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夏目漱石 門 [日記(2015)]

門門 (岩波文庫)
 前期三部作の三作目です。『それから』では、三千代と一緒になることを決心した代助は、仕事を探すために暑い夏の東京の雑踏に出掛ける描写で終わっていました。続編『門』では、代助、三千代の「それから」が、陽の射さない崖下でひっそりと暮らす宗助とその妻・御米としに投影されます。

【暗い大きな穴】
(宗助は)「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君はようやく気がついて口を噤んでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自分達は自分達の拵えた、過去という暗い大きな窖(あな)の中に落ちている。

 御米の「そのうちにまたきっと好い事がある」という言葉に、宗助こう答えます。『それから』の続編であることを知っている現在の読者は、「暗い大きな窖(あな)」とは、代助(=宗助)が平岡から三千代(=御米)を奪ったことだと了解し、当時の新聞の読者は、代助、宗助の類似とともに、この暗い過去が略奪婚であることを予測する仕組みとなっています。
 世間から隠れるように暮らす夫婦の境遇は、彼等の住まいが陽の射さない崖の下の借家であること、後に交流の生まれる大家は崖の上に住み、大勢の家族に囲まれて賑やかに暮らしていることに象徴されています。役所に勤める宗助は裕福いうわけではありませんが、ふたりの日常は平穏、あるいは幸福と言ってよさそうです。

 宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味く暮した事はなかった。・・・彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。

という、傷を負った者同士がいたわりあう、貧しいが静謐で幸福な生活が描かれます。
 余談ですが、漱石の奥さん鏡子は悪妻として有名、且つ作家は神経衰弱と胃潰瘍に悩まされながらこの小説を書いています。宗助と御米には、漱石の満たされぬ何ものかを見るようです。そう言えば、『猫』は神経衰弱を静めるために書いた小説です。

【三角関係】
 やがて宗助と御米の過去が明らかにされます。御米は、友人・安井の恋人であったことが明かされます。宗助は友人の恋人を奪ったわけですが、その経緯は『それから』の様に詳しくは語られません。
 宗助は京都の大学に入り、そこで安井と知り合い親交を結びます。ある新学期に、安井は妹と称する女性を連れて現れ、この「妹」こそが御米だったのです。

事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易える頃に終った。すべてが生死の戦であった。青竹を炙って油を絞るほどの苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。彼らは砂だらけになった自分達を認めた。けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。

 想像する他はありませんが、『それから』の代助と三千代の様な経緯を経て宗助と御米は一緒になったものと思われます。御米は安井に従って異郷の京都に来たのですから、ふたりの間には愛があったはずです。その御米が宗助のもとに走るためには、それだけの理由があったはずです。漱石は、そういう話は前作『それから』から想像しろと言わんばかりで、何も教えてくれません。『門』は、代助と三千代「それから」ですから、通俗的な三角関係の精算は省略されたのでしょう。

彼らは親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。

ふたりは京都から広島、福岡に行き、友人の引きで東京の役所に職を得、崖下の借家に住むようになったのです。

 宗助は、東京の裕福な家に生まれていますが、親や親類を捨て捨てられたことで、父親の財産を叔父に横取りされます。家屋敷や書画骨董の処分を任せたため、叔父に騙され、手元に残ったのは屏風一枚(双?)だけとなります。この屏風が宗助に新たな悩みをもたらすことになります。
 この叔父に財産を騙し取られる挿話は、『こころ』に引き継がれています。『それから』では、平岡の借金とそれを穴埋めするために代助が三千代に用立てた二百円、『三四郎』では、与次郎に貸した20円と美禰子から借りた30円となります。漱石の小説では、常に三角関係と「金」がセットで描かれるようです。

【門】
 屏風を古道具屋に売り、この屏風を大家の坂井が買ったことで、宗助と坂井に繋がりが生まれ、そこに安井の影が射し始めます。『それから』と違い、安井と御米は正式に結婚していませんから、宗助と御米が通じても姦通罪にはならないわけです。宗助にとってはあくまでも倫理的な問題です。三角関係や離婚など当たり前の昨今と異なり、明治43年の世間の倫理と規範は、宗助と御米に重くのしかかります。何もそこまで思いつめなくても、というのが現代の感想ですが...。

 安井の影から逃れるために宗助は宗教にすがり、鎌倉の禅寺で参禅します。若いころの漱石も、円覚寺で参禅していますから、その時の体験が元になっているでしょう。禅寺で出された公安は、「未生以前本来の面目は何か」というものでした。10日の参禅で公安は解けず、安井の影も払拭できず、

自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲(たた)いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。
・・・彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

 門から閉めだされた宗助はどうなったのか?。顔を合わせることも無く安井は満州に去り、宗助と御米に元通り平安が訪れます。理想的な夫婦を描いた漱石は、ふたりに決定的な結末を用意するに忍びなかったのかもしれません。あるいは、胃潰瘍がそれを許さなかったのかも知れません。 

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