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村上春樹 騎士団長殺し 第二部 還ろうメタファー編(2017新潮社) [日記(2018)]

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 続きです。
 第二部 還ろうメタファー編です。「メタファー」は暗喩、隠喩と訳されます。物事の本質(と思われる側面)をたとえ(喩え)を使って(直截に表現するよりも)より効果的に表現することです。表現の搦め手、みたいなもの?。詩歌や小説はこのメタファーの代表みたいなもので、村上春樹は、絵具を塗り重ねるようにこのメタファーを使って小説を書きます。
 身長60cmの「騎士団長」も(本人はイデアだと名乗っていますが)免色と私が暴いた「雑木林の穴」も、「白いスバル・フォレスターの男」も何かの暗喩です。ひょっとして免色や赤いミニに乗るガールフレンドもメタファーで、『騎士団長殺し』の小説そのものが大きなメタファーです。

生霊
 雨田具彦の生霊が登場し、この登場に力を得たように《私》が生霊となって妻・ユズの元に飛んでいきます。ほとんど『源氏物語』の世界です。『源氏物語』では、嫉妬に狂った六条御息所が生霊となって夕顔を取り殺し、妊娠した葵の上を悩ませます。ユズを忘れられない私は、生霊となってユズの元を訪れる夢を見て夢精します。六条御息所や雨田具彦の生霊がアリなら《私》の生霊だってアリだと言うわけです。正確には生霊ではなく夢魔であり、ユズの証言も取れていませんから、生霊となってユズと交わったというのは私の都合のいい思い込みです。

 ユズの妊娠を知った私は、免色が、恋人に「精子を収集され」た時期と出産の時期から秋川まりえが自分の娘ではないかと疑うように、ユズの妊娠は、私が生霊(夢魔)となってユズを訪れたためもしれないと考えるようになります。『還ろうメタファー編』というより『還ろう生霊編』です。

騎士団長殺し
 続いて、生霊よりもさらに奇異でファンタジーな世界が描かれます。
 免色の「娘かもしれない」秋川まりえが行方不明となり、私は騎士団長のアドバイスで老人養護施設に入っている雨田具彦に会いに行きます。認知症で「オペラとフライパンの区別もつかない」雨田具彦からは、ウィーンの事件の話も、事件を描いたと思われる「騎士団長殺し」の絵の謎も聞けません。具彦の部屋に騎士団長が現れ、秋川まりえを見つけたければ「騎士団長殺し」の絵に倣って私を殺せと言い出します。騎士団長を殺すことによって私は秋川まりえのいる場所に導かれると言うのです。秋川まりえの失踪は、塚の石室からイデアを解放したことに生じた様々な事象の一環であり、イデアを抹殺することで「連環」が閉じるのだと言います。

 騎士団長を前にして雨田具彦の眼に光が戻ります。彼には騎士団長が見えるようです。イデアは人の心を写す鏡ですから、その眼に映る姿はウィーンのナチ高官か恋人を拷問したSS将校かもしれません。騎士団長を殺すことによって《私》の連関の環が閉じるように、雨田具彦が引きずってきた環もまた閉じ、彼の人生が救われるのだと騎士団長は言います。そして私は騎士団長の胸にナイフを突き立てます。小説のハイライトにして最も不可解な箇所です、
 この時私の脳裏に、宮城県の小さな町で出会った男女とラブホテルでとった行為がよみがえります。求められまま女の首を絞め、そのまま続ければ女を絞め殺したかもしれない行為です。

 私がそのときラブホテルのベッド上で、自分のうちに一瞬見いだしたのは、これまで覚えたこともないような深い怒りの感情だった。それは血の通った泥のように、私の胸の中で大きく黒々と渦巻き、そして本物の死に紛れもなく近接していた。
 おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞとその男は言った。

 小説の文脈から言うと、これは3.11の災害の象徴(予兆)なのでしょうが、よく分かりません。自分が振るった死に至るかもしれない暴力(変態SMプレイ)と、暴力的な自然災害がどこでどう繋がっているのか?。人間の心の闇に巣食う根源的な暴力、と言ってしまえばそれまでですが。
 さらに?なのが騎士団長の一言

 さあその包丁を振り下ろすのだ、諸君(私のこと)にはそれができるはずだ。諸君が殺すのはあたしではない。諸君はいまここで邪悪なる父を殺すのだ。・・・諸君にとっての邪悪なる父とは誰か?、その男を諸君はさきほど見かけたはずだ。そうじゃないかね?

 養護施設に来る途中のSAで、私は《白いスバル・フォレスターの男》を見かけています(あるは見かけたような)。この男が「父親」なのですか?、よく分かりません。歌劇『ドン・ジョバンニ』と関係があるのでしょうか。

メタファー
 騎士団長を刺殺し絵を再現することによって《顔なが》が登場します。顔ながは自らをメタファーだと名乗り、

 起こったことを見届けて記録するのが私の職務なのだ。事象と表現の関連性の命ずるがままに動いているだけだ。ただのつつましい暗喩であります。ものとものとをつなげるだけのものでであります。

 ウサギを追いかけて「不思議の国」に迷い込んだアリスのように、私は顔ながを追いかけてメタファー通路に足を踏み入れます。顔ながは最後に奇妙なことを言います。秋川まりえを知らないかという私の問に「知らない」と答え、そのなんとかさんが見つかるとよろしいですね。コミチさんと申されましたか?

 顔ながは、二重メタファーに気をつけろと言って消えます。
 メタファー通路に足を踏み入れた私は、顔の無い渡し守の船で「無と有を隔てる」川(三途の川?)を渡り、秋川まりえを探してメタファーの世界を彷徨います。(またも)宮城県の小さい町の女性や《白いスバル・フォレスターの男》が二重メタファーの姿で私に取り憑こうとします。私は、《ドンナ・アンナ》と亡くなった妹コミチに助けられ暗い穴を通って(免色と私が暴き、騎士団長を解き放った)雑木林の石室に出ます。洞窟を母親の産道に見立てる「再生」に他なりません。

 私は騎士団長を殺し顔ながが開けたメタファー通路に飛び込みますが、イデア=観念を殺し、メタファー=隠喩の世界に至るとはどういうことなのか?。観念という明晰な、明晰であるが故に限定的な世界を廃し、隠喩という不確かではあるが観念を越える可能性のある世界を選択した、と解釈することが可能です。当然二重メタファーという落とし穴もありますが、私はメタファー通路を通ってその「可能性」を手に入れて再生を果たします。
 私はユズとやり直すことに決めユズもそれを受け入れます。ユズは恋人の子供を身籠っていますが、私は生物学的に子供の親が誰であるかという難問ををこう解決します、


 私は東北の町から町へと一人で移動しているあいだに、夢をつたって眠っているユズと交わったのだ。私は彼女の夢の中に忍び込み、その結果彼女は受胎し、九ヶ月と少し後に子供を出産したのだーー私はそう考えることを好んだ。その子の父親はイデアとしての私であり、あるいはメタファーとしての私なのだ。騎士団長が私のもとを訪れたように、ドンナ・アンナが闇の中で私を導いたように、私はもうひとつ別の世界でユズを受胎させたのだ。

 「騎士団長殺し」(絵)と穴に始まる物語は、ここに収斂したことになります。

不思議の国のアリス
 1000ページに及ぶ荒唐無稽で難解な小説も、村上春樹による『不思議の国のアリス』と考えると辻褄が合ってきます。作中、私と妹コミチが富士山の風穴を探検する挿話が語られ、妹に”アリスは本当にいるんだよ”と言わせています。アリスがウサギを追いかけて不思議の国にたどりついたように、《私》は《騎士団長》《顔なが》に導かれて不思議の国に迷い込むわけです。つまり寓話です。最初から、赤いミニクーパーに乗る愛人によって「なんだか楽しいおとぎ話の出だしみたいね」と種明かしされています。

 そうやって眺めると、誰が誰とは特定できませんが、《騎士団長》も《顔なが》《ドンナ・アンナ》《白いスバル・フォレスターの男》も、免色も秋川まりえさえも、三日月ウサギやチェシャ猫、トランプの兵隊だということになります。

タグ:読書
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