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浅田次郎 黒書院の六兵衛 [日記(2015)]

黒書院の六兵衛 (上)
黒書院の六兵衛 (下) 1868年(慶応4年、明治元年)4月の江戸城無血開城を舞台にした時代小説です。
 その前年1867年10月には大政奉還、翌年の1月には鳥羽伏見の戦いがあり、将軍慶喜は幕府軍を捨てて江戸に逃げ帰り、2月には上野・寛永寺で謹慎してしまうという、歴史の転換期が小説の舞台です。
 新政府は慶喜と江戸をどう始末をつけるか。慶喜を切腹させ、江戸を焼き払う強硬論の中、3/13には幕府陸軍総裁・勝海舟と西郷隆盛が会談を持ち、江戸城無血開城を決めます。4/11に官軍は江戸城に入り、慶喜は水戸に去ります。
 尾張徳川家の御徒組頭・加倉井隼人が登場し、江戸城受け取りの先遣隊として城に乗り込みます。御三家の御徒組がなぜ新政府の先遣として江戸城受け取りかというと、尾張徳川家は、幕末には新政府側についているからです。御三家筆頭が将軍を見捨てるほど、幕府の権威は失墜していたわけです。
 加倉井が江戸城に乗り込んだのは、勝・西郷会談の直後と云う設定で、官軍・加倉井に対応するのが 幕府側として勝海舟と福地源一郎(桜痴)。

 加倉井が江戸城にゆくと、ちょっとした問題がおきています。 勝や御留守居役の退去命令に従わず、御書院番・宿直部屋にひとりの侍が座っています。これといって成すこともなく、只座っているだけ。云わば江戸城に籠城しているわけです。腕ずくで連れ出せばいいのですが、西郷の「江戸城明け渡しにおいては、腕ずく力ずくは一切まかりならぬ」と云う了解事項のためそうも出来ず、江戸城受け取りの勅使がもうすぐ来ようかという時期です。慶喜が城を出て謹慎中にも拘わらず、旗本がひとり籠城を決め込んでいては勅使に言い訳ができません。困り果てていた勝は、渡りに船と加倉井と福地源一郎にこの問題を押し付け、『黒書院の六兵衛』が始まります。

 加倉井が何を問おうが、侍は黙って居座っているだけ。やがて侍の正体が判明します。侍は、御書院番士・旗本、的矢六兵衛。御書院番とは、将軍の身辺を守る親衛隊で、謂わば武士の中の武士という誇り高き存在です。幕府が瓦解し慶喜が江戸城から去ったため、書院番士は、寛永寺で慶喜を護る者、官軍に一矢報いるために上野の彰義隊に加わる者、沈む船から逃げ出す者と、御書院番は空中分解。そのなかで六兵衛ひとりは、将軍のいない江戸城に御書院番士として詰めています。その目的とは何か?。

 六兵衛の目的を知るために、加倉井、福地は六兵衛の身辺調査に乗り出します。やがて、六兵衛は的矢という旗本株を金で買って、的矢六兵衛となったことが明らかになります。江戸城に居座る六兵衛は、「本来の六兵衛」一家を追い出し、妻とふたりの息子を連れて的矢家に乗り込んだのです。ところが新しい六兵衛の出自は一切が不明。
 幕府は瓦解し、将軍は江戸城を去り、御書院番組頭はトンズラ、その上の御番頭も行方不明という混乱のなかで、六兵衛だけが御書院番士として江戸城に凛として居座り続けます。

 六兵衛とは何者か、六兵衛が江戸城に居座る目的とは何か。金で旗本株を買った俄か侍から始まって、六兵衛は実は慶喜だ、公家の間者だ天皇の密使だ、イギリスの密偵だと憶測が乱れ飛び、物言わぬ六兵衛をめぐって、加倉井、福地源一郎、勝海舟、西郷隆盛、大村益次郎、木戸孝允など明治維新の立役者が右往左往します。

 六兵衛の正体とその目的の謎を解き明かすミステリの形で、作者は江戸が明治に変わる時代を描いたわけです。主人公である六兵衛は、何も語らず何も行動を起こさず、ただ居座るだけ。空白の台風の目を中心に、時代が渦を巻くという小説です。では六兵衛とは何か?。変革に浮かれ騒ぐ「明治維新」の中で、只ひとつ変わらないもの、徳川三百年間に培われた武士の「魂」でしょうか。言わんとすることは分かりますが、で六兵衛はいったい何者だったの?、浅田さん。


タグ:読書
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