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保阪正康 死なう団事件―軍国主義下のカルト教団 [日記(2014)]

死なう団事件―軍国主義下のカルト教団 (角川文庫)
 保阪正康は、『瀬島龍三―参謀の昭和史』『昭和史七つの謎』に続き三冊目。「昭和史を語り継ぐ会」を主宰する、昭和史のノンフィクション作家の処女作です。

【日蓮会】

 1937年、国会議事堂など5ヶ所で割腹自殺を図る事件が発生し、その5名が「日蓮会(殉教衆青年党)」の信者であり、「死のう、死のう」と唱えながら割腹を図ったため、「死のう団事件」と呼ばれます。

 「日蓮会」は、1927年、江川忠治(桜堂)が弱冠22歳で創立した、日蓮を教義の中枢に据えた教団です。江川は、荏原郡蒲田町(大田区)の生まれで、日蓮宗本山・池上本門寺にも近く、父親が熱心な信者であったように幼少から宗教的環境で育ったのでしょう。江川は、10代の頃から熱心な「法華経」と日蓮の信奉者であり、既成教団の活動に飽きたらず日蓮の教えを広め昭和の日蓮たらんとします。
 
 「死のう団」の割腹現場は、皇居前、国会議事堂、警視庁、内務省、外務次官邸(目指したのは首相官邸)という、日本政治の中枢です。この割腹という耳目を集める奇矯な事件が何故起きたのか、これが本書の主題です。
 「日蓮会」は、宗教が政治に結びつき、出口が無くなった果ての「割腹」です。これがテロにはしれば「血盟団事件」となります。日蓮宗は、血盟団事件の井上日召が日蓮宗の僧侶であり、北一輝も日蓮の崇拝者であったように、政治に結びつき易い宗教のようです。
 宗教が政治に結びつく根底には、「昭和恐慌」による農村、都市の疲弊があり、危機感を募らせる彼等の標的は時の政府であり国家機関であり、国難を訴える先が天皇だったということです。「死のう団事件」も、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、2.26事件という同じ背景の元で起きた事件と言えるかもしれません。

 「死のう団事件」は、行動が外に向かわず、割腹という内に向かう自傷行為である特異性を持っています。もうひとつ著者が明らかにするのは、「日蓮会」を弾圧する官憲との軋轢です。「死のう団事件」の要因は、むしろこちらの方が大きいと言えます。

【殉教千里行】
 その割腹に至る経緯です。街頭演説(辻説法)によって日蓮のように国難を説き、過激な言葉で政府の無策や既成教団の堕落を非難する日蓮会は、最盛期には500人の信者を獲得します。日蓮会はその過激な言動によって、教主江川の女性関係などの誹謗中傷にさらされ、「邪教」「テロ集団」と喧伝され、信者は50人まで落ち込みます。危機感に駆られた江川達28人は、布教の全国行脚「殉教千里行」を企て、神奈川県警に拘束されます。「死のう!死のう!」と連呼する集団の行脚ですから、当時の警察であれば逮捕勾留ということになるでしょう。
 血盟団事件によってテロリズムを警戒する警察(特高)は、江川達に拷問を加えてテロ計画の自白を引き出そうとします。この拷問は女性信者を裸にして暴行するという酷いものです。テロ計画は初めから無かったわけですから、江川達は2ヶ月の勾留の後釈放されますが、この拷問が後々の割腹という行為につながってゆきます。

【餓死殉教の行】
 江川は、この弾圧を「法難」と捉え、鎌倉幕府の弾圧にひるまなかった日蓮を見習って警察と全面的な対決姿勢を取ります。信者とともに神奈川県警を不法監禁、人権蹂躙で告訴します。警察に対する告訴は、当時にあっては前代未聞の出来事でしょう。日蓮会は宗教団体から反権力団体へと変貌を遂げたことになります。不当逮捕を認める警察は、告訴取り下げを江川に要請しますが、剛柔取り混ぜての県警の「語るに落ちた」働きかけと江川の対応は読んで面白いです。
 告訴取下げが不首尾に終わり、県警の日蓮会に対する形を変えた弾圧が始まります。信者はわずか十数人まで減少し、信者は日雇いの土木工事で糊口をしのぐ生活となりますが、死のう団と分かるとそれもままならず、13人の生活は窮乏を極めます。世間から拒絶された江川達は、世間との交渉を断って「餓死殉教の行」と称する籠城生活に突入します。文字通り水と塩以外は一切口にせず、餓死しようという荒行です。

 「餓死殉教の行」の間に侵入者があれば、即座に集団で自殺を図るという約束がなされ、信者の死を見届けた江川が割腹した後、これを見届けた2人が刺し違えて死ぬという壮絶な計画を決めます。さらに8000人の致死量の青酸カリを用意して、信者に携帯させます。
 警察の弾圧は、テロのような官憲に対する外に向けた行動に移らず、死を持って抗議するという内向きの、しかも餓死を選ぶという自虐的方向に向かいます。
 やがて信者から割腹自殺の案が出されます。残る信者のために自殺幇助の罪を恐れた江川は、刃先を一寸しか出さない、絶対に死なない切腹を命じます。そして信者5人による「死のう団事件」が起きます。

 江川忠治(桜堂)は33歳で病死。女性信者3人が薬物を飲んで後を追い、男性信者ひとりが割腹自殺、ひとりは連絡船から身を投げて自殺します。日蓮会は、教主の死と5人の殉死によって幕を閉じます。

 5人の「死のう団」が撒いたビラは『檄』。(死ぬことはありませんでしたが)割腹自殺と合わせると、三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊乱入割腹事件を連想します。かつて、仏教僧によるでベトナム戦争抗議の焼身自殺がありました。我国には「諌死」という伝統もあります。
 「死のう団」事件は、人(あるいは組織)が思想に囚われて行き着く果てのひとつの形だと思われます。

タグ:読書
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中野

三島由紀夫先生は、至誠の憂国の志士である。
by 中野 (2016-10-16 22:19) 

中野

三島由紀夫先生は、至誠の憂国の志士である。
意味不明な宗教を語る団体と、同等に論じる価値は無い。
by 中野 (2016-10-16 22:23) 

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