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お手軽 簡単 読書感想文 坂口安吾 『ラムネ氏のこと』 [日記(2014)]

ラムネ氏のこと
ラムネ氏.jpg
【承前】

 夏休みが始まる頃になると、この「お手軽読書感想文」にアクセスが増えます。『蟹工船』『藪の中』『スローカーブをもう一球』『無人島に生きる十六人』と4本並べていますが、『スローカーブ』がダントツにアクセスを頂いています。

 最近kindleで読むようになり、電子本の特性を生かした読書感想文というのが、一番「お手軽」ではないかと考えるようになりました。スマホのkindleアプリで青空文庫を使えば、本も買わなくてすみます。今回は、お手軽かつ「完全無料」で行ってみます。
 坂口安吾の『ラムネ氏のこと』については、一度blogに感想を書いていますが、高校生の読書感想文として書き直してみます。決して、目線を下げるという意味ではありません。『ラムネ氏のこと』は、実は私自身が高校生のころ現代国語の教科書で習ったレッキとした(当時の)文部省公認の名作名文なのです。短い文章なのですぐに読めます。
 版権切れですから「青空文庫」で読むことが出来ます。PCなりスマートフォンで、青空文庫から『ラムネ氏のこと』のhtmlファイルをダウンロードして読むのが最も簡単だと思います。横書きの嫌いな人は、word(OpenOfficeならフリー)にコピーして縦書に変換すれば読み易いです。専用の縦書アプリもあると思います。

 私の「お手軽読書感想文」は、1)作者 2)時代背景 3)感想文本文から成り立っています。1)と2)は予備知識であるとともに、字数を稼ぐことも兼ねています。では早速...。
 
【坂口安吾について】
 太宰治、織田作之助、檀一雄たちとともに、「無頼派」と呼ばれる作家です。当時、文壇文学の主流であった志賀直哉を頂点とする身辺雑記に近い私小説を否定し、物語性を重視した小説(文学)を、敗戦まもなく量産したことから「新戯作派」とも呼ばれます。私小説とその作家を歯に衣を着せずに批判したこと、小説量産のために薬物を摂取し、型破りの私生活を送ったことから無頼派と呼ばれる至ります。詳しくは →こちら
 軍部が力を持っていた戦争中は、自分達に都合のいい小説は歓迎しますが、都合の悪い小説は発禁にするなど弾圧を加えました。敗戦によって表現の自由を獲得した「無頼派」は、次々に小説を発表し時代の流行児となります。

【ラムネ氏と時代背景】
 坂口安吾のエッセイは、敗戦後のモラル混乱期に、堕落する事こそがモラル再構築の原点だと論じた『堕落論』が最も有名です。『ラムネ氏のこと』は、太平洋戦争勃発前夜の1941年、日本が軍国主義に転じてゆく風潮の中で「変革を志す人間」をラムネ氏に仮託し、安吾自身の作家としてのスタンス(立場を)を宣言したエッセイだと思われます。

【上】
 『ラムネ氏のこと』は、上中下に分かれています。上は、言わば序論、「マクラ」に相当します。小林秀雄と島木健作が、ラムネ玉を発明した人は面白い奴だとかナントカ話している横から、ラムネ玉を発明したのはラムネー氏だと三好達治が混ぜ返す話しを枕に、

全くもつて我々の周囲にあるものは、大概、天然自然のまゝにあるものではないのだ。誰かしら、今ある如く置いた人、発明した人があつたのである。

と言い、炭酸飲料のビンの蓋にラムネ玉を用いることを発明した「ラムネ氏」を偉大な発明家であるとします。また、

我々は事もなくフグ料理に酔ひ痴れてゐるが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一篇の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。

とフグに話が及び、フグが食べられるようにようになるまでには、

この怪物を食べてくれようと心をかため、忽ち十字架にかけられて天国へ急いだ人がある筈だが、そのとき、子孫を枕頭に集めて、爾来この怪物を食つてはならぬと遺言した太郎兵衛もあるかも知れぬが、おい、俺は今こゝにかうして死ぬけれども、この肉の甘味だけは子々孫々忘れてはならぬ。
 俺は不幸にして血をしぼるのを忘れたやうだが、お前達は忘れず血をしぼつて食ふがいゝ。夢々勇気をくぢいてはならぬ。
 かう遺言して往生を遂げた頓兵衛がゐたに相違ない。かうしてフグの胃袋に就て、肝臓に就て、又臓物の一つ/\に就て各々の訓戒を残し、自らは十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛がゐたのだ。

フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛と、忘れず血をしぼつて食ふがいゝと遺言した頓兵衛がいたというのです。
 ラムネ玉を発明したラムネ氏、フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛、フグの毒を遺言してして死んだ頓兵衛の3人が登場しました。作者は、頓兵衛はラムネ氏の系列に連なる人物だが、太郎兵衛はそうではないと言いたいようです。つまり、この世のはラムネ氏とそうではない人間がいるのだ、ということです。

【中】
 次いで、信州の奈良原といふ鉱泉(温泉)の話となります。

鯉と茸が嫌ひでは、この鉱泉に泊られぬ。毎日毎晩、鯉と茸を食はせ、それ以外のものは稀にしか食はせてくれぬからである。
この宿屋では、決して素性ある茸を食はせてくれぬ。
植物辞典があるならば箸より先にそれを執らうといふ気持に襲はれる茸なのである。

 「上」で述べられたフグの毒が、毒キノコに置き換わります。前節のフグを食べるために「十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛」に代わって、作者自身が登場します。

この部落には茸とりの名人がゐて、この名人がとつてきた茸であるから、絶対に大丈夫なのだと宿屋の者は言ふのである。

ところが、この名人は自分で採ってきたキノコに当たって死にます。その翌日には、村の人々はもうキノコを食べていたというエピソードが語られ、

つまり、この村には、ラムネ氏がゐなかつた。・・・名人は、たゞ徒らに、静かな往生を遂げてしまつた。然し乍ら、ラムネ氏は必ずしも常に一人とは限らない。かういふ暗黒な長い時代にわたつて、何人もの血と血のつながりの中に、やうやく一人のラムネ氏がひそみ、さうして、常にひそんでゐるのかも知れぬ。たゞ、確実に言へることは、私のやうに恐れて食はぬ者の中には、決してラムネ氏がひそんでゐないといふことだ。

キノコに当たって大往生を遂げた名人はラムネ氏ではなく、翌日から(いつものように)キノコを食べ始めた村人の中にもラムネ氏は存在せず、キノコに当たることを恐れて決してキノコを食べない作者もまたラムネ氏ではないと言います。フグの胃袋に就て、肝臓に就て、又臓物の一つ/\に就て各々の訓戒を残し、自らは十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛=ラムネ氏はいなかったと言うのです。
 「中」で重要なことは、作者自身の登場と、作者もまたラムネ氏ではないということです。そして、ラムネ氏のいない「暗黒の長い時代」にも、一人のラムネ氏がひそみ、さうして、常にひそんでゐるのかも知れぬ、という希望を述べています。「暗黒の長い時代」とは、このエッセイが発表された1941年当時の、軍国主義の時代を指していますが、ラムネ氏が存在しない時代という言い換えであからさまな批判をかわしていると思われます。

【下】
 「下」で作者は、切支丹の伴天連(バテレン)が神の「愛」を日本の信者にどう伝えるか悩む話をマクラに、江戸時代の戯作者にラムネ氏を発見します。

 不義はお家の御法度といふ不文律が、然し、その実際の力に於ては、如何なる法律も及びがたい威力を示してゐたのである。愛は直ちに不義を意味した。

 日本語では、「愛」という言葉が「不義(密通)」と同義語であったと言います。

勿論、恋の情熱がなかつたわけではないのだが、そのシムボルは清姫であり、法界坊であり、終りを全うするためには、天の網島や鳥辺山へ駈けつけるより道がない。

 「清姫」とは、男に裏切られた清姫が蛇に変化し、鐘に隠れた男を鐘ごと焼き殺す「道成寺」。「天の網島」は近松門左衛門の心中もの。いずれも、愛が悲劇に終わる物語です。

西洋一般の思想から言へば、愛は喜怒哀楽ともに生き/\として、恐らく生存といふものに最も激しく裏打されてゐるべきものだ。然るに、日本の愛といふ言葉の中には、明るく清らかなものがない。
愛は直ちに不義であり、邪よこしまなもの、むしろ死によつて裏打されてゐる。

伴天連たちは、「御大切」という言葉を発明します。話の中心はこの「御大切」ではなく、お家のご法度「不義」の方です。

 愛に邪悪しかなかつた時代に人間の文学がなかつたのは当然だ。勧善懲悪といふ公式から人間が現れてくる筈がない。然し、さういふ時代にも、ともかく人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学はあつたが、それは戯作者といふ名でよばれた。
 戯作者のすべてがそのやうな人ではないが、小数の戯作者にそのやうな人もあつた。
 いはゞ、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあつたのだ。チョロチョロと吹きあげられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題でない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。それだけでよからう。
 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。
 戯作者のすべてがそのやうな人ではないが、小数の戯作者にそのやうな人もあつた。
 いはゞ、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあつたのだ。チョロチョロと吹きあげられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題でない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。それだけでよからう。
 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。

 これが結論です。つまり、安定した市民生活を破壊する色恋や不義を描いた戯作者こそが、人間の真実の姿を描き得たのであり、(そうした文言はありませんが)「文学」だと云うわけです。ここには、世間の常識(例えば勧善懲悪)に迎合した小説や、身辺雑記に萎縮してしまった私小説に対する批判が隠されています。そして、「戯作者」という言葉には、小説は面白くなければならない、物語を持たなければならないという安吾の主張が含まれています。人間の真実の姿を面白く語る戯作こそ本来の小説であり文学であり、そうした戯作が「もののありかたを変えてきた」のだということです。

 このエッセーは、昭和16年の11月20~22日の新聞に発表されています。昭和16年10月には東條英機が首相となり、12月8には真珠湾奇襲、マレー半島侵攻があった年です。ちなみに、織田作之助の『青春の逆説』が発禁にあった年でもありす。太平洋戦争が始まろうとするまさにその時、ラムネ氏を登場させ、安吾は「人間の文学を書く」戯作者になることを宣言しました。

 では、感想文にまとめてみます。
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【坂口安吾について】
 太宰治、織田作之助、檀一雄たちとともに、「無頼派」と呼ばれる作家です。彼らは敗戦後まもなく、小説の主流であった志賀直哉に代表される身辺雑記に近い私小説を否定し、物語性(面白さ)を重視した小説(文学)を次々と発表したしたことから「新戯作派」とも呼ばれます。私小説とその作家を激しく批判したこと、小説量産のために薬物を摂取し、型破りの私生活を送ったことから無頼派と呼ばれる至ります。
 軍部が力を持っていた戦争中は、自分達に都合のいい小説は歓迎しますが、都合の悪い小説は発禁にするなど弾圧を加えました。敗戦によって表現の自由を獲得した「無頼派」は、次々に小説を発表し時代の流行児となります。

 【上】
 『ラムネ氏のこと』は、上中下に分かれています。上は、序論に相当します。小林秀雄と島木健作が、ラムネ玉を発明した人は面白い奴だとかナントカ話している横から、ラムネ玉を発明したのはラムネー氏だと三好達治が混ぜ返す話しを枕に、炭酸飲料のビンの蓋にラムネ玉を用いることを発明した「ラムネ氏」を偉大な発明家であるとします。また、

 我々は事もなくフグ料理に酔ひ痴れてゐるが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一篇の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。

 とフグに話が及び、フグが食べられるようにようになるまでには、フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛と、忘れず血をしぼつて食ふがいゝと遺言した頓兵衛がいたというのです。

 ラムネ玉を発明したラムネ氏、フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛、フグの毒を遺言してして死んだ頓兵衛の3人が登場しました。作者は、頓兵衛はラムネ氏の系列に連なる人物だが、太郎兵衛はそうではないと言いたいようです。つまり、この世のはラムネ氏とそうではない人間がいるのだ、ということです。

 【中】
 次いで、信州の奈良原といふ温泉の話となります。

 この宿屋では、決して素性ある茸を食はせてくれぬ。
植物辞典があるならば箸より先にそれを執らうといふ気持に襲はれる茸なのである。

  「上」で述べられたフグの毒が、毒キノコに置き換わります。前節のフグを食べるために「十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛」に代わって、作者自身が登場します。

 この部落には茸とりの名人がゐて、この名人がとつてきた茸であるから、絶対に大丈夫なのだと宿屋の者は言ふのである。

 ところが、この名人は自分で採ってきたキノコに当たって死にます。その翌日には、村の人々はもうキノコを食べていたというエピソードが語られ、

 つまり、この村には、ラムネ氏がゐなかつた。・・・名人は、たゞ徒らに、静かな往生を遂げてしまつた。然し乍ら、ラムネ氏は必ずしも常に一人とは限らない。かういふ暗黒な長い時代にわたつて、何人もの血と血のつながりの中に、やうやく一人のラムネ氏がひそみ、さうして、常にひそんでゐるのかも知れぬ。たゞ、確実に言へることは、私のやうに恐れて食はぬ者の中には、決してラムネ氏がひそんでゐないといふことだ。

 キノコに当たって大往生を遂げた名人はラムネ氏ではなく、翌日から(いつものように)キノコを食べ始めた村人の中にもラムネ氏は存在せず、キノコに当たることを恐れて決してキノコを食べない作者もまたラムネ氏ではないと言います。

 「中」で重要なことは、作者自身の登場と、作者もまたラムネ氏ではないということです。

【下】
 「下」で作者は、切支丹の伴天連(バテレン)が神の「愛」を日本の信者にどう伝えるか悩む話をマクラに、江戸時代の戯作者にラムネ氏を発見します。

  不義はお家の御法度といふ不文律が、然し、その実際の力に於ては、如何なる法律も及びがたい威力を示してゐたのである。愛は直ちに不義を意味した。

  日本語では、「愛」という言葉が「不義(密通)」と同義語であったと言います。

 勿論、恋の情熱がなかつたわけではないのだが、そのシムボルは清姫であり、法界坊であり、終りを全うするためには、天の網島や鳥辺山へ駈けつけるより道がない。

  「清姫」とは、男に裏切られた清姫が蛇に変身し、鐘に隠れた男を鐘ごと焼き殺す「道成寺」。「天の網島」は近松門左衛門の心中ものです。いずれも、悲劇に終わる物語ですが、浄瑠璃として長く庶民に支持されてきた物語です。

 愛に邪悪しかなかつた時代に人間の文学がなかつたのは当然だ。勧善懲悪といふ公式から人間が現れてくる筈がない。然し、さういふ時代にも、ともかく人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学はあつたが、それは戯作者といふ名でよばれた。

 いはゞ、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあつたのだ。チョロチョロと吹きあげられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題でない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。それだけでよからう。
 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。

 これが結論です。つまり、安定した市民生活を破壊する色恋や不義を描いた戯作者こそが、人間の真実の姿を描き得たのであり、「文学」だと云うわけです。ここには、世間の常識に迎合した小説、私小説に対する批判が隠されています。そして、「戯作者」という言葉には、人間の真実の姿を面白く語る戯作こそ本来の小説であり文学であり、そうした戯作が「もののありかたを変えてきた」のだということです。安吾の主張が含まれています。

  このエッセーは、太平洋戦争が始まろうとするまさにその時、ラムネ氏を登場させ、安吾は「人間の文学を書く」戯作者になることを宣言しました

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 だいたいこれで2341文字(原稿用紙6枚)です。【坂口安吾について】を削れば2040字(5枚)程度になります。引用を減らせばもっとスリムになりそうです。

 3枚にまとめてみました。

坂口安吾 ラムネ氏のこと

 『ラムネ氏のこと』は、上中下に分かれています。上は、序論に相当します。評論家小説家が、ラムネ玉を発明した人は面白い奴だとかナントカ話している横から、ラムネ玉を発明したのはラムネー氏だと詩人が混ぜ返す話しを枕に、炭酸飲料のビンの蓋にラムネ玉を用いることを発明した「ラムネ氏」を偉大な発明家であるとします。

 フグに話が及び、フグが食べられるようにようになるまでには、フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛と、忘れず血をしぼつて食ふがいゝと遺言した頓兵衛がいたというのです。

 次いで、信州の奈良原といふ温泉のキノコの話となります。フグの毒が、毒キノコに置き換わり。前節のフグを食べるために「十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛」に代わって、キノコ採りの名人が登場します。この名人は自分で採ってきたキノコに当たって死にます。その翌日には、村の人々はもうキノコを食べていたというエピソードが語られ、村人の中にもラムネ氏は存在せず、キノコに当たることを恐れて決してキノコを食べない作者もまたラムネ氏ではないと言います。

 切支丹の伴天連(バテレン)が神の「愛」を日本の信者にどう伝えるか悩む話をマクラに、江戸時代の戯作者にラムネ氏を発見します。当時の日本では、「愛」という言葉は「不義(密通)」と同義語でした。神の「愛」や母性愛、恋愛の「愛」という、今日のプラスの意味が無かったようです。伴天連は「愛」に代わって「お大切」という言葉を発明します。そして日本人の中で、この「愛」を小説(戯作)という形で世に広めた人々が現れます。

 愛に邪悪しかなかつた時代に人間の文学がなかつたのは当然だ。勧善懲悪といふ公式から人間が現れてくる筈がない。然し、さういふ時代にも、ともかく人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学はあつたが、それは戯作者といふ名でよばれた。(引用)

 安定した市民生活を破壊する色恋や不義を描いた戯作者こそが、人間の真実の姿を描き得たのであり、「文学」だと云うわけです。ここには、世間の常識に迎合した小説、私小説に対する批判が隠されています。そして、「戯作者」という言葉には、人間の真実の姿を面白く語る戯作こそ本来の小説であり文学であり、そうした戯作が「もののありかたを変えてきた」のだということです。そこに安吾の主張が含まれています。
 このエッセーは、太平洋戦争が始まろうとするまさにその時、ラムネ氏を登場させ、安吾は「人間の文学を書く」戯作者になることを宣言しました。

読書感想文の書き方
『蟹工船』を材料とした書き方実践編
小林多喜二 『蟹工船』・・・青空文庫利用
芥川龍之介 『藪の中』・・・映画併用、青空文庫利用 
山際淳司  『スローカーブを、もう一球』 [手(チョキ)]
須川邦彦  『無人島に生きる十六人』 ・・・青空文庫利用
坂口安吾  『ラムネ氏のこと』 ・・・青空文庫利用
藤沢周平  『蝉しぐれ・・・原稿用紙約3枚
吉村昭   『漂流』 ・・・原稿用紙約3枚
笹本稜平  『春を背負って』 ・・・原稿用紙約3枚
遠藤周作  『沈黙』 ・・・原稿用紙約3枚 
百田尚樹  『海賊とよばれた男

タグ:読書
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