映画 どん底(1957日) [日記(2014)]
原作はゴーリキーの『どん底』だそうです。クレジットでは、三船敏郎がトップに出てきますが、誰が主役と言うのではなく群像劇です。あるいは、隠れた主役は左卜全かと思われるほど、光っています。
このあばら屋にも大家(中村鴈治郎)がいます。大家の女房・お杉(山田五十鈴)の情人が、住人にひとり泥棒の捨吉(三船敏郎)。捨吉はお杉を捨てその妹・かよ(香川京子)に乗り換えようとしてお杉の嫉妬を買い、お杉は夫の大家殺しを捨吉に持ちかけるというドロドロの愛憎劇の様相を呈します。
かよは、このどん底の境遇から救い出してくれる白馬の騎士を夢見、鋳掛屋(東野英治郎)は職人の誇りから、元役者(藤原釜足)はアル中を治すために、それぞれこのあばら屋からの脱出を夢見ています。元旗本の殿様(千秋実)は腰元にかしずかれていた過去を語り、夜鷹(根岸明美)は昔の恋を、遊び人の喜三郎(三井弘次)は「兄貴」と呼ばれていた時代を懐かしみます。それぞれに、今の境遇から抜け出せいない閉塞感と、生活に流される怠惰をかこつという、絵に描いたような「どん底」の日々を過ごしています。
左卜全 渡辺篤
このどん底に巡礼(左卜全)が現れることで、住人の気持ちが少しずつ変わり始めます。左卜全ですから、当然とぼけた演技と人の良さで住人と絡むわけです。この巡礼の登場によって、住人ひとりひとりの存在が浮かび上がります。彼らを映すカメラと供に、この巡礼が『どん底』という映画の「視点」でもあります。
巡礼は、誰も笑って相手にしない夜鷹の「純愛物語」を聞いてやり、アル中役者に病気を直すことを薦め、余命いくばくもない鋳掛屋の女房を慰めます。
浮き世は世の波の浮き沈みさ
お互いに持ちつ持たれつ それでいいのさ
お前さん いいひとだねえ ほんとに(鋳掛屋の女房)
河原の石ころさ
さんざん もまれて 丸くなったのさ
喜三郎は、諦念にも似たこの言葉に、「お前さんは相当のワル」だと巡礼の過去を見抜いたようなことを言います。
事件が起きます。嫉妬に狂ったお杉がかよに折檻を加え、あばら屋の住人は総出で止めに入り、このドサクサで捨吉は誤って大家を殺してしまいます。岡っ引きと町役人が現れ、巡礼の姿は消えていましたから、この男も後ろ暗いところ持っていたことになります。左卜全をお人好しの善人で終わらせないところが面白いです。
捨吉は島送りとなり、お杉とかよは何処へともなく去り、巡礼もまた消えます。自らの運命が変わらなかった、また変えることが出来なかったあばら屋の住人達は、憂さを晴らすかのように飲めや歌えの大宴会(『人情紙風船』、『雨あがる』でも宴会がありました)。
大宴会
役者が首を吊った!
宴会の最中、役者が首を吊った知らせがもたらされ、喜三郎が
ちぇ、せっかくの踊り ぶちこわしやがった 馬鹿野郎
で、幕。
黒澤明と言えば『七人の侍』『用心棒』で、この『どん底』が話題になることはありません。地味な映画ですが、喜三郎始め登場人物ひとりひとりの個性が浮き出る、群像劇の名作だと思います。
派手なドラマはありませんが、閉塞感と無気力に流される住民の日常が、巡礼の登場によって活気づきます。やる気が出るとか希望を見出すとかではなく、相変わらずの日常の中で彼等の個性がクッキリしだします。そして愛憎の果てに殺人が起き、一時の喧騒の後に巡礼が去りどん底は元のどん底に戻ります。住人に誰一人どん底から這い上がった者はなく、最後の饗(狂)宴の果てに役者が自殺し、自然死(鋳掛屋の女房)、殺人(大家殺し)、自殺と「死」の三態が揃います。見事なドラマトゥルギーです。
派手なドラマはありませんが、閉塞感と無気力に流される住民の日常が、巡礼の登場によって活気づきます。やる気が出るとか希望を見出すとかではなく、相変わらずの日常の中で彼等の個性がクッキリしだします。そして愛憎の果てに殺人が起き、一時の喧騒の後に巡礼が去りどん底は元のどん底に戻ります。住人に誰一人どん底から這い上がった者はなく、最後の饗(狂)宴の果てに役者が自殺し、自然死(鋳掛屋の女房)、殺人(大家殺し)、自殺と「死」の三態が揃います。見事なドラマトゥルギーです。
ということで、これは「お薦め」です。
原作:ゴーリキー(どん底)
脚本:黒澤明 小国英雄
出演:三船敏郎 山田五十鈴 香川京子 中村鴈治郎
羅生門(1950)
生きる(1952)
七人の侍(1954)
蜘蛛巣城(1957)
どん底(1957)・・・このページ
隠し砦の三悪人(1958)
用心棒(1961)
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どら平太(脚本)
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