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嵐山光三郎 芭蕉紀行 [日記(2015)]

芭蕉紀行 (新潮文庫)
 『悪党芭蕉』がめったやたらに面白かったので、『芭蕉紀行』です。たとえば、

 朝おきてすぐ万年橋の錦絵を目の前におき、冷や酒をのみつつ見つめる。力まずにやわらかく見る。絵のディテイルに話しかけながらぬるい酒を飲む。ゆっくり飲んで三十分ほどするとようやく江戸万年橋渡りはじめるのだ。眠ってはいけない。現実と夢の間をうつらうつらとさまよい、それをくり返すうちに、江戸時代の風光を追体験するのである...。

 という夢と現の間をさまよいながら、芭蕉の故郷伊賀上野への行き、深川をさまよい、「野ざらし紀行(+冬の日)」、「かしま紀行」、「笈の小文」、「更科紀行」、「奥の細道」を旅し、芭蕉のなかに潜り込みます。この潜り込むことが本書の魅力で、芭蕉が西行に潜り込み、光三郎センセイが芭蕉に潜り込みます。たとえば、

田一枚植えて立ち去る柳かな(奥の細道、那須)

 この句は、西行ゆかりの柳を一遍が探したが見つからない、その時柳の精が現れて一遍を柳に導き、一遍の念仏で精霊は成仏した、という故事を読んだものだそうです。

 「立ち去」ったのは芭蕉だというのが通説だそうですが、著者は現地に立ってみて、そうではないだろう、

 柳の化物(精霊)が田を一枚植えて立ち去っていった。早乙女が田植えをしているのを見ているうちにふとそんな情景を幻視してしまった

と「幻視」します。

 『奥の細道』は、曾良の『旅日記』によって、実際の旅に比べてかなり創作された紀行文だというのは、知られた話です。「荒海や佐渡によこたふ天の河」(新潟)も創作で、『旅日記』によると、その日は曇だった。著者によると、『奥の細道』は、歌仙(連句、俳句による連歌)の形式をとった紀行文だそうです。数人によって発句と脇句を繋げて物語を作るように、この紀行文も虚実を織り混ぜて作られた歌仙です。たとえば、

一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月

 この有名な句も、創作、脚色。歌仙には、月、花、恋を読み込むことが定石で、月山の月、象潟のねぶの花が登場し、足りない恋をこの句で追加したわけです。芭蕉が遊女と戯れたとは書いてませんが、『悪党芭蕉』ですからあるいは...。
 芭蕉が五ヶ月にわたる旅から帰ったのは元禄ニ年(1689)、『奥の細道』の清書本が出来上がったのが元禄七年。5年かけてじっくり推敲したのでしょう。
 『奥の細道』の曾良の句も、ほとんどが芭蕉の作だそうです。はじめて知りました。

 『芭蕉紀行』は、光三郎センセイが芭蕉というタイムマシン乗り込んだ時間旅行、幻視の旅です。

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 自筆?の地図が付いています。

タグ:読書
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