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澤地久枝 私のシベリア物語 [日記(2015)]

私のシベリア物語 (新潮文庫)
 ロシア革命前夜、ツアーリに反旗を翻しシベリアに流されたデカブリストとその妻たち、シベリア抑留の闇の部分に関わり自死した哲学者・菅季治。このふたりを訪ねるシベリア紀行です。

 ソ連は敗戦と共に武装解除した満州の日本兵及び民間人を労働力として本国に拉致します。抑留者数は60万人とも70万人とも言われますが、その実態は未だ不明です。1950年代中頃には抑留者も帰還は終了しますが、死亡・行方不明者は10%に上ると言われています。
 ソ連は帝政ロシアの時代から囚人を労働力としてシベリアに送っています。デカブリストの流刑地はシベリア。日本兵捕虜の抑留地もまたシベリア。デカブリストの夫をシベリアに追って行った彼らの妻たちと、抑留から帰還後、「徳田(球一)要請問題」という政治の狭間で自死した哲学者・菅季治を訪ねる、言わば感傷旅行です。
 感傷旅行と言っては不遜です。『妻たちのニニ六事件』『火はわが胸中にあり』など、歴史に埋もれた弱者を丹念に掘り起こす著者の、思索の旅です。

 菅季治は、京都帝大大学院・哲学科在学中に招集され、見習士官として満州で敗戦を迎えます。60万ソ連抑留者のひとりとして、中央アジアのカザフスタン・カラガンダのラーゲリで4年間捕虜生活を送り、1949年に復員します。菅が一般の捕虜と違っていたのは、その語学力によって収容所の通訳として働かされたことです。 このことが、後に菅の運命に影を落とすこととなります。

 「徳田要請問題」です。シベリアから帰国した抑留者の中に、帰国が遅れた理由は、共産党書記長・徳田球一がソ連を通じて圧力をかけたという主張をなし、これが国会に取り上げられるという事件に発展します。主張の根拠は、何時帰国できるのかと問う捕虜に対して、徳田が反共産主義の捕虜は帰国させないようソ連に「要請」したという、将校の談話です。これを通訳したのが菅季治でした。菅は国会に証人喚問され、徳田の「要請」を否定します。これによって、菅は共産党寄りの人間と見なされ、政治の世界に翻弄される菅は自殺します。
 誠実な哲学徒が、共産主義を排除しようとするグループ(占領軍?)の仕掛けたワナにかかったようなものです。「徳田要請問題」には、当時の政治状況とともに、捕虜収容所での日本人同士の根深い対立、(帰国のために)ソ連に阿り共産主義を纏ったグループとそれ以外のグループの対立に根差していたと思われます。
 帰国の叶わぬ焦燥のラーゲリの中で、捕虜達は、団結よりも捕虜内部に敵を作ることを選んだのです。彼らは、仲間の前歴をあげつらい、言葉尻を捉えて反動者を見つけ「人民裁判」やつるし上げよってを焦りを中和したのです。
 菅の自殺の背景には、収容所で見てきた人間の醜さに対する絶望があるのかも知れません。

 『満州国演義』の第9巻で、主人公のひとり、満州国高級官僚の敷島一郎がシベリアに抑留され、ラーゲリの日本人同士の支配・被支配の中で自殺するエピソードが描かれました。こうした文脈で読むとよく理解できます。

 著者の『シベリア物語』のもうひとつ物語が「デカブリストの妻たち」です。ロシア皇帝(ツァーリズム)に反旗を翻した将校達とその妻たちの物語です。
 将校たちは全員貴族で、皇帝とともにロシア帝国を支える言わば身内の反乱です。飼い犬に手を噛まれたアレクサンドル一世の怒りは凄まじく、5名が処刑され、121名がシベリアに流刑となります。
 121名中既婚者は23名、23名の妻のうち10名(他に婚約者1名)が夫を追ってシベリアへ向かい、流刑地で夫たちを支えます。子供を伴うことは許されず、親兄弟に預けて夫の後を追います。多くは終身刑ですから、故郷に帰る見込みもなく、子供と貴族の身分・生活を捨てて、夫とシベリアの過酷な生活を選択したことになります。流刑地に行っても、夫と暮らせるわけではなく、わずかの面会と差し入れしか出来ないにもかかわらずです。この夫を気遣う妻の愛には感動を覚えますが、半数近い妻たちがシベリアに向かったというその数字に驚かされます。

 著者は、イルクーツクやバイカル湖周辺の町を訪ね、その荒涼とした風景の中にデカブリストの妻たちをひとりひとり描いて見せます。

 ペトラシェフスキー事件に連座してシベリア流刑となった ドストエフスキーは、流刑地でデカプリストの妻のひとりナターリヤからから助けられ、親交を結んだそうです。
 『罪と罰』のソーニャは、シベリアに流刑となったラスコーリニコフを流刑地で支えます。『カラマーゾフの兄弟』でも、グルーシェンカはミーチャを追ってシベリアの流刑地に向かいます。
 ソーニャもグルーシェンカも「デカプリストの妻たち」だったのです。


タグ:読書
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