映画 狼の時刻(1968スェーデン) [日記(2015)]
北海の孤島から男が姿を消し、その失踪の謎を妻が語るというホラー・サスペンスです。
画家のユーハン(マックス・フォン・シドー)は、妻のアルマ(リヴ・ウルマン)と共に島の一軒家で暮らし始めます。思うように描けず 、経済的にも追い詰められる暮らしが続くなかで、ユーハンは次第に精神の均衡を失ってゆきます。
ユーハンは村人のスケッチをいくつかアルマに説明します。帽子をとると共に顔が剥がれる老婆、鳥男(魔笛のパパゲーノ)、蜘蛛男。この不思議な人物が後に登場してユーハンを苦しめますから、この時点でユーハンの狂気は始まっていたことになります。
アルマは、
そっくりになるのよ
考えることだけじゃなく 顔つきまでも
なぜかしら?
そんなふうになるまで連れ添いたい
同じことを考えー
しなびたシワだらけの顔がそっくりになるまで
あなたは?
とユーハンに問かけ、自分の殻に閉じこもるユーハンは何も答えず寝てしまいます。この「長年一緒に暮らした男女は似てくる」と云う言葉は、映画の中で3回繰り返され、この映画の重要なモチーフとなっています。
ユーハンとアルマは、島の持ち主の男爵に夕食に招待され、ユーハンは招待客たちの会話に翻弄されます。夕食の後、人形劇『魔笛』が上演されます。舞台で演じる人形は、よく見ると小さな人間。どこかで見たシーンです。スタンリー・キューブリックの『シャイニング(1980)』で、主人公の小説家が、模型の迷路庭園の中で迷う妻と息子を発見するシーンと同じです。『シャイニング』は、雪に閉じ込められたホテルで、小説家が狂ってゆく物語です。
こうやって見ると『シャイニング』は 『狼の時刻』のリメイクの様にも見えます。
『シャイニング』では、小説家を狂気に駆り立てものは、ホテルに巣食う霊だというのがオチでした。では『狼の時刻』のオチとはなにか?。
アルマは、「愛する人と長い間生活を共にすると、考え方や感受性が似てくる、終いには幻想まで共有するようになる」と語っています。従って、ユーハンと長年連れ添ったアルマもまた、精神の均衡を失っていたということです。アルマの不安な顔のクローズアップからそれが見てとれます。アルマの語る夫ユーハンの狂気の物語は、狂ったアルマが語る現実と幻想の交差した物語だと思われます。
ユーハンは、男爵の城でかつての恋人に出会い、家に帰って何時間も日記を付けた後森に消えます。後を追ったアルマは倒れているユーハンを見つけ抱き寄せます。と、突然、男爵たちが現れユーハンに暴力を振るいます。ユーハンが血を流すシーンに移り、次に池?から這い上がろうとして力尽きたユーハンの姿が挿入されます。ユーハンは男爵たちに殺されたのではないか?。但し、男爵たちにはユーハンを殺す動機が存在しませんから、これはすべてアルマの幻想です。
この映像が何故存在するのか?、です。画面には、池か崖から這い上がろうとして力尽きたユーハンの片腕が写っています。アルマは、何かを拾って手にします。アルマが拾ったものは、ユーハンを殺害した凶器ではないかと思います。そして画面は最後のアルマの独白へと続きます。
ユーハンを殺したのは誰か?。
アルマは、ユーハンを殺し夫殺しの現実から逃れるために、ユーハンは男爵たちに殺されたのだという幻想を生み出したのです。
では、ユーハン殺害の動機は何か?。
ラストで、「あとひとつだけ」と言ってアルマが話し出します、
もし私が情けの薄い女なら 夫を守ってあげられた?
それとも愛が足りないから嫉妬に振り回されたの?
・・・夫婦の絆を感じていた あの人もそうだったわ
言ってくれたもの
ずっと一緒にいてあげれば・・・
アルマは、「何か恐ろしいことが起こりそうな気がする、男爵たちはアルマからユーハンを奪おうとしている、絶対に離れない、ずっと一緒にいる」、とユーハンに告げています。
アルマは、自分から離れてゆくユーハンを、永遠に己の元に留めるために殺、したのです。
という偏見に満ちた解釈が可能かどうか、あまり自信はありません。こういう解釈でもしないことには、フラストレーションがたまります。でお薦めかというと、ベルイマンですからエンタメ性はゼロ。夫殺しを晦渋なストーリーと解像度悪いモノクロで見せられても、たいして面白くはありません。象徴性強い映画が好き人には、面白いかも知れません。
出演:マックス・フォン・シドー, リヴ・ウルマン, イングリット・チューリン
2015-05-14 09:13
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