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韓国の前方後円墳(新徳古墳群) [日記 (2021)]

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 韓国の光州博物館で「新徳古墳特別展」が催され、ハンギョレ新聞が「全羅道屈指の国宝級古墳、被葬者は倭人?百済人?」というタイトルで報じています。文在寅政権の御用新聞みたいなハンギョレはこの手の記事が割りと好きみたいです。時々「ノ・ヒョンソクの時事文化財」というシリーズでこうした記事が出ます。

 韓国南部・全羅道に十数基の前方後円墳があることは有名な話です。前方後円墳は、ヤマト王権の権力が地方に延びてゆく指標とされていますから、古墳時代には王権の権力が半島に及んでいたいうことにもなります。「それはマズイだろう」と、真ん中を削って方墳と円墳にしてみたり、それらしい服装品が出ると埋め戻したり、被葬者は倭人ではなく百済人だ!という学説が登場したりです。新徳古墳は、1984年に発見され、1991年盗掘にあい1993年に捕まって戻ってきた服装品が今回公開されたようです。

博物館も盗掘後の9年間に体系的な調査を行い、相当な研究成果を確保した。しかし、30年間も報告書を出さず、出土品の展示もなかった。
理由はいわゆる「倭色」のためだ。二つの山の形の模様を立てる土台を着せた金銅冠や環頭大刀、三角形の鉄帽など、韓国と日本の学界ですぐに倭系だと同意する遺物が続々と明らかになると、4~6世紀に日本を統一したヤマト政権が任那日本府を設置し朝鮮半島南部を支配したとする植民地史観の歴史家や日本の極右の主張の根拠として悪用されるだろうという懸念が生じた。

 同記事は、前方後円墳がヤマト王権が「各地の首長と連合して統一国家を建てた歴史的な指標だとされている」と日本の定説を紹介し、

なぜ倭系の金銅冠や最高級品の刀が中心的な副葬品として出てきたのかについては、論争になっている。数が少なく期間も5世紀末から6世紀初めの50年に過ぎないが、被葬者が倭系の実力者だと解釈する余地が大きい。

とし、

長期的に落ち着いてファクトを蓄積し論議していくには、大衆に前方後円墳の歴史的実情を十分に伝え、被葬者の議論を進めていくべきではないだろうか。近代の民族感情による制約を受ける韓国と日本の学界は、今後互いに交流し、共同理解を探る求同存異の姿勢で会うしかない。

と結んでいます。「ファクト」!、ファクトやロジックよりイデオロギーが上位にくるかの国ですから、ちょっとビックリしました。遺骨も発掘されいる様ですから、DNAを調べれば埋葬者が倭系か半島系か分かると思いますが、学問より政治が優先される韓国では無理でしょうね。この記事は韓国で配信されているのでしょうか →たぶんされてない?。

タグ:朝鮮・韓国
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