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飯嶋和一 汝ふたたび故郷へ帰れず [日記(2012)]

汝ふたたび故郷へ帰れず (小学館文庫)
 飯嶋和一は、『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』『始祖鳥記』『黄金旅風』『出星前夜』と読んできましたが、ハズレ無しの作家です。本書は1988年第25回文藝賞受賞作で初期の作品で、1983年第40回小説現代新人賞「プロミスト・ランド」と「スピリチュアル・ペイン」の3作が入っています。

「汝ふたたび故郷へ帰れず」
 26歳の元ミドル級2位のボクサー新田駿一の再生の物語です。飯嶋和一らしい真っ直ぐな物語です。ボクシングというスポーツは、
頂点に立つ一握りのボクサー以外日本チャンピオン程度では食っていけず、アルバイト等の副業で生活を維持する必要があるそうです。減量とトレーニングに苦しむ割に報われることが少ないスポーツで、そうした割にあわないスポーツにもかかわらず、何故多くの人が惹きつけられチャンピオンを目指すのかその一端を垣間見させる小説です。
 主人公の駿一は、その割に合わないボクシングを放り出しアル中にまで落ちます。7歳の時に離れた郷里トカラ列島宝島を訪れその自然と人情に触れ、再びボクサーを目指します。東京に帰り、トレーナーの「ワカダンナ」と巡り会い、本格的なボクサー復帰トレーニングを始め、公式戦にまで至ります。この小説には悪人はひとりも出て来ません。全員が駿一のボクシングを応援します。ツッコミを入れたくなりますが、後に『神無き月十番目の夜』や『出星前夜』でとんでもない人間の悪の姿を描いてみせる作家ですから、そういうことがすべて分かった上で善人ばかりが登場するんでしょう。

 後半のボクシングの描写は秀逸です。このスポーツに全く不案内でも、その迫力は十分に伝わってきます。試合相手が決まると、減量、相手の研究とその時から試合が始まるわけです。スタミナを維持しながら体重を落とす、対戦相手のクセを分析し付け入る隙を見つけ出すe.t.c。いざ試合となったら、フェイントをかけてミスを誘い出す、インターバルを立ったままやり過ごし心理的な圧迫を加える等、ボクシングの技量以外の技を駆使してしゃにむに勝とうという描写に圧倒されます。作者が作者ですから、ボクシングの試合と言うより、人が人生というリングに上って戦う戦略と戦術として読めてしまいます。そう言えばこの小説自体、挫折から再生に至る「人生の作り方」みたいなところがあります。ピンチの時の参考書として読めるかもしれません。

「スピリチュアル・ペイン」
 太平洋戦争で、農耕用の愛馬を軍に供出し愛馬を「殺した」という負い目を一生持ち続ける男の物語です。人間という生き物は「忘れる」ということで精神の均衡を保っているわけですが、その機能の濃淡は人によって異なるわけです。人ではなく、馬を失って受ける「スピリチュアル・ペイン」というところが飯嶋和一でしょうか。作家によると、軍馬として徴発され帰らなかった馬は70万頭におよぶと言うことですが、殆ど語られることの無かった話です。
スピリチュアル・ペインちは、終末期患者の人生の意味や罪悪感、死への恐れなど死生観に対する悩みに伴う苦痛のことです。

「プロミスト・ランド」
 マタギの熊猟を扱った短編です。マタギと言ってもライフルとトランシーバーを持った現代のマタギです。野生保護からその年の猟の許可がおりず、兼業とは云え先祖から受け継いできた伝統と手前勝手な役所への憤りから密漁へと走るふたりの若者の物語です。ここでもまたボクシング試合同様、熊との息詰まる格闘が読ませどころですが、密漁という罪とふたりの再生が結びついている辺りが飯嶋和一です。

 三編とも飯嶋和一らしい「再生」の物語です。

タグ:読書
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