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織田作之助 夜の構図(1946年5~12月) [日記(2014)]

夜の構図
【昭和17年】
断って置くが、この小説は昭和二十年乃至二十一年の出来事を語っているのではない。昭和十七年八月の出来事なのだ。

 発表は昭和21年の5月~12月ですが、作者は小説の舞台は昭和17年だと断っています。昭和18年に『わが町』が舞台化され、それがきっかけで劇団の女優・輪島昭子と同棲が始まります。『夜の構図』は、『わが町』が舞台化されたため、原作者の織田作が上京し、劇団の女優・輪島昭子と知り合う顛末を描いた小説です。
 昭和19年8月に愛妻・一枝を亡くし、4ヶ月後にはこの輪島昭子と同棲しています。織田作の最期を看取ったのはこの輪島昭子です。
 
 織田作は、『可能性の文学』で私小説を批判し、小説には偶然と虚構が必要だと書いています。昭子との顛末を描いた『夜の構図』に彼の小説論、文学論がどの様に現れているのか、興味のあるところです。

【ジュリアン・ソレル】
 東京のホテルに滞在する信吉(織田作)は、同じホテルに滞在する19歳の伊都子と押しかけられるように関係を持ちます。伊都子には婚約者がいるのですが、押し付けられた結婚を嫌って信吉に身を任せるという設定です。原作者として劇団の稽古を見に行った信吉は、そこで大部屋女優の冴子(輪島昭子)を見染めます。舞台は、原作に無いラブシーンが付け加えられ、信吉は自尊心を傷つけられます。信吉がどうやって立ち直るかというと、

明日あの女をホテルへ来させることが出来なければ、俺は二重に自尊心を傷つけられることになる・・・江口冴子を俺に惚れさせるのだ!

 簡単な話で、自分の原作を改変された腹いせに、劇団の女優を口説こうというのです。これは、『赤と黒』のジュリアン・ソレルの影響下にある織田作の常套です(『青春の逆説』にもありました)。女優を口説き、一方で行きずりの情事を持つ信吉を作者自身はどう見ているかというと、

須賀信吉という男は、女たちのいわゆる神経質な表情と、放心したようなキョトンとした虚ろな眼や笑った時の眼尻の皺から感じられる子供っぽい表情と、二つの表情の交錯する顔を持っていた。
 それに、都会人らしく、はにかみ屋で、人なつこく、気が弱そうで、ふと冷酷なところもあり、そしてまた、軽薄に見えるくらい陽気で明るいかと思うと、急に深い憂愁に閉ざされていたり、純情かと思うと、凄い女たらしに見えたり、……時と場合でぐるぐると表情が変り、印象が違うので普通の平凡な男に飽いている女にとっては、ちょっとした魅力のある男であった。

これは織田作の自己評価(自惚れ)ですね。

【流行作家】
 織田作は、自虐的にデカダンを装った女たらしを読者の前に晒して見せ、こんな男を信用してはならないと説教をしながら読者の好奇心をくすぐってみせます。この時期織田作之助は4本の連載小説を書いています。

それでも私は行く』(京都日日新聞 4/25~7/25)
『夜の構図』(婦人画報 5月号~12月号)
『夜光虫』(大阪日日新聞 5/24~8/9)
土曜夫人』(読売新聞 8/30~12/8)

 昭和21年、織田作は流行作家となって、サービス精神旺盛な小説を量産し始めます。いずれも、作者の分身と思しき青年が登場する風俗小説です。『それでも私は行く』では京都の花柳界を舞台に作者自身を登場させるという奇手を使い、『土曜夫人』では十数人の人物を登場させ、主人公不在の新機軸で読者を煙に巻きます。
 『夜の構図』はと云うと、若い小説家のプレイボーイを登場させ、ホテルを舞台に、戦時中であれば発禁間違いなしの色模様を描いてみせます。

 作者は伊都子にこんなことを言わせます、

あたし、どうせだれかと結婚するかも知れないけれど、そのひとのために処女のままでいなければならないなんて、自分を男の奴隷にしているようなものだと、思うわ。でも、これは自分の気持だけの問題だわ。世間や男のために、きれいでおりたいとは思いたくないわ。自分が好きで汚したことだから後悔しないわ。いいえ、あたしは汚れていないわ。あたしは自由よ。

現在であれば噴飯物のこのセリフも、昭和21年の「婦人画報」の女性読者を意識した作者のサービスです。

最終章で、

冴子はその夜遅く家に帰った。そして、その夜のうちに、どう口説いたか母親を説き伏せ、一晩中掛って荷物をまとめた。身の廻りのもの一切、冬の着物、夜具、買い溜めていた靴、帽子のたぐいまで、持って行くことにしてチッキにして、劇団への挨拶、友人との別れ、町会への異動申告、みんな一人で半日かけずり廻って済ませ、信吉と汽車の中で食べる弁当まで自分の手で作って、駅へかけつけた。

 『夜の構図』は、男性側から見れば、大阪の小説家が東京で猟色するうちに、そのひとりに捕まったという話に過ぎません。「婦人画報」の女性読者から見れば、婚約者がいるにもかかわらず行きずりの男と関係を持つ女性、職業と肉親を投げ打って惚れた男に付いて大阪に下る女性の行動力と新しいモラル?の登場となります。
 そうした意味では、女性読者を意識した小説です。

【もうひとつの構図】
 ところが、これを表のストーリーとして、裏にもうひとつのストーリーがくっついています。自称元衆議院議員・蜂谷重吉と劇団所属の「新内語り」のふたりの男です。
 信吉はホテルのロビーで蜂谷重吉と偶然出会い、新聞の暗号を教わります。

三五二号室という数字と午後三時という数字が出ますね。これは三五二号室へ午後三時に訪問すると、美人が歓迎してくれるという暗号ですよ

 何故こんな挿話を挟む必要があったのか?
 『夜の構図』の舞台はほぼ「第一ホテル」です。東京中が焼け野原にだった昭和21年に、ホテルを舞台に小説家の情事と恋が描かれ、さらに、ロビーに備え付けられた新聞の暗号を解くと、ホテルの一室には美女が待っている!という何とも奇想天外な枠組みです。

 猟色家の信吉はこの暗号の部屋に美女を訪ねようとしますが、伊都子や冴子が現れて常に目的を遂げることが出来ません。この暗号の話は何度も登場し、読んでいる方が煙にまかれる話しです。ところが、劇団の「新内語り」という男が現れてこの謎が次第に明らかになります。352号室にいる美女とは「新内語り」の妻だというのです。妻が蜂谷重吉と不義密通をはたらいたため、「新内語り」が考えた懲罰だというのです。
 小説の舞台、昭和17年は旧刑法の姦通罪が生きている時代です。「新内語り」はふたりを訴える代わりに、

もっと残酷に二人をいじめてやろうと思って、考えついたのが、第一ホテルのロビイの新聞の暗号なんです
まず、女房は新聞の暗号によって、毎日誰か一人を相手に姦通しなければならない。蜂谷はその暗号を人に教える義務がある。もっとも、誰も女房の待っている部屋へ行かない時は、蜂谷が行かねばならない

という復讐を考えたわけです。彼は、「新内語り」は信吉に、あんたは奥さんに姦通されたことがあるかと問い、

信吉は正式の結婚はしなかったが、女と同棲した経験はあった。その女は信吉と同棲する前に、何人かの男があった。おまけに、信吉と同棲中、他の男と関係した。信吉は嫉妬で苦しんだ。が、その女は半年ほど前に死んだ。死んでしまうと、女の美しいところばかりが想出として残った。女の写真と戒名と、そして美しい想出――それだけで女を想い出していると、もうその女が何人もの男の手垢に触れた女だとは、思えず、嫉妬の感情も何か遠い想いに薄らいでしまっている。が、やはり、人一倍嫉妬の苦しみは判るのだった。

 ちらりと「織田作之助」が覗きます。この信吉の告白を織田作に当てはめてみると、同棲の相手は宮田一枝ということになります。織田作は、三高時代、カフェ「ハイデルベルヒ」の女給・宮田一枝と出会い同棲を始めます。一枝は生活のために女給として働き出し、織田作は嫉妬に苦しんだようです。その時の織田作の嫉妬が小説に現れると、『競馬』やこのエピソードとなります。

 但し、この嫉妬の話しはつい出てしまった本音で、作者が書きたかったのは、ホテルの一室で美女が待っているというミステリアスな雰囲気です。

 『夜の構図』は、舞台を昭和17年に設定し、昭和19年の自分の体験、輪島昭子との出会いを書いた昭和21年の小説です。戦争中の抑圧が外れて価値観が一変し、坂口安吾が「堕ちよ!」と『堕落論』を書いた昭和21年です。作者は、ホテルという新しい舞台で、戦前のモラルを葬るかのようにデカダンな男女関係を描いたわけです。

 新聞、雑誌に連載された『それでも私は行く』『夜の構図』『土曜夫人』の3本の小説は(『夜光虫』は未読)、あまり出来の良くない風俗小説で、お世辞にも作者が『可能性の文学』で主張した「文学」とは言えません(『土曜夫人』は未完)。織田作が生きて書き続ければ、これら風俗小説を超えて自ら主張するような『可能性の文学』を書いた、と思いたいです。

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