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沢木耕太郎 檀 [日記(2014)]

檀 (新潮文庫)
 沢木耕太郎のノンフィクションです。「檀」が檀一雄のことであり、檀一雄は戦後活躍した無頼派の作家であり、『火宅の人』という自分と愛人の関係を書いた私小説があり、女優・檀ふみサンの父親である、という程度の知識しかありません。
 沢木耕太郎は少し読んでいます。対象の懐に潜り込んで自分を語るというのが、このノンフィクション作家のスタイルだと思います。その手法がもっとも幸福なかたちで結実した一冊かもしれません。

 『檀』は沢木耕太郎が対象を取材して三人称で書くのではなく、「わたし」と一人称でヨソ子夫人が夫の檀一雄についてを語り出します。これはちょっと面食らいますが、読み進むうちに違和感は無くなります。不思議なことに(いや当たり前か?)、沢木耕太郎が消えて、ヨソ子という婦人の姿が浮かび上がってきます。

 語られている内容は、一般的な常識からすれば異常とも言える人生です。若い愛人を作って家を出た夫と、5人の子供と残された妻の物語です。しかも、夫は小説家。愛人との関係、妻子との生活を小説『火宅の人』として発表し、ヨソ子婦人は嫉妬と自分の心を素手で掻き回されるような不快感を味わいます。『火宅の人』は読んでいませんが、自分の生活と経験をそのまま書いて、それが小説(私小説)となるのかよく分かりません。暴露小説というなら分かります。檀一雄は、作品が文学全集にもおさめられるような「文学」の徒です。人の有り様を描く作家が、モデルとなった愛人と妻の心中を想像できないわけはなく、それでもなお「書く」という行為が理解できません。小説家なら、想像力を駆使してフィクションとして書けばよさそうなものをと思うのですが。まぁ余談です。

 そうした環境が女性を強くするのかどうか。ヨソ子夫人という人は、檀の放蕩の向こうにあるものを見ているのかもしれません。

 檀の代表作は『リツ子その愛・その死』と『火宅の人』というのが一般的な評価だろう。『リツ子』は亡くなった妻、『火宅の人』は愛人との「愛」を描いた作品だとされている。先妻と愛人を描いたものが代表作とされる作家の妻というのも不思議な立場だが、そのニ作を代表作とすることに私も異論はない。だが、それが「愛」を描いた描いたものというのに対しては、ほんの少し異を唱えたいような気がする。それは、必ずしも、その相手が先妻であり、愛人であるからではない。

 例えば、↓のような記述に出会うと、男としては兜を脱がざるを得ません。これが、「檀が愛人と別れたと感じたのは何時か」と問われた時の答えなのです、しかもTV出演の折ですから。

 それはある夏、私たちが檀に呼ばれて千葉の海岸に行ったときのことだ。・・・軒下の物干し竿に檀と入江さんのものと思われる水着が風になびいていた。私にはそれがとても寂しげで、儚げに映った。そして、二人の仲は終わりかかっているのかな、と思った。
 その水着の様子で、檀はそこでまず入江さんと過ごし、入江さんが地方公演の旅に出たあと、私たち家族を呼んだということがわかった。

 夫と愛人の水着が仲良く風に揺れているのですから、嫉妬の感情が湧き上がって普通でしょう。そこに破局を見るというのは、夫婦ならではの機微かも知れませんが、なまなかな感性ではありません。

 歳月が消し去っているのでしょうが、ヨソ子夫人の語り口に嫉妬の刺々しさは無く、むしろ暖かささえ感じられます。ポルトガルのサンタ・クルスに滞在中の檀が体調を崩したと聞いたヨソ子夫人は、夫を心配して単身ポルトガルに乗り込みます。その時の話です。檀は寝るときは必ずヨソ子夫人を自分のベッドに誘います。ホテルに泊まっても、ツインベッドであれば、ベットをくっつけて一緒に寝ようとします。決して性的な意味ではありません。

 檀には、女性に体に対する癒しがたい飢えのようなものがあったような気がする。その飢えとは、直接性的な欲望に結びつくものではないが、柔らかいもの、暖かいものとしての女性には、常に傍にいてほしいといういう強い欲求があった。触れていたい、触れられていたい。

これを読んで思い出したのが我が家の駄犬です。駄犬と檀一雄を一緒にするのも失礼な話ですが、この駄犬は尻尾や背中を人とくっつけないと眠れないという甘えん坊です。

 無頼派と呼ばれた強面の『火宅の人』も、そうした一面を持っていたわけです。檀も、ヨソ子夫人の掌から逃げ出せなかった孫悟空のようなものかも知れません。檀は愛人と別れ家族のもとに帰り、穏やかな生活が訪れます。やがて檀は肺癌にたおれ夫人に看取られて亡くなります。檀にとっては好き勝手し放題の我儘な人生、夫人にとっては苦労ばかりの人生、だったかというとそうではなく、

さまざまなことはあったが、私の人生の帳尻は合ったような気がする。喜ぶことも悲しむことも含めて多くの経験をすることができた。

 一見苦労ばかりの人生に「帳尻をあわす」この大正10年生まれの婦人に、感心する他はありません。女の強さと云うより、女なの賢さでしょうか。と同時に、この檀ヨソ子という婦人を発見した沢木耕太郎の慧眼に感心します。『火宅の人』を読んでみようかと思います。

タグ:読書
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