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kindleで読書 遠藤周作 黄色い人 [日記(2014)]

白い人・黄色い人
 『白い人』では、神と虐殺が相対化され宗教の存在基板が問われました。『黄色い人』は、宗教が異文化に絡め取られてゆくことで、これも宗教の存在基板を問います。
 主人公は東京の医学生「私」、時代は、紀伊半島から侵入したB29が本土を空襲しますから、1945年頃と考えられます。舞台は阪急今津線の仁川(にがわ)。

 小説は、「私」の独白(ブロウ神父に宛てた手紙)とデユランの日記から成り立っています。
 「私」は肺結核で余命6,7年、療養を兼ねて叔父の病院を手伝うために仁川に戻ってきます。「私」を中心に、「私」が洗礼を受けた教会の神父ブロウ、元神父で教会を破門されたデュラン、糸子、キミコの存在が渦巻き、日本人という風土がキリスト教を受容する(あるいはしなかった)姿が描かれます。

 「私」とデュランの「罪」を通じてこの姿を描き出します。「私」は友人/佐伯の許婚者である糸子を犯し、デュランは、教会が引き取ったキミコを犯します。デュランは神父の職を剥奪され、日本に帰化し、ブロウ神父のなさけでキミコと生活しています。「私」が犯した情欲の罪とデュランが犯した情欲の罪が語られ、「私」の罪がデュランの罪を浮かび上がらせるという構図です。

この聖母女学園の学生のまだ固い、しかし白く新鮮な体だけには、ふしぎに死の臭いがありませんでした。
罪のくるしさも良心の呵責も感じません。佐伯にたいしてすまないという気はありましたが、暗い傾斜をころげていくどうにもならぬ気持です。

と「私」は告白しています。連日の空襲と、肺結核による死の影に怯えながら、「死の臭い」の無い糸子を犯し糸子に同化することで死から逃げようとしたのでしょう。糸子は、連日の勤労奉仕に倦み、許婚者が特攻隊員として死ぬ運命に抗うように、「私」との関係を続けます。

 一方デュランは、憐憫の情でキミコと関係を持ったと日記で告白します。キミコは、昭和13年(この小説では12年)の阪神大水害で親兄弟を亡くし、自身もまた奉公先のトルコ人によって妊娠させられたという状況下でデュランと出会います。デュランは、キミコを教会の雑用係として保護し、過ちを犯します。

「神父さん、あんな不潔な娘、いつまでおきはりまんの」
私は、はげしい怒りをこれらの女たちに感じた。彼女たちは、あのルカ聖福音書にとかれている、病者をみすてたレヴィ人たちの種族なのだ。

 信徒の圧力で、デュランは教会から去るようにキミコに申し渡し、キミコは睡眠薬自殺を図ります。

(主よ。この孤独な女を……)  けれども彼女は決して孤独ではなかった。私たち欧洲人が好んで絶望や孤独とよぶあの芝居がかった、ドス黒く歪んだ影はどこにもみつけることはできなかった。にも拘らず、無感覚な能面にも似たこの東洋の女の面貌ほど、神と隔たった顔はなかった。

デュランがキミコを抱いた理由は、情慾、憐憫ではなく、神と隔たった「無感覚な能面にも似たこの東洋の女の面貌」だと告白しています。聖職者のデュランが、神の存在すら意識していないキミコ=「黄色い人」の正体を見極めるためにキミコを抱いたというのです。正体を見極めるために「抱く」必要は無いと筈ですから、デュランの内部では、冒頭で「私」が記した

結局、神父さん、人間の業とか罪とかはあなたたちの教会の告解室ですまされるように簡単にきめたり、分類したりできるものではないのではありませんか。

黄色人のぼくには、繰り返していいますがあなたたちのような罪の意識や虚無などのような深刻なもの、大袈裟なものは全くないのです。あるのは、疲れだけ、ふかい疲れだけ。

と云う、キリスト教の背景である「人間の業とか罪」「虚無」「孤独や絶望」という概念が崩壊していたと言えます。デュランの内部では、東方の島国でキリスト教を布教する間に、「白い人」がすり減っていたのでしょう。

私はキミコを犯すことによって彼等の魂の秘密をさぐりあてたのだ……。 「そうさ、勿論そうさ。だが君は日本人が神々はもったにしろ一つの神は絶対に持たなかったことを忘れているよ」

彼等日本人は神なしにすべてをすまされるのだった。教会も罪の苦しみも、救済の願望も、私たち白人が人間の条件と考えた悉くに無関心、無感覚に、あいまいなままで生きられるのだった。これはどうしたことなのだ。

日本という異文化にデュランが敗れた(キリスト教からの転向?)告白です。

 クリスマスの夜の空襲によって、糸子とデュランは死に、「私」は生き残ります。デュランは死ぬことによって罰っせられたのか、あるいは救われたのか?。「私」は生き残ることで救われたのか、糸子を失ってふかい疲れだけを引きずって生きてゆくことで罰っせられたのか?。

 宗教が異文化に絡め取られてゆく小説です。『黄色い人』の延長線上に、神の存在を問う、転向論の『沈黙』があると言えます。

タグ:読書
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