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映画 ロリータ(1997米) [日記(2018)]

ロリータ (1997) <期間限定生産版>  ロリコン(ロリータ・コンプレックス)の語源となったウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』です。映画は、1962年のスタンリー・キューブリックのものと、1997年ものがあり、今回見たのは後者。

 大学教授ハンバート(ジェレミー・アイアンズ)は、下宿を探しで未亡人シャルロットを訪ね、娘のドロレス(ドミニク・スウェイン)に出会います。コケティッシュなドロレス(ロリータ)の魅力の虜になり、下宿は即決定。中年のオッサンが、12歳の小娘の色香に惑う物語です。人間の性的嗜好は多様で、何が正常で何が異常かという問題の範疇外。映画では、14歳の頃に恋した少女を喪ったことがトラウマとなったと説明していますが、要はロリコン。問題は、その嗜好にのめり込んで人生を棒に振るか降らないかの差で、健全な常識はブレーキを踏み、のめり込むから小説に映画になります。

 ロリータを見てニヤニヤしているだけなら問題なかったのですが、母親のシャルロットがハンバートの中年の魅力の虜になり、ふたりはついに結婚します、娘に惹かれ母親と結婚したわけです。ハンバートはシャルロットに睡眠薬を飲ませ夫の義務を逃れるという笑えないエピソードも登場し、目的はロリータ一本。ロリータへの恋慕を綴った日記がシャルロットに見つかり、怒り狂った彼女は家を飛び出して車に跳ねられ死亡。母親という障害が取り除かれ、ハンバートの欲望は解放されます。
 問題のロリータです。身体は大人、頭は子供のロリータの意識しない嬌態、媚態は相当強烈で、ヘタなR指定映画よりエロティック。義理とはいえ父と娘ですから、これは禁忌。禁忌を破る切実さなどは微塵もなく、ロリータは奔放に振るまい、ハンバートはにひたすら翻弄され嫉妬します。

 焦点は、ロリータとハンバートの関係をどう決着つけるのか。これが映画の出来を左右する筈です。決着をつけるために、ふたりの回りをウロツク劇作家クィルティが登場します。クィルティは、ロリータと関係があるようですが何の説明もありません。インフルエンザで入院したロリータを叔父と偽って退院させ、彼女をハンバートから奪ってしまいます。

 数年?が過ぎ、ロリータから手紙が届きます。ロリータは結婚して妊娠、生活苦からハンバートに金の無心をしてきたのです。ハンバートはロリータに会いに行き、元の生活に戻るよう説得します。ロリータは最早中年のオッサンには興味はなく、かつて愛していたのはクィルティただひとりだったと告白します。ここでハンバートの内部で何かが壊れます。ハンバートはクィルティ殺害に向かうのですが、これがよく分からない。ロリータの庇護者で愛人を自認していたハンバートの矜持が崩れ、自分に向かう怒りがクィルティに向かった、としか思えません。
 ハンバートは殺人罪で捕まり獄死、ロリータはこれも出産で死にふたりの物語は終わります。中年のオッサンが、12歳の小娘の色香に惑う堕落と転落の物語、というほかはありません。結局”ロリータ”とは何だったのか?。”ロリータ”が、中年男の見果てぬ夢の再来であったとすれば、これはなかなか深刻なテーマです。

 おすすめというほどではありませんが、ドミニク・スウェインの媚態は一見の価値ありです(笑。

監督:エイドリアン・ライン
出演:ジェレミー・アイアンズ ドミニク・スウェイン

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