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楊 国光 ゾルゲ、上海ニ潜入ス 日本の大陸侵略と国際情報戦 (2009評論社) [日記(2018)]

ゾルゲ、上海ニ潜入ス―日本の大陸侵略と国際情報戦 加藤哲郎『ゾルゲ事件』に、ゾルゲと周恩来の関係について触れた件があったので読んでみました。著者は中国新聞の元東京特派員。
 タイトルは「ゾルゲ、上海ニ潜入ス」ですが、ゾルゲの上海での活動記録は半分ほどで、後半は副題の「日本の大陸侵略と国際情報戦」、ゾルゲ事件を中国側から俯瞰した本です。ゾルゲ と中国共産党の関係を書いた本は少ないので貴重です。著者はジャーナリストですから、研究書というよりノンフィクション、ドキュメント。誰々がこう書いている、こう言っているという伝聞に基づいていますから、何処までが真実かは不明ですが、おおよその雰囲気は想像できます。章立ては、

 第一章 ゾルゲの家庭とその生い立ち
 第二章 革命の志士─尾崎秀実
 第三章 上海での出合いとその日々
 第四章 ルート・ウェルナーの語る上海(一九三〇~三二)
 第五章 周恩来とゾルゲの秘密会見
 第六章 陳翰笙とゾルゲ
 第七章 王学文とゾルゲ及びその協力者たち
 第八章 東京におけるゾルゲとその諜報活動
 第九章 独ソ戦の警鐘と日本「南進」の予告
 第十章 中共上海情報科と「中共諜報団事件」
 第十一章 ラムゼイの最後の日々
 第十二章 事件の余波

 ゾルゲは、赤軍参謀本部第四部(局)のベルジンの指令で、1930年1月に上海に上陸し、前任の諜報組織を引き継ぎます。表向きの職業はフリーのジャーナリスト。東京でのゾルゲは「フランクフルター・ツァイトゥンク」の特派員を名乗りますから、似たようなものでしょう。与えられた任務は、南京政府の社会・政治構造、軍事力、半南京政府の勢力、英米日の対中国政策、中国の農工業の分析などだったようで、まずは上海クーデター(四・一二事件)で崩壊した組織の立て直しを図ります。1930年代の上海は、
 国内外の多種多様な勢力が奇妙な形で交差し、かつ重なり合うこの国際都市は、その背後に表面から窺い知ることのできない「闇の部分」が大きく広がり、「魔都」とも称されたものだ。
 上海には英米日の管理する共同租界とフランスの管理する租界のふたつの租界があり、治外法権の租界を中心に各国入り乱れての諜報戦が繰り広がられます(たぶん)。

ルート・ウェルナー
 ウェルナーは、夫の転勤とともに上海に来た独共産党員で、スメドレー、魯迅、宋慶齢、丁玲などと交友を結び、スメドレーの紹介でゾルゲに協力するようになります。後に作家となり、自叙伝『ソーニャのレポート』が本書のネタ元です。ウェルナーの仕事は、主にゾルゲグループのために安全な会議場所の提供でしたから、上海でのゾルゲグループの概要を知ることができます。
ゾルゲグループは、

中国:陳翰笙、王学文、方文(共産党員)
日本:尾崎秀実(朝日新聞上海支局)、川合貞吉(上海新聞週報)、船越寿雄、水野成(日本新聞連合通信社)
欧米:スメドレー(ジャーナリスト)、ルート・ウェルナー(独共産党)、パウエル・リム(エストニア)、ヨハン(ポーランド共産党)、マックス・クラウゼン、同アンナ、フランツ(赤軍第四部、無線技士)

 コミンテルン、ソ連、ドイツ、中国の共産党員などの手ヅルでメンバーを集めたものものと思われます。肝心の、ゾルゲとこのメンバー間で何が話し合われ為されたのかは、ウェルナーは知らなかったようで、ゾルゲの周りにはこんな人がいた、と言うに過ぎません。
 このメンバーのうち、尾崎秀実、川合貞吉、船越寿雄、水野成、マックス・クラウゼン、同アンナが東京でのメンバーとなり、ゾルゲ事件で逮捕されています。

周恩来と中共中央特科
 中共中央特科は、1928年周恩来によって設立された共産党の諜報機関で、国民党の「藍衣社」に相当する機関です。
「中共中央特科」は、情報の収集と把握、裏切り者の討伐、逮捕された同志の救出、秘密無線機の設置、などを任務とした。(地下工作者として銭壮飛、李克農、胡底ら)
 周恩来は、1928年、1930年3~9月ソ連(コミンテルン)を訪れ、ブハーリン(政治局員、コミンテルン)と会談しているため、
 彼(周恩来)がコミンテルンやソ連の情報機関と接触、打ち合わせをすることなども十分に考えられることである。こうした経緯からして、周恩来が(は)ゾルゲ機関を含むコミンテルンの中国、特に上海での活動に詳しく、彼らはつねに周の視野の内にあったと言っても過言ではない。(p72)
が、これは憶測です。中共中央特科の指導者である播(瀋)漢年とゾルゲは接触していますから、十分想像される話ではありますが。
 上海の地下工作員であった張文秋(娘が毛沢東の2人の息子と結婚)の『毛沢東の親族 張文秋回想録』によると、周恩来はゾルゲを張文秋に引き合わせゾルゲに協力するように命じた、とあります。周恩来はゾルゲに緊迫した中日関係、国内の政治情勢について語ったようです。張文秋の仕事は、十数種類の新聞を読み、ダイジェストにしてゾルゲに報告することだったようで、ウェルナー同様ゾルゲの協力者という存在です。
 また最近公開されたソ連の情報によると、ゾルゲが上海からソ連に送った電報597通のうち335通が中国側にも送信されているそうです。

 ここから見えてくるのは、ソ連と中国共産党のふたつ情報機関がコミンテルン、ソ連共産党を接点として相互依存・協力している構図です。第五章「周恩来とゾルゲの秘密会見」は明らかに誇大広告でしょう。

スメドレー・サロン
 ゾルゲ、尾崎秀実、ルート・ウェルナー、張文秋、陳翰笙王学文などゾルゲグループの背後には必ずアグネス・スメドレーの名があります。
 コミンテルン党員で経済学者の陳翰笙とゾルゲがどんな活動をしたかは不明です。1932年にスメドレーの指令?でゾルゲと西安に行ったこと(この時ゾルゲは国民党の楊虎城と会ったらしい)、ゾルゲの招聘で1934~1935年東京に滞在したこと(東洋文庫で論文執筆)の他は分かっていません。ゾルゲは1933に日本に来ますから、ふたりは東京で会っていたことになり、一時的には「ゾルゲ東京諜報団」の一員だったことになります。
 後に中共の要職を歴任する王学文についても同様で、ウェルナー家に出入りしていたこと、東亜同文書院の学生、中西功(満鉄調査部、中国共産党員)、西里竜夫(同盟通信記者、中国共産党員)等日本人を組織して反日の「日支闘争同盟」を作ったこと以外不明です。このグループには、後にゾルゲ事件の検挙者に名を連ねる川合貞吉、船越寿雄、水野成が含まれ、尾崎もスメドレーを通じて王と面識があったようですから、ゾルゲと活動を共にしていたものと思われます。

中共諜報団事件

 ゾルゲは、尾崎が入手した「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」の情報を元に、日本軍の南方進出、独ソ戦への不介入をソ連に発信します(バルバロッサ作戦の情報はスターリンが無視した)。この情報によって、ソ連は安心して20師団を極東からモスクワに移動し独ソ戦に勝利します。ゾルゲの諜報活動の最大のものです。

 中国共産党もまた、日本が北進するのか南進するのかについて高い関心を持ち、王学文が組織した「日支闘争同盟」の中西功、西里竜夫に情報収集を命じたようです。1941年11月、中西は尾崎から情報を得るべく東京に向かいます。尾崎は既に検挙されているため会えず、上海に戻った中西は満鉄調査部の極秘資料から、西里は関東軍参謀から、
 ・関東軍は20万を残してその兵力を南方へ派遣
 ・海軍は択捉の単冠湾に艦隊を集結
 ・艦隊は11月下旬南東に出航
という結論を得ます。さらに日米交渉の期限から、日本の対米攻撃は12月7日の「日曜日」であることを割り出し、中央特科(当時は中共上海情報科)の播漢年にこれを伝えます。2005年公開の中国公開文書によると、国民党も池歩州の無線傍受と暗号解読により日本の開戦を掴んでいたようです。ちなみに、山本五十六の搭乗機撃墜も池歩州の暗号解読の成果のようです。
 中西、西里の諜報活動、池歩州の暗号解読は、ゾルゲの情報のように歴史そのものと深く関わっているわけではありませんが、第一級の諜報活動だと思われます。

 ゾルゲ事件公表後の1942年6月、中西、西里は日本の官憲に検挙されます。他に、「支那派遣軍司令部」付情報科長白井行幸、満鉄張家口経済室新庄憲光等が検挙され、上海情報科の程和生ほか中国人も多数逮捕されています。特高の「中西(功)尋問調書」の表紙には「昭和17年 ゾルゲ事件」「ゾルゲ事件中国編」とあり、日本の官憲はこの事件をゾルゲ事件と結びつけていたようです。

 「周恩来とゾルゲの秘密会見」があったかどうか別にしても、上海時代のゾルゲを知るには格好の教材です。上海の特務機関というと「ジェスフィールド76号」が有名ですが、「魔都」上海では日本、中共、国民党、コミンテルン、英米、相乱れての諜報戦があったと想像されます。東京麻布の自宅でクラウゼン、ブーケリッチとともに無線機にかじりつくゾルゲも興味深いですが、上海のゾルゲも刺激的です。

タグ:ゾルゲ 読書
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