまり 昔のあとをたづぬれど 親にそむける子ぞたぐひなき

昔の物語をあれこれと探してみたけれど    親に背く子など、それこそ類例がないことだよ

玉鬘の返歌、

ふるき跡を たづぬれどげになかりけり この世にかかる親の心は

いくら古物語の世界を尋ね回っても、なるほどそんなのはございませんわ。この世に、娘を口説こうなんていう奇態な親心なんて

源氏の負け!

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