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グレゴリー・ケズナジャット 鴨川ランナー(2021講談社) [日記 (2022)]

鴨川ランナー  第二回京都文学賞受賞作。基本は、22歳で田舎(京都府南丹市)の中学校の英語指導助手となったアメリカ人の日本滞在記です。作者は、自分を「私」ではなく「きみ」と呼びます。「きみ」と書くことで自分を相対化しているのでしょうか?。

 作者は、高校の第二外国語?でアルファベットを使用しない言語であることを理由に、日本語を選択します。その後、学校行事で京都を訪れ、大学卒業後、英語指導助手、英会話スクールの教師、大学院生として京都で過ごします。ガールフレンドは、ピエール・ロティを引き合いに出し「きみ」を”オリエンタリスト”だと評します。現地妻との行状を『お菊さん』という小説に書き、これといって業績に乏しいロティを作者に重ねます。

 「きみ」と日本との違和感が語られます。身体の大きい作者は、日本での生活を「部屋の中は狭すぎる。まるで檻にいるよう」だと感じます。日本家屋の物理的な「窮屈」さではなく、作者と日本の心理的不整合、疎外感を書いていることになります。
 きみは日本語に魅せられ日本に来たものの、外国人が集うバーに出掛け、ハワイ出身の日系人ハンナ、日本に5年滞在するポールと交流し、バーで出会った日本女性トモミと寝ます。

どこから来ましたかー。道案内してあげましょうかー。いつまで滞在されますかー。
この人たちに悪意をまったく感じない。それなのに苛立ちを禁じ得ないきみは自分のことを恥ずかしく思う。・・・ここの言葉の勉強に励んでいても、この近くに居を構えても、きみは毎日海外からこの街を訪れてくる大勢の観光客とはまったく同じ目で見られていて、溶け込むことはまだ程遠いということだ。

・・・アメリカ人男性が得意げに日本とアメリカの相違について語っている。彼の生齧りの文化論があまりにも雑で、胡散臭く聞こえる

日本にも溶け込めず、知識と経験を積んだため外国人の間では「浮いた」存在と、日本における「異邦人」。きみは鴨川に出会います。市内を縦断する鴨川は京都市民の憩いの場であり、日本人も異邦人も区別なく受け入れてくれる場所です。

もし、きみがこの生活を小説にしようとすれば、どんなものになるのだろうか。深い会話は出てこない。深い人間関係も。ただ繰り返し接触し、そしてまた離れていく身体の連鎖で、メリハリのない日常が漠然と続く。それがきみの現実だ。しかしそんな話は小説はならないだろう。

 代償行為のように、きみは日本文学を読み、あてどなく原稿用紙を日本語で埋めます。語学学校教師として出会った初老のイマムラサンは、決して日本語を使わず、常に”I”という主語で作者に話しかけます。登場人物とも言えない日本人のイマムラサンが(もともとこの小説に登場人物と呼べる人物は登場しませんが)、明確に主語を使いますから、自分をきみと呼ぶこの小説は主語喪失を主題とした小説だといえます。鴨川を走ることでしかアイデンティティを確認できない異邦人の小説です。

タグ:読書
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