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積読 中村真一郎 王朝文学論 (1) ( 1971新潮社) [日記 (2024)]

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 小説家で評論家でもある(あった)中村真一郎の平安朝文学論です。扱われるのは『竹取物語』『宇津保物語』『落窪物語』『夜半の寝覚』『浜松中納言物語』等々で、当然『源氏物語』がその中核をなします。積ん読消化ですから1971年発行の古本です。1000年前の王朝文学ですから、50年前の本でも問題なし?。

紫式部とブルースト
 著者は11世紀の王朝文学『源氏物語』と20世紀を代表する小説『失われた時を求めて』を比較し、

 ブルーストも紫式部も、作者自身と作品の素材との関係が、きわめて似ている。どちらも、一時代の最も文明的な華やかな社会、芸術と趣味との最高を代表している社会のなかに生き、その社会の美を、長大な作品に描き出した。しかし、どちらも、実はその社会のなかでは、脇役しか演じられない地位を占めているにすぎなかった。紫式部はある皇妃の家庭教師にすぎなかったのであり、ブルーストは公爵や伯爵やの社会にまぎれこんだ一平民だった。
 すなわち、この二人の偉大な小説家は、共にその文学的動機の根柢に、成り上り根性、スノビスムを秘めている。彼らは最高の社会を、憧れと同時に恨めしさの感情をかくしながら、微細に観察する。そして、あたかも、実社会における、不満足の感情を償おうとするかのように、彼らの眺めた社会を、最も鮮かに再現するロマンの作製に、一生を傾注する。(p31)

 紫式部は下級貴族の娘、中宮・彰子(藤原道長の長女)のサロンの一員にしか過ぎなかったからこそ、(成り上り根性、スノビスムを秘めていたかどうかは別にして)憧れと同時に恨めしさの感情をかくしながら、微細に観察できたわけです。著者は、11世紀の『源氏物語』に20世紀の『失われた時を求めて』にある近代性を見出します。
どちらの主題も、時間であり、変貌して行く一社会の姿に、残酷な時間の推移の跡を、執拗に追って行く。(p30)

 『源氏』は三世代の物語です。光源氏の青春期〜位人臣を極めるまでの第一部(桐壺〜藤裏葉)、人生の下降期から死に至るまでの第二部(若菜上ー幻)、源氏没後の源氏や頭中将の子供たちの時代の第三部(匂宮ー夢浮橋)第一部の孫の世代です。
 三世代の時間の流れには「密通」あるいは「近親相姦」という主題が組み込まれます。幼時に母を亡くした源氏は、マザーコンプレックスから母と似た義母・藤壺と通じ後の冷泉帝が生まれます。源氏は藤壺の姪?紫の上と結婚し、紫の上の死後、藤壺の妹の娘(姪)・女三宮を娶ります。女三宮は源氏の友人の息子・柏木と密通し不義の子・薫が産まれます。桐壷帝が源氏の子を我が子として育てさせられた様に、源氏も柏木の子・薫を我が子として育てるハメになります。若き日の過ちが、因果の如く源氏に訪れたわけです。桐壺帝は冷泉帝が源氏の子であることを知らなかったのに比べ、源氏は薫が柏木の子であること知っています。

ここに因果の観念がでてくる。犯した罪は報復的行為によって、やがては自分の身にかえってくるという、応報の観念である。作者は当時の仏教の教養によって、この観念を知っていたに相違ない。しかし、一方、彼女は現実に、幾つもの事件によって、社会のなかで、そうした因果応報の理が実現するのをまざまざと見て、おののいたという経験があるのだろう。それがこの膨大な小説を構想するに際して、その物語の軸として、このような場合を選ぶようにしたのであろう。そうして、因果の理は、それが愛欲に現われる場合、他の憎しみだけの場合と異なって、愛とい矛盾した感情が含まれることにより最も深刻であると知っていたのだろう。(p248)

 三世代にわたる源氏一族のドラマが『源氏物語』を『失われた時を求めて』に匹敵する近代文学足らしめていると言います。『失われた時を求めて』も積ん読の1冊w。

『源氏』の系譜 夜半の寝覚、浜松中納言物語
 平安後期の『夜半の寝覚』『浜松中納言物語』は『源氏』に触発されて生まれた物語です。『夜半の寝覚』は一組の男女が愛欲と宿命に翻弄される?物語、『浜松中納言物語』は、舞台の半分を唐にとり、日本の男と唐の女の恋愛をえがいた国際色豊かな物語だそです。藤原定家によると、この2つの物語の作者は、『更級日記』の菅原孝標女(『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は叔母)だそうです。「世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばや」と少女時代に『源氏』に憧れた菅原孝標女が、読むだけでは満足できず小説家になった?という話です。

(定家の)この註を信じるとなると、実に、あの可憐な日記の作者、「菅原孝標のむすめ」は、驚くべき才能を持った小説家だということになる。現代の学者は、この伝説を実証的に証明しようとして、様々の努力をしている。そして、大体のところ、事実であるらしいというところまで、行っているようである。無邪気な読者にすぎないぼくらは、喜んでこの愉快な言い伝えを信じようではないか。何もあの定家卿の折角の推定を否定する必要もないわけである。(p47)

 『夜半の寝覚』『浜松中納言物語』は共に完全な形では伝わっておらず、前者は中間部分と末尾に欠損があり、後者は書き出しの第一巻が失われているそうです。鎌倉時代に成立した物語に含まれる歌のアンソロジー『風葉和歌集』には、198篇の物語の題名があるそうで、現存する物語の10倍の物語が作られ90%が「散逸物語」の運命を辿ったと著者は書いています。その物語の作者は女性です。宮廷のサロンでは、女房たちが自作の短編小説を持ち寄り、その小説中の歌の優劣を競う「物語合わせ」が行われたそうで、女房たちが先を争って創作活動に励んだわけです。当時隆盛を極めた(恋のコミュニケーション手段)和歌は「かな文字」で書かれ、物語の要件である心理描写に、大和言葉のかな文字は適していたのでしょう。

王朝女流作家
 『源氏物語』の時代は、一条天皇の外祖父・藤原兼家とその息子たち、道隆、道兼、道長の摂関政治の時代です。『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は兼家の妾であり、清少納言は道隆の娘・皇后定子の、紫式部、赤染衛門、和泉式部などは道長の娘・中宮彰子のそれぞれ女房です。

これらの女房たちは、たいがいは地方官程度の、つまり宮廷貴族を上流とすれば、中流階級の娘たちだった。そして、美貌とか才気とか学問とか芸術的天分などによって、最上流の生活のなかに、成り上り者として入って行ったわけである。・・・多くの物語は、ただ女性のみた現実の描写だ、というだけでなく、環境的には、中流階級の女で、上流貴族の女を主人として、権力者の子弟の情人などになっていた女たちの眼に映じた、世の中の姿だということになる。そして、その「世の中」は、専ら、彼女たちの暮していた、後宮の生活である、ということにもなる。そこで、物語に登場する主人公たちは、作者より一階級高い人物たちであると同時に、男の主人公たちは、後宮に出入する時だけの男性の一面で捉えられているということにもなる。(p66)

受領階級の娘がその美貌と知性で上流貴族に食い込み、階級上昇を図るわけです。

 藤原道綱母の夫・兼家は兄・兼通と政争を演じ、安和の変では正敵・源高明を葬り、外孫の親王を即位させるため花山天皇を唆して出家・退位させる(寛和の変)などの政争に明け暮れます。紫式部のパトロンである道長も、権力掌握のため兄道隆の嫡男・伊周を失脚させます(長徳の変)。女房たちの「王朝文学」には、男たちのそうした荒々しい部分は綺麗に削られ、後宮に出入する時だけの男性が、上流貴族の女を主人として、権力者の子弟の情人などになっていた女たちの眼に映じた世界だけが描かれたのです。だからと言って『蜻蛉日記』『枕草子』『源氏』が面白くないわけではありません。大河ドラマ『光る君へ』を見るガイドとしても面白いです。

タグ:読書
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