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映画 地獄門 デジタル・リマスター版(1953大映) [日記(2015)]

地獄門 【デジタル復元版】 [DVD]
 平治の乱から幕が開きます。平治の乱は、院の公家の争いに源氏と平家が荷担して、平家が勢力を伸ばす元となった乱です。そういう時代の話。

 北面武士、遠藤盛遠(もりとう、長谷川一夫)は、敵を引き付けるために・上西門院( 後白河上皇の姉 )の身代わりとなって逃亡する女房・袈裟(京マチ子)を助けます。平清盛側に付いた盛遠は、厳島神社に詣でている清盛に乱を知らせ、平家勝利のきっかけを作るという手柄を立てます。
 論功報奨で、何でも好きなものをやると清盛に言われた盛遠は、袈裟を望みます。盛遠は、袈裟に一目惚れしていたわけです。京マチ子は、溝口健二の『雨月物語』で死霊を演じていますが、『地獄門』の京マチ子も似たようなものかも知れません。ゾッとする美しさで、盛遠が魅入られたのも分からないこともないです。
 ところが袈裟は御所を守る武士・渡辺渡(わたる、山形勲)の妻であり、権力者清盛といえどどうしようもないわけです。普通だったらここで諦めるわけですが、盛遠が諦めきれないんですね。これを未練と呼ぶか情熱と呼ぶかで、映画の見方がコロリと変わってきます。
 袈裟はというと、 夫がある身で言い寄られるわけですから迷惑至極。夫の渡辺渡は、紳士然として受け流します。こういうのを横恋慕というのでしょう。盛遠は粗野でスマートさに欠ける人物として描かれ、見ていて、おいエエカゲンにしろと言いたくなります、映画の主人公としては異質の存在です。以下ネタバレです。

 盛遠は、全てを捨ててもいいから俺のものになってくれと袈裟に迫ります。清盛から恩賞を貰うくらいですから、相応の身分です。その盛遠がすべてを投げうつと言うのですから、その情熱たるや半端ではありません。それでも承諾しない袈裟に、オレのものにならないのなら、オマエも夫も親族も皆殺しにするゾと迫り、ついに袈裟は承諾します。では早速渡を殺そうということになって、午前0時に夫の寝所の明かりを消すように言い渡します。何しろ京マチ子さんは魑魅魍魎ですから、この時点で夫殺しを決心したのだと思いました。

 盛遠は、灯の消えた寝所を襲って渡を切り殺します。やったと思ったのですが、斬り殺したのは袈裟本人でした。袈裟は、身代わりとなって夫の寝所で盛遠を待っていたのです。貞女の鏡です。

 袈裟を殺してしまった盛遠は、渡に殺してくれるように頼みます。渡は、妻が自分を信頼して打ち明けてくれなかったことを恨み、オマエを殺しても後に残ったオレはどうなるんだ、と盛遠を殺しません。妻に横恋慕した盛遠に妻が夫の身代わりとなって殺されたのですから、スキャンダルです。盛遠を殺しても、妻に裏切られた、妻の信頼を得られなかったというスキャンダルを抱えて、どうして生きながらえようと言うことです。盛遠を生かすことで、渡は被害者の立場を選択したのでしょう。
 袈裟は、事の次第を夫に告げ、ふたりで盛遠を迎え討つ選択肢もあった筈です。何故そうしなかったのか?。袈裟の心の何処かに、すべてを捨ててでも自分を慕う盛遠に対する想いがあり、盛遠と夫と両方を生かすためには自分が犠牲になるほかはないと考えたのでしょう。

 盛遠は髷を切って出家を決心します。オイ、出家すれば殺人罪はチャラか?という幕切れです。

 人妻に惚れてこれを奪おうとする盛遠、夫と盛遠の間で死を選択した袈裟、妻を殺した盛遠を活かした渡。三人三様の行動をどう評価するかです。そうした意味で、この逸話を芥川や菊池寛が取り上げたのでしょう(読んでませんが)。悲劇ですから、シェイクスピアが知っていたなら絶対に舞台にしたでしょうね。

 アカデミー賞の衣裳デザイン賞と外国語映画賞、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞だそうです。今回見たのは「デジタル復刻版」で、色が綺麗でした。

監督:衣笠貞之助
原作:菊池寛
出演:長谷川一夫 京マチ子 山形勲
タグ:BSシネマ
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