映画 ミザリー(1990米) [日記(2012)]
キャシー・ベイツがオスカーとゴルデングローブを獲った映画だと云うことで見てみました。スティーヴン・キングの小説の映画化です。キング原作の映画は「スタン・バイ・ミー」「シャイニング」「ショーシャンクの空に」「グリーンマール」「黙秘」とか数多いです。最近では「ミスト」ですね。
小説「ミザリー」の作家として著名なポール・シェリダン(ジェームズ・カーン)は、人気のミザリー・シリーズを終らせ新しい小説を書き上げて山荘を後にします。
この後、雪にタイヤを取られて崖から転落し、「ミザリー」の熱狂的な読者であるアニー(キャシーベイツ)に助けられます。アニーは元看護師で、両手両足を骨折しイモ虫同様のシェルダンを熱心に看護しますが、アニーにとってみれば、自分専属の小説家を持った様なもの。大好きな「ミザリー」の主人公を死なせ、シリーズを勝手に終了しようとするシェルダンが許せません。アニーはタイプライターと用紙を買って、(小説の上で)死んだ主人公を生き返らせ、「ミザリー」の執筆を強要します?
大抵の解説は、アニーの狂気を取り上げ、ジェルダンを被害者にしていますが、私に言わせれば責任の一端は、一端どころか非は全面的にジェルダンにあります。彼は、「ミザリー」をシリーズ化してアニーを初め多くの女性の(かどうか知りませんが)紅涙を絞っておいて、「ミザリー」に拘っていては作家として行き詰まってしまう、ここらで「ミザリー」を終わらせて次の小説を書こう、と次作を書いたわけです。ところが、アニーはこの次作(untitled)を読んでクソミソにけなすわけです、面白くない!。このuntitledが面白ければ今回の悲劇は起こらなかったわけで、読者が納得するendingを用意せずに「ミザリー」を一方的に終わらせ、次に書いたのが駄作と来れば、アニーでなくとも読者は怒ります。
ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の第2部を書かずに死んでしまいました。死んでしまったから仕方がありませんが、ドストエフスキーが生きていて「カラマーゾフはもう止めた」と言って、第2部を書かずに次に書いた小説が駄作であったら、これは大騒ぎになりません?。第1部で大風呂敷を広げて気を持たせておいて、第2部を書かずに新シリーズ開始ですから、それこそ、机に縛り付けて第2部を無理矢理書かせる、ロシアのアニーが出現すると思います。これは、読者の権利と作家の義務の問題であって、断じてアニーの狂気の問題ではありません。アニーは本好き、読書好きの鏡です(笑。
船戸与一が「満州国演義」を6巻で投げだしたり7巻で中途半端に終わらせたり(個人的趣味が強すぎる?)、村上春樹が「1Q84」のbook4を書かなかったら、それこそ日本中のアニーが船戸与一を村上春樹を襲い、足の1本や2本叩き折ってでも(アニーはやりました)続きを書かせるでしょう...。
コメント 0