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映画(アニメ) 風立ちぬ(2013日) [日記(2014)]

風立ちぬ [DVD]
 DVDが出たので遅まきながら見ました。

 宮崎駿は、『ナウシカ』『紅の豚』を始めとして執拗?に飛行機を描いてきました。その宮崎が、零戦の設計者・堀越二郎を主人公に、堀辰雄の『風立ちぬ』からヒロインを借りてきて戦前の「昭和」をノスタルジックに描いたラブストーリーです。一見ラブストーリーですが、中身は宮﨑アニメの集大成であり、告白録です。

【カプローニ】

 冒頭、二郎は夢の中で自作の飛行機で空を飛び、邪悪な存在によって墜落します。次いで、イタリアの飛行機設計家カプローニの夢と二郎の夢がつながります。飛行機の設計家になりたいと言う二郎に、カプローニは夢を形にするのが設計家だと言い、 

空を飛びたいという人類の夢は 、呪われた夢でもある
飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っている
わたしはピラミッドのある世界(飛行機)を選んだ、きみはどちらを選ぶね(カプローニ)

ぼくは美しい飛行機を作りたいと思っています(二郎)

たぶん、ここに宮崎版『風立ちぬ』の全てが集約されています。

【飛行と墜落】
 二郎の「美しい」ものに対する偏愛は随所で描かれてます。食堂で食べた魚の骨に飛行機の翼の湾曲を重ねて「美しい」とつぶやき、菜穂子(小説では節子)にも「綺麗(美しい)」と言っています。二郎にとっては、飛行機の美しさの延長上に菜穂子の美しさも存在するのではないか。二郎は菜穂子への愛の根底には、飛行機を「美しい」と感じる同じものがあるのではないか、と疑って見たくもなります。

 堀越二郎と堀辰雄、関東大震災から昭和に至る背景は、宮崎駿が借りてきた枠組みです。その虚構の中に登場させたカプローニと二郎の夢の世界こそが宮崎の本音であり、その本音とは『ナウシカ』以来空をと飛ぶということにこだわってきた飛行機に対する偏愛です。宮崎は、『風立ちぬ』でその偏愛を二郎と菜穂子仮託し告白したのです。

 二郎と菜穂子の最初の出会いで、汽車のデッキで風に飛ばされた二郎の帽子を菜穂子が捕まえます。二度目の出会いで、風に飛ばされた菜穂子のパラソルを二郎が捕まえます。また療養のため軽井沢のホテルに滞在する菜穂子に向かって、二郎は紙ヒコーキを飛ばせます。いずれも、菜穂子が「ナイスキャッチ!」と叫ぶように、「飛んだ」帽子屋やパラソルは捕まえられます。菜穂子というヒロインには「飛ぶ」ことがついて回ります。

 飛んだものを捕まえられなかったらどうなるのか、墜落です。冒頭の夢で二郎の飛行機は墜落します。カプローニの三葉三翼の100人乗りの旅客機も墜落し、二郎が最初に設計に参加した戦闘機も、九六式艦上戦闘機の試作機も墜落しています。そして宿命のように、二郎と菜穂子の結婚も菜穂子の死によって墜落します。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っている、とカプローニに語らせた帰結です。

【カストルプ】
 軽井沢のホテルで、次郎はカストルプというドイツ人避暑客に出会います。カストルプは次郎が飛行機のエンジニアであることを見抜き、ユンカース博士がナチスに睨まれていることを伝えまっす。さらに、ドイツも日本も世界大戦に突入することを予言し、日中戦争や傀儡国家満洲、国政連盟の脱退を非難します。カストルプは特高に追われて軽井沢を去り、次郎もカストルプと接触したことで特高に追われます。何故この人物が登場しなければならなかったのか?。
 ひとつは、二郎の生きている時代を説明したかったこと(ずいぶん間接的ですが)、もうひとつは、日本が戦争に突入する時代に、「美しい」飛行機、殺人兵器である戦闘機を作りたいと言っている二郎に対して(宮崎駿自身でもあるわけですが)批判の視点を用意したことです。
 この時代に、ドイツと日本を取り巻く政治の正確な分析を行えるドイツ人として、新聞社の特派員リヒャルト・ゾルゲがいます。このソ連のスパイが、欧米人の集まる軽井沢で諜報活動をした可能性はありそうです。

 このあまり評判の芳しくなかった『風立ちぬ』に、宮﨑駿は何を込めたのか?。宮崎は、美しい飛行機を愛し、「零戦」を設計し多くの若者を死に追いやった二郎に仮託して、美しいものに憧れる罪と罰と、そして再生を描きたかったのではないかと思います。そうした意味で、『風立ちぬ』は宮崎アニメの集大成だと思われます。

監督、脚本、原作:宮崎駿
声優:庵野秀明

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