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杉原幸子 六千人の命のビザ [日記(2017)]

新版 六千人の命のビザ  ナチスに迫害されるユダヤ人にビザを発行して助けた杉原千畝の有名な美談を、杉原の奥さん幸子夫人の視点による回想記です。

 リトアニアのカウナス領事館で、4000とも6000ともいわれるビザを発行し、ユダヤ人を日本経由で第三国に出国させナチスの手から救ったのです。この行為は、後にイスラエルから顕彰されています。

 

 スウェーデン駐在武官・小野寺信の諜報活動を描いた『消えたヤルタ密約緊急電』にも杉原千畝が登場します。この「東洋のシンドラー」の諜報員としてのもうひとつの顔が、どう描かれているのか興味のあるところです。

 幸子夫人も、日本人がだれひとりいないカウナスに領事館を設けることは情報収集に他ならないこと、杉原の仕事はドイツとソ連に対する諜報であることを認識していたようです。領事館にはスパイとおぼしき男達が出入りし、休日のドライブでは、家族を目的地に置くとひとりで車を運転して情報収集をしていたとも書いています。また、情報の報告は直属の上司であるラトビアの公使に送らず、直接外務省に送っていたとも書いています。電文の清書は夫人の担当だったそうで、外交電を平文で送ることは無いでしょうから、夫人が担っていたのは「暗号化」だったのではないかと思われます。家族に危険が及ぶことを恐れ杉原は詳しい話はしなかったと書いていますが、婦人は電報の清書をしていたのですから機密情報を知っていたわけです。その辺りを書けばノンフィクションとして価値のあるものになったでしょう。

 昼食もとらず数千枚ビザを手書きで発行する杉原の姿や、領事館を閉鎖した後追いすがるユダヤ人のために、列車の窓から身を乗り出して許可証を書く姿は、身近にいた夫人ならではの描写です。

 

 なにぶん200ページの短い手記ですから、中身は荒いです。リトアニアの領事館を閉め、一家はプラハに移り、さらに東プロセインのケーニヒスベルグ、ブカレスト(ルーマニア)と杉原はドイツとソ連の紛争地域へと諜報活動の場移します。ブカレストで、夫人はドイツ軍の敗走に巻き込まれ九死に一生を得、敗戦によってオデッサ→ナホトカ→ウラジオストックと零下40度を越えるシベリアを移送され日本にたどり着きます。外交官夫人ですから、満州から引き揚げる庶民の悲惨さはありませんが、諜報員の妻として得がたい体験をしたわけですから、もう少し突っ込んで頂くと読み物として面白かったのですが、残念。

タグ:読書
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