映画 シマロン(1960米) [日記(2012)]
『シマロン』には1931年版と1960年のリメイクがあるようで、今回見たのは後者です。女流作家の原作の映画化の様で、やんちゃな夫に手を焼きつつ半生を送った女性の視点で作られたちょっと風変わりな西部劇です。オクラホマを舞台に、30年?にわたる西部開拓民一家の変遷を描いた大作。2時間半の長尺ですが、中だるみもなくよくまとまっています。
この土地の解放というのが面白いです。4月22日の正午を期して土地が開放され、集まった人々は我先に自分の目的の入植地を目指し一目散に馬を飛ばします。早く着いた者が所有者となるという土地分捕り合戦で、ランドラン(ランド・ラッシュ)と言うそうです。初めて知りましたが、こういうのあるんですね。時代と言えば時代、アメリカらしいと言えば言えます。このランドランのシーンは、この映画の見せ場のひとつです。
このランドランに多彩な人物が登場し、ヤッシーのその後の人生にからんできます。
結局ヤンシーはこのランド・ランで土地を手に入れることが出来ず、開拓地に出来た街オーセイジで新聞を発行することとなります。
このシマロンはなかなかの硬骨漢で、インディアン一家の父親がリンチにあって命を落とすと、相手を撃ち殺し家族を引き取ります。後、街の学校がインディアンの子供を受け入れない事態が発生し、シマロンは街の有力者(従って新聞の広告主)に立ち向かいます。後にヤッシーの息子がインディアンの娘と結婚しますが、この映画は珍しくインディアンに対する偏見の少ない西部劇です。
このシマロンはなかなかの硬骨漢で、インディアン一家の父親がリンチにあって命を落とすと、相手を撃ち殺し家族を引き取ります。後、街の学校がインディアンの子供を受け入れない事態が発生し、シマロンは街の有力者(従って新聞の広告主)に立ち向かいます。後にヤッシーの息子がインディアンの娘と結婚しますが、この映画は珍しくインディアンに対する偏見の少ない西部劇です。
ランドラン以来の友人であるトムが石油を掘り当て大富豪となります。トムと街の有力者は、インディアンから石油採掘権を買い占め富を独占しようとしますが、シマロンは自分の新聞でこれに反対する論陣を張ったりします。
オクラホマは、合衆国がインディアンに居留地として永久保証した土地です。この約束を反故にして、オクラホマを白人に割譲していますから、ランドランを契機としたオクラホマの開拓民一家を描く以上、形だけでもインディアンに配慮する必要があったのでしょう。
とまぁ硬骨漢で一家言を持つヤッシーですが、ヤッシーが自分の正義にこだわるほどに、妻セイブラとの距離が開いてきます。セイブラは、何よりも家庭や子供を第一に考え、ヤッシーの行動が理解できないわけです。チラリと女性の影も射します。どうも昔に関係のあった酒場の女ディクシー(アン・バクスター)なんかが登場し、セイブラは心穏やかとはいきません。
家庭不和が原因でもないでしょうが、ヤッシーは5年にもわたって家を空けキューバ独立戦争に加わります。家庭と新聞を放り出して自分の好きなことに血道をあげるヤッシーにセイブラは怒り心頭。結局、セイブラは新聞社を切り盛りし、ヤッシー不在を切り抜けます。
新聞人としての実績やキューバ独立戦争の英雄としての活躍が認められ、ヤッシーはオクラホマ知事に推されます。知事就任のためにワシントンに招かれ、舞踏会で踊る幸福の絶頂のセイブラは、またもヤッシーの我儘によって夢が破れます。知事となって政治の汚濁にまみれることを嫌ったヤッシーは、知事就任を断ります。ふたりの関係は決定的となりり、またもヤッシーはセイブラの前から姿を消します。
とまぁ、「男は仕事だ!」と家庭を顧みない夫がこの時代にもいたのですね。逆に云うと、糸の切れた凧のような夫の帰りを待ちながら家庭や家業を守り通した妻がいたという話しです。街の開拓?周年で銅像を建てる話が持ちがあり、セイブラのもとに意匠の依頼が来ます。で、ライフルを手にしたヤッシーと思しき西部の男と少年の像が建てられます。つまるところ、男は女の掌の上という話かもしれません。
セイブラの元に、ヤッシーから第一次世界大戦に参戦している旨の手紙が届き、おそれを追うようにヤッシー戦死の知らせが届きます。
まるで、NHKの朝ドラですね。大平原に建設された街オーセイジが、時代とともに発展し、石油が出て馬が自動車に変わっていゆきます。ヤッシーとセイブラに仮託された「西部開拓史」です。意外とお薦めです。アンソニー・マンと言うと、『ウィンチェスター銃'73』があります。
出演:グレン・フォード マリア・シェル アン・バクスター
タグ:BSシネマ
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