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映画  地獄に堕ちた勇者ども(1969伊独) [日記(2012)]

地獄に堕ちた勇者ども [DVD]
 原題:The Damned、巨匠ルキノ・ヴィスコンティ。ハーケンクロイツの旗のもとで、退廃、異様、背徳の人間模様が重厚に描かれかます。

 映画は、エッセンベック男爵家の当主にして製鉄会社のオーナー、ヨアヒム男爵の誕生パーティーで幕を開けます。このヨアヒム男爵の製鉄会社の富と権力をめぐる争いに、ナチス第三帝国の伸張が二重写しとなって、ナチズムとは何かを問います。
 パーティーに主要人物が集います。ちょっと整理しておきます。

●ヨアヒム男爵の長男の妻で未亡人のソフィー(イングリッド・チューリン、)、その息子マルティン(ヘルムート・バーガー)
●製鉄会社役員でソフィーの愛人であるフリードリッヒ(ダーク・ボガード)
●製鉄会社の重役で、男爵の甥のコンスタンティン(ナチ突撃隊員)、その息子のギュンター
●男爵家一族であるエリーザベト(シャーロット・ランプリング)、その夫で製鉄会社役員ヘルベルト自由主義者
● 男爵家一族でナチ親衛隊大佐アッシェンバッハ(ヘルムート・グリーム)

だいたいこんなところで、ヨアヒム男爵家一族とナチがカブっているところがミソ。

 パーティーの見せ場は、ヘルムート・バーガー(マルティン)が女装(マレーネ・デートリッヒのまね)して歌う余興です。舞台の袖で不敵な笑みを見せるのがイングリッド・チューリン(ソフィー)。
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 女装のマルティン                 ソフィー

 パーティーの最中に「ドイツ国会議事堂放火事件」が起きた知らせが入ります。この事件をきっかけに、国民の人権が制限されるなどドイツはヒトラー独裁国家の道を歩み始めた事件です。映画がこの「国会議事堂放火事件」から出発していることは象徴的です。
 軍備を拡張する第三帝国に鉄を売り込めば、エッセンベック製鉄と一族の繁栄が約束されます。「国会議事堂放火事件」から、ナチス・ドイツとエッセンベック男爵一族の栄光と挫折の物語が始まります。

 この映画の面白さは、何と言っても奇怪で背徳的な登場人物が繰り広げる愛憎劇でしょう。ソフィーと愛人関係にあるフリードリヒはヨアヒム男爵を(ヘルベルトの拳銃を使って)射殺し、男爵の持株を引き継だ愛人の息子マルティンから社長の座を指名されます(させます)。この殺人は、製鉄会社の権力を握りたいフリードリヒと、ヘルベルトを追放したいアッシェンバッハの利害が一致した挙句の企みです。反ナチのヘルベルトがいなくなれば、アッシェンバッハはエッセンベック製鉄から多額の寄付を引き出すことができるからです。マルティンがフリードリヒを社長に指名するという筋書きを考えれば、母親のソフィーも1枚噛んでいたのでしょう。

 マルティンは、放蕩の挙句にユダヤ人少女との幼児姦事件を起こし、コンスタンティンに弱みを握られ、取締役会を招集して社長をフリードリヒからコンスタンティンに移そうとします。ここでもまたアッシェンバッハが登場し、「長いナイフの夜事件」のどさくさに紛れて突撃隊員でもあるコンスタンティンを殺します。機関銃の引き金を引いたのはまたもフリードリヒ。こうやって、ナチに身を売って権力を維持するわけです。親衛隊のアッシェンバッハは、敵対する突撃隊のコンスタンティンを葬ったわけです。

 富と権力と暴力(殺人)の三題噺がこの映画の根本なのかと言うと、とんでもない、ヴィスコンティが描いたのは裏で蠢く人間の欲望です。さらに、この欲望が思想の意匠をまとうと、例えばナチズムになると云うわけです。富と権力の歪な欲望は、何とハーケンクロイツに似合うことか(別にハンマーと鎌、スター・アンド・ストライプスでもいいんですが)。そして欲望に操られた富と権力と暴力の行き着く先は破滅です。『地獄に堕ちた勇者ども』は1945年ナチス・ドイツの破滅迄は描かれていません、フリードリヒとソフィーの最期で暗示されるにとどまります。

 アッシェンバッハが「おまえは未だナチズムが分かっていない」とか、マルティンが「ナチズムはこの私でも分かった(簡単だ)」と言っています。アッシェンバッハは親衛隊の大佐、マルティンがこう言った時彼は親衛隊の黒服を着ています。マルティンはナチズムを理解して親衛隊に入ったのではなく、犯罪の免責と引換にアッシェンバッハに協力し親衛隊となったわけです。おそらく、マルティンが「ナチズムが分かった」というのはどう云うことでしょう。
 マルティンは、最愛の母親を愛人に獲られ、エッセンベック製鉄の筆頭株主にも係わらず実権はその愛人に握られ、放蕩の挙句に犯した犯罪によって逃げ場を失うという、本人にとっては不本意な状況にあります。
 そのマルティンが親衛隊の制服をまとうことでナチズムを理解し生まれ変わります。ヒトラーはナチズムを「あらゆる活動を拘束し、義務づける法則、一個の世界観」と定義しているそうです。つまり、ナチズムに身を預けると、行動の指針や世界観が手に入るわけで、マルティンは最早悩む必要が無いわけです。ナチズムと云う絶対への憧憬、帰依であり、マルティンという自我の放棄です。思考を停止し、ハーケンクロイツというシンボルに身を委ねることで、マルティンは救われ「ナチズムが分かった」と言うわけです。
 ラストシーンで、欲望と背徳と敗北を親衛隊の黒服という鎧に包んだマルティンは、(自らが死に追いやった)母親とその愛人の遺体に「ハイル・ヒトラー」の敬礼をします。その表情はほとんど恍惚です。

 お薦めかと云うと、ハーケンクロイツやSSの黒の制服にエロチズムを感じる方にもお薦めです。エロティズムの源泉が何処にあるのか発見できるかもしれません。

 こうなると、ヴィスコンティのドイツ三部作、『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』も見ないといけません。ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリングが出演する『愛の嵐』もあります。
 
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 自殺したソフィーとフリードリヒ          ふたりに向かってハイル・ヒトラー

監督:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:ダーク・ボガード イングリッド・チューリン ヘルムート・バーガー

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