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小森陽一 大人のための国語教科書 -あの名作の"アブない"読み方! [日記(2015)]

大人のための国語教科書 あの名作の“アブない”読み方 (角川oneテーマ21)
 「あの名作」とは、『舞姫』『こころ』『羅生門』『永訣の朝』『山月記』の5編で、5時限の授業のスタイルをとっています。この5編は 、見事に高校の「現国」で習いましたが、あまり熱心な生徒ではなかったので、通り一遍の理解しかありません。「漱石「こころ」100年の秘密」で斬新な読み方を教えて貰った小森センセイですから、この定番の小説をどう料理するのか?。
 本書は、教科書の指導要領に現れた模範的な解説、解釈を取り上げ、小森センセイが「異論、反論」をもの申すというスタイルを取っています。

《二時限目 先生の「愛」の告白-夏目漱石『こころ』

 まずはお馴染みの『こころ』です。
 『こころ』は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部から成り立っていますが、教科書は揃いも揃って「先生と遺書」、しかもKの自殺と遺書までしか取り上げていないというのが、異論の第一です。
 つまり、『こころ』を恋愛と友情の二項対立として捉え、Kを自殺に追い込んだのは先生だとしたうえで漱石は人間のエゴイズムを説いたのだ、というのが指導書の趣旨です。 前の二章を無視して「先生と遺書」の一部だけを取り上げるのこは、都合のいい所だけ切り取った剽窃ではないかという批判です。

 その切り捨てられたひとつが、先生の自殺と乃木大将の殉死です。先生は乃木大将の殉死を聞き、明治という時代に殉じるが如く自殺します。この明治に殉じるというのが全く分からなかったのですが、小森センセイは「同性愛(ホモソーシャル?)」をキーワードに謎解きをします(ホモセクシュアルの小説ということでは無い)。
 殉死とは、主君の死に殉じることですが、その背景には、主君と家臣の男同士の情愛=同性愛があるというのです。確かに、戦場に寵童を連れてゆくのは当たり前のことであり、日本文化(武士道)の中に同性愛は脈々と流れていたことは事実です。『こころ』で、先生とK、先生と「私」の関係は、この同性愛的な情愛によって結びついた関係だというのが小森説です。Kは異性愛と同性愛のせめぎ合いのなかで自殺し、乃木の殉死によって、先生は、Kの愛を裏切った罪を深く意識し自裁したというのです。Kの死への遅れた殉死だったということです。なるほど、乃木大将の殉死→先生の自殺を合理的に説明することができます。先生が明治という時代に殉じたというのは、そういうことだったのですね。

 先生と「私」のこんな会話も、同様の文脈で理解できそうです。

「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」(「先生と私」十三)

 「先生と遺書」の冒頭で、先生が自殺の直前に「私」に会うことにこだわった理由は、「先生の「愛」の告白」だったと云うことです。
 疑問だった「乃木の殉死」がやっと納得できました。残りの4編は、

一時限目 裏切りよりも重き罪-森鴎外「舞姫」
三時限目 下人は天皇に物申す-芥川龍之介「羅生門」
四時限目 修羅が書き付けた涙-宮沢賢治「永訣の朝」
五時限目 虎より恐ろしき友-中島敦「山月記」

で、いずれも面白い異論が展開されます。牽強付会、「それは考えすぎ」というところもありますが、「そう言う読み方も出来る」ということではなかなか面白い本です。

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