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服部文祥 サバイバル家族(2020中央公論) [日記 (2022)]

サバイバル家族
 テントも持たず食料は現地で調達する「サバイバル登山」というものがあるそうです。サバイバル登山家と呼ばれる服部文祥の家族ですから、サバイバル家族。サバイバル登山家の子育て日記です。表紙に描かれのは猟銃と哺乳瓶で、『サバイバル家族』を絵にすればこなります。著者と奥さんの馴れ初めから始まって、基本は長男、次男、長女の誕生と子育ての話です。

経験主義
 子供の誕生からしてワイルド。著者は「立合い出産」を選択します。産室で奥さんの手を握って、という夫婦愛ではなく、

とにかく、自分の遺伝子を受け継ぐ生き物が、自分の選んだ(そして私を選んでくれた)パートナーから出てくる瞬間をどうしても見たかった。

医者の目線で我子の誕生を「見る」のです。著者は登山家ですから、

登山とは経験主義をそのまま具現化した行為だ。死なない程度に苦労することで人は強くなっていく。無色透明で平坦な毎日を重ねるより、劇的な体験にともなう感情の起伏があった方が人生は楽しい。そう信じる夢見る合理主義者が、わざわざ危険な山に足を向けるのだ。

と考える経験主義が、我子の出産に立ち会う=「見る」行為となります。従って、子育ての中核をなすのも「経験」となります。

元服人力旅行
 服部家では、子供が小学6年生になると「元服人力旅行」の儀式が執り行われます。長男は、無理矢理学校を休ませ自転車で1週間の沖縄巡り。次男と長女の「元服」の儀式は凄まじいです。北海道日高山脈の避難小屋を起点に、エゾ鹿を撃ち(猟銃で撃つのは著者ですが)ニジマスを獲り、山に登るサバイバル登山。魚を釣って塩焼きにする位は出来るでしょうが、父親と一緒だとはいえ、小学6年生が鹿を解体するわけです。おまけに半径40kmに人ひとりいない原野ですから、父親が事故にでも遭えば自力で解決しなければならない。という状況での体験は、子供を卒業して大人の世界に足を踏み入れる元服の儀式に、まことに相応しい。

 著者の家ではニワトリを自家孵卵させて飼っています。当然オスも孵るわけですから、オスは若鳥に成長すると「締めて」鶏鍋になります。

モモタローを絞めるとき、秋は泣いていた。小雪(奥さん)も沈んでいた。だが、夕食の時間になると秋(長女)はもう元気になって、美味しそうにトリ鍋を食べていた。
「よく食べられるね」と小雪が言う。
可愛がって育てて、美味しく食べればいいんだよ」と秋が言った。

この親にしてこの子ありですが、こうした経験によって、子供達は鹿を解体して食べるというサバイバルが可能となった様です。

偏差値
 「一家言」を持った父親の教育と見えますが、長男が高校受験に失敗して著者の本音がチラリとのぞきます。ワイルドな「元服人力旅行」で子供に経験主義を教え込み「偏差値と人の魅力は関係ない」と考える著者も人の親。

勉強というカテゴリーで息子を否定されることは、まるで自分を否定されることに似ていた。できのよくない息子を、私自身がどこかで否定しているとしたら、私は息子を通して私自身を否定している。ここにへこみのスパイラルができ上がる。・・・「お前はダメだ」と切り離してしまえば、少なくとも自分は傷付かない。だがそんな台詞は何も産まない。それどころか最悪の一言だ。わかっているのだが……。

「父親」をやったことあるので(今でもいちおうやっている)よく分かります、著者も普通の父親。結局、息子と共にこの失敗を耐えること乗り越えることも人生の「サバイバル」なんでしょう。

 読む順番を間違えたようです。『サバイバル登山家』『ツンドラ・サバイバル』を読んで、服部文祥のサバイバルが分かって →『サバイバル家族』でしょうね。

1.jpg服部家の三兄妹、奥さんによるイラスト

タグ:読書
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