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映画 エレファント(2003米) [日記(2015)]

エレファント デラックス版 [DVD]
 1999年4月にコロラド州コロンバイン高校で起きた銃乱射事件を描いたものです。事件は、同校在学の二人の少年が銃を持って乱入し、12名の生徒と1名の教師を射殺し20数名に負傷を負わせ、自殺します。

 事件を映画や小説にする場合、2通りの方法があります。事件を解釈する方法と、事実をありのまま描き、解釈は観客なり読者に任せるという方法です(ドキュメンタリ)。
 『エレファント』は、俳優が演技する映画ですが後者に近い形をとっています。

 どんな行動(この場合は犯罪)にも理由がある筈です。理由の無い行動は人を不安に陥れます。我々は、行動を解釈し理由付けし類型化し納得します。

 『エレファント』に於いて、制作者は、事実をありのまま観客の目に曝し解釈はどうぞご自由にと言っているようです。さあ、われわれ観客はどのように『エレファント』を解釈、あるいは鑑賞すればいいのでしょうか。

 映画は大きくふたつに別れます。犯人と犠牲となった高校生の日常が描かれる前半と、犯人たちが高校に乱入して殺人を実行する後半です。

 前半で、犯人のひとりアレックス(アレックス・フロスト)の銃乱射に至る動機のようなものに少しだけ触れられています。「虐め」ですが、大きくは取り上げられていません。むしろ、授業、クラブ活動、課外活動、女生徒のたわいないお喋りなど、高校生のありふれた日常が幾分間延びした映像で描かれます。後半の惨劇を、劇的に見せるための効果を狙ったものかもしれません。あるいは、日常はいともたやすく非日常(銃乱射)に飲み込まれるという、その落差を狙ったものかも知れません。

 銃乱射事件を起こすアレックスとエリック (エリック・デューレン)の日常も描かれます。アレックスがピアノを弾く横でエリックがパソコン・ゲームに興じるという情景です。ピアノから流れるのは「エリーゼのために」。血なまぐさい犯罪にはおよそ相応しくない曲です。
 宅配便で荷物が届き、箱の中からライフルが現れます(アメリカでは、通販でライフルが買える!)。まるで玩具か何かのように、ふたりはライフルを持ってガレージに向かい試射を始めます。
 決行の日、アレックスはエリックに 「楽しめ」と言い、エリックは「今日は死ぬ」と言います。

 後半の銃乱射事件も、R15指定のようなシーンはありません。戦闘服に身を固めたアレックスとエリックは、高校に向かいます。建物から出てきた同級生のジョン(ジョン・ロビンソン)に、地獄を見ることになるから入るなと警告します。ジョンは、映画の冒頭から登場していますが、その役割は不明。ジョンは、映画の視点でもなく、高校生の典型でもなく、見逃す理由さえ明らかにはなっていませんが、犯人に見逃されたという一点にその存在理由があるのかも知れません。

 後半に至っても、事件の動機らしいものはほとんど見えてきません。事件は突発的なものではなく、綿密に計画されたものであることが分かります。襲撃場所を下見し、見取り図を作り、ふたりはそれぞれの役割分担を決めて実行します。爆発物を仕掛け、出口を塞いで逃げ惑う生徒を射殺する計画だったようですが、爆発は起きず、ふたりは「獲物」を求めて廊下を進みます。
 エリックが校長と出会うシーンには、彼らの動機が窺えます。エリックは、虐めの相談があれば親身に対処せよと校長に言っています。できないなら殺すと言い、結局は校長を射殺します。それ以外エピソードらしいエピソードもなく、(エリックがやっていた)パソコンのシューティング・ゲームの様に淡々と射殺します。やがて二人が出会い、アレックスは突然エリックを射殺してしまいます。これについても、何の説明もありません。
 
 この映画の粗筋を書いてもほとんど意味を持ちません。『エレファント』というタイトルについて、wikipediaにはこうあります。

 一つは“Elephant in the room”という慣用句に基づいたもので、これは誰の目にも明らかな大きな問題があるにもかかわらず、それについて誰も語ろうとせずに避けて日常を過ごすとの表現からの引用である。
さらには「群盲象を評す」ということわざ。

 私もまた巨象を撫でる群盲のひとりにしか過ぎないようです。

監督:ガス・ヴァン・サント
出演:アレックス・フロスト エリック・デューレン ジョン・ロビンソン

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