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ゾルゲ・ファイル (5) 二重スパイ [日記 (2023)]

ゾルゲ・ファイル 1941-1945――赤軍情報本部機密文書 (新資料が語るゾルゲ事件 1)
 普通、スパイは非合法の隠密活動ですから歴史の表に現れることは稀です。ゾルゲ事件は日本で起こり、逮捕されたゾルゲ機関の全員が詳しい供述を行っています。供述には拷問や誘導尋問、自己弁護などがあり、何処まで信用できるかは別ですが。諜報活動が細部まで明らかになった珍しいケースで、供述は『現代史資料・ゾルゲ事件』にまとめられています。
 ソ連側の「ゾルゲ事件」アーカイブからゾルゲと赤軍情報部が交した電文、伝書使によって運ばれた文書、及び内部資料の218点を集めた本書では、『現代史資料 ゾルゲ事件』で明らかになった事実以外に、興味深い資料が含まれています。そのひとつが東京のスパイ組織はゾルゲ機関以外にもう一つあったことです。(当たり前の話ですが)イカルスこと武官グシェンコのソ連大使館の諜報組織です。ゾルゲは、逮捕後の取り調べで、ソ連大使館については何も供述していません。

女スパイ
イカルス [グシェンコ] からの電報 (No. 169 1941年7月13日付)へのメモ
 イカルスはイリアダが暗号電報を送信したり、本部の指示を受けられるようにするため、イソップ[クラウゼン]と接触させることを提案している。イリアダは他の情報源とは、秘密の合言葉で接触できる。
[決裁 本部長代行] われわれの仲間が暴露されないよう、すべての関係を整理する必要がある。 41年7月14日 パンフィーロフ

 「イリアダ」は、リヴォフでブローニンによってリクルートされた。モスクワで10日間の短期諜報訓練を受けた。・・・東京のドイツ人社会や日本の貴族ら上流階層に浸透した。1941年後半から、全体的な政治状況や日本の対ソ計画に関する情報収集に積極的に取り組み始めた。
(p211)

イリアダとは女性名で、ドイツ人社会(ドイツ大使館)や日本の上流階層に浸透した女スパイがいたということです。さらにカルメンなるユダヤ系米国女性の名前も登場し、カルメンは米大使館にも食い込んでいたらしい。

本部がイカルス[グシェンコ]に送った電報のメモ(1941年7月24日)
・・・電報 No. 192に関して、あなた方の合法的機関の活動が停止した場合、非合法組織を維持するため、次のような手順で行うことをあらためて指示する。
 (a) すべての非合法工作員 (イスパリン、イバ、イリアダ、イーラ、マロン)で一つのファーム[機関] を組織する。 指導者には、イリアダかイバを指名する(p229)

 赤軍情報部は、日ソ開戦による大使館閉鎖を想定し新たな諜報組織を作ろうと計画します。その長にイリアダを指名するのですから優秀なスパイだったのでしょうが、彼女については何も明らかなっていません。ゾルゲの資料が公開されたことが、そもそも異例です。

ゾルゲとソ連大使館
1941年8月1日
東京、同志イカルス[グシェンコ] へ
あなた方の事務所(大使館)が閉鎖される場合に備えて、インソン [ゾルゲ]を今後もわれわれの仕事に引き止めるべきか、彼に必要な予備資金を与えることが適切かどうかについて、あなたの結論を早急に出してほしい。
本部長(p260)

この電報に対するイカルスの返答は、

インソンは本部との関係で働いているので、私は彼の仕事のことは分からない。・・・しかし私は、彼が知っていることをあなたにすべて伝えていないのではないかと疑っている。
彼は日本中を移動し、中国と満州でオット[大使〕の指示をすべて遂行している。 オットは彼を貴重な情報をくれる最高のドイツ人スタッフと評価し、インソンもかなり頻繁に政治状況と軍事問題に関する概要を大使に報告している。彼の情報は詳しく正確だが、もしも彼がそれらについてあなたに報せていないなら、ロクデナシだ。8月4日に郵送する資料を彼のところに取りに行かせた時、何もないと答えた。彼があなたにどのような情報を渡しているのか知らないので、私は彼の今後の仕事について結論を下すことはできない。
No.234 イカルス[グシェンコ](p272)

グシェンコのゾルゲに対する反発が見てとれます。グシェンコは大使館の情報部代表ですが、ゾルゲは情報部のスパイ。おまけにゾルゲが酒と女性に溺れていることはグシェンコの耳にも届き、苦々しく思っていていたはずです。グシェンコは形式上ゾルゲの統率者ですが、両者の連携は無くゾルゲは独自に活動していたようです。


東京、1941年8月18日
インソンには、6ヶ月分として9000円と3000米ドルが必要になる。われわれの事務所には14000円と1000米ドルが必要である。合計で23000円と4000米ドルとなる。 もし米ドルが難しいなら、インソンには1000米ドルだけ渡してもいい。私に必要なのは31500円と2000米ドルだ。ここには金はある。円については外務人民委員部、米ドルについては外国貿易人民委員部に話をつけて、私への金の支給に関する電報を用意してほしい。イカルス[グシェンコ](p276)

東京、1941年9月1日
一、3000米ドルと9000円を受け取った。
二、インソン[ゾルゲ]に1500米ドルと4500円を渡した。
三、武官室の金庫から、防衛資金として引き出された5000円を受領した。
四、9月1日時点での残金は3280米ドル、11000千円。 イカルス[グシェンコ](p288)

 1940年頃から伝書使を使った上海を経由するマイクロフィルム、活動費の授受が危険となり、ソ連大使館経由となります。活動費は大使館の書記ザイツェフ、イワノフからゾルゲ機関の会計係クラウゼンに渡されます。
 大使館のグシェンコと情報部の電文からは、ゾルゲは活動費を大使館経由で得ていたこと、大使館の情報部とは独立して活動していたこと、両者の関係が良くなかったことが伺えます。大使館の情報部がどんな諜報活動をしていたかは明らかになっていません。

二重スパイ
 ゾルゲの掴んだ情報はオット大使を通じてドイツ本国に流れています。親衛隊情報部シェレンベルクに情報を流し、見返りとしてシェレンベルクから情報を引き出すという独ソ間を情報で綱渡りする二重スパイのような活動もしています。ドイツの外相リッベントロッブがゾルゲを高く評価し、ドイツ側がロシア側と同じように彼を貴重な情報将校とみなしていたようです(『ゾルゲ伝』)。イカルスも把握しているように、ゾルゲとオット大使の関係は二重スパイと疑われるほどに濃密です。ゴリコフも疑っていたように、情報本部はゾルゲはドイツの二重スパイではないかという疑惑を持っていたようです。

 情報本部パンフィーロフの指示で、ゾルゲの身元照会が行われた8月11日付の報告書があります。日ソ開戦とソ連大使館閉鎖に備え、東京の諜報網再編成を考えた情報部がゾルゲ機関の存続を検討した際の調査です。

姓・名称(本名) ゾルゲ・イカ・リハルドヴィッチ---
国籍はドイツ。1895年生まれ。1919年からドイツ共産党員。1925年からソ連共産党員(党員証は軍情報本部政治部に保管)。ベルリンの大学を卒業し、ドイツ語と英語を完璧に操る。ドイツで生まれ、幼少期はオデッサの祖母の元で育てられた。1929年から情報本部で諜報員の活動を開始。 それまではコミンテルンの指導員としていくつかの国で働いた。彼がどのようにして、誰の推薦で情報本部にたどり着いたのか情報はない。

どの様な経緯で赤軍情報部のスパイになったか判然としないということです。言外にはドイツから送り込まれた二重スパイの可能性を示唆しています。

日本での実質的な仕事は1935年に開始した。34年から35年にかけて、インソンは東京の生
活に慣れ、日本の内外情勢を学ぼうとし、在京ドイツ大使館で友人を作った。 インソンの報告によれば、彼は大使館の一人の秘書を通じて、駐日ドイツ大使やその妻、武官補佐官であるショル少佐らと強い絆を築いた。ドイツ大使がベルリンに送ったすべての報告書は、基本的にインソンが起草している。 ショル少佐は日本軍や日本全体の軍事情報をすべてインソンと共有した。インソンはこれらの文書を定期的に撮影し、われわれに転送してくれた。日中戦争が始まってから1938年末までにインソンが送ってきた電報は、とりわけ日本軍に関する貴重な情報であり、これによって日本軍の動員や配置、中国での部隊編成が完全に明らかになった。

と評価しつつも、ゾルゲに対する政治的不信の理由を8項目挙げています。そのひとつが、ゾルゲの元上司ヤン・ベルジンです。

 インソンは長期にわたり、人民の敵と判明した情報本部元幹部らの指導の下で働いていた。こ
こから出る結論は、もし当の人民の敵が外国の情報機関に寝返ったのなら、ではなぜ彼らはインソンを裏切らなかったのかという疑問だ。たとえば、第二部元部長カーリンはドイツのスパイであり、彼は中国にいる何人かの情報員を密告したと自白している。 カーリンの部長時代にも、インソンは日本で働いていた。日本課長のポクラドクは日本のスパイだった。

ゾルゲは1929年に情報本部のベルジンによってコミンテルンから赤軍情報部にスカウトされ、ベルジンの下でスパイとして活動しています。ベルジンは1937年の赤軍大粛清で逮捕され1938年に処刑されています。従ってベルジン同様ゾルゲもまた「政治的不信」の対象となります。ゾルゲ自身1937年に帰国命令が出ていますが、この時帰国していれば、間違いなく粛清の対象となったでしょう。

結論
インソンと彼の機関以外に、われわれは日本に何も持たないという現実を考慮すると、インソンを働かせておくことが望ましい。・・・インソンの情報を分析すると、ほとんどが真実の情報を提供していることが分かる。 彼を適切に指導し、たえず緊張を強いることで、とりわけ政治問題について、彼から定期的に必要な情報を入手することが可能だ。
インソンの情報は、他の情報源や国際情勢の全体的展開と常に比較しながら、慎重にそれを分析し、批判的に判断しなければならない。(p241~250)

ゾルゲを引き続きスパイとして使うが、気を許してはならないとう結論です。逮捕後、日本はゾルゲとの捕虜交換をソ連に持ちかけたようですがソ連はゾルゲの存在そのものを否定し、1944年処刑されます。ソ連がゾルゲの存在を認めるのは、1960年代に入ってからです。ロバート・ワイマントが『引き裂かれたスパイ』と呼んだ所以です。 ・・・この項お終い。

タグ:読書 ゾルゲ
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