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kindleで読書 織田作之助 わが町 [日記(2014)]

わが町・青春の逆説 (岩波文庫)わが町
 『夫婦善哉』が面白かったので、引き続き「オダサク」です。青空文庫で手軽(0円)に読めるのがありがたいです。

 大阪の話だと思っていたところ、冒頭はマニラから始まるので面食らいます。明治38年に完成したマニラとバギオを結ぶ「ベンゲット道路」建設の話です。この道路は米国が作った道路ですが、難工事のため粘り強い日本移民を使って5年の歳月をかけ、日本人だけでも600人以上の犠牲者を出して完成したそうです。道路建設にたずさわった日本人、通称「ベンゲット他(た)あやん」佐渡岛他吉の明治、大正、昭和の物語です。
 何故マニラから始まるのかと疑問に思ったのですが、オダサクはなるほどという結末を用意しています。

 背中に青龍の「倶利伽羅もんもん」を入れて自ら「ベンゲット他あやん」と名乗る他吉は、ベンゲット道路建設に携わったことに誇りを持っている男です。そんな「浪速男」の物語です。

 マニラから帰った他吉が住むのは天王寺の「河童(がたろ)路地」。
 
そこは貧乏たらしくごみごみとして、しかも不思議にうつりかわりの尠ない、古手拭のように無気力な町であった。
角の果物屋は何代も果物屋をしていて、看板の字も主人にも読めぬくらい古びていた。
酒屋は何十年もそこを動かなかった。 
銭湯も代替りをしなかった。 
薬局もかわらなかった。

 「河童路地」を舞台に、何時までたっても前座の落語家〆団治、羅宇しかえ屋の婆さん、理髪店のおかみさん等などが登場する、「人情長屋」ものです。落語「貧乏花見」(元々は上方落語のネタ)、渋谷天外(初代)の松竹新喜劇を彷彿とさせる小説です。

  他吉はフィリピンへの望郷?の念断ちがたいまま人力車を引いて妻子を養いますが、2年経って妻のお鶴が亡くなり、男手ひとつで育てた娘の初枝は、成長して桶屋の職人の新太郎と結婚します。ところが、新太郎の隣家から火が出て、開業早々の桶屋は丸焼けになり、お初はわいが預っててやるさかい、マニラへ行って、一旗あげて来い、と新太郎を送り出します。
 新太郎はマニラで亡くなり、それを聞いた初枝は、これも早産のあげく赤ん坊を残して亡くなります。

この子のお父つぁんも、わいが無理矢理横車振ってマニライ行かしたばっかりに、ころっと逝ってしまいよりました。この子のお母んもそれを苦にして、到頭……。言うたら皆わたいの責任だす。もうわたいは自分の命をこの孫にくれてやりまんねん
・・・他吉は南河内狭山の百姓家へ君枝を里子に出し、その足で一日三十里梶棒握って走った。

と、他吉と孫娘・君枝の「大正」が始まります。

 他吉は君枝の保護者ですから、小学校の入学式にも出なければなりません。新入生の名前が、ひとりひとり読み上げられる場面です

「佐渡島君枝」
「…………」
君枝は他所見していた。 「佐渡島君枝サン」
他吉は君枝の首をつつき、 「返辞せんかいな」 
囁いたが、君枝はぼそんとして爪を噛んでいた。
「佐渡島君枝サンハ居ラレマセンカ? 佐渡島君枝サン!」
他吉はたまりかねて、 「居りまっせエ、へえ。居りまっせ」  と、両手をあげてどなった。

孫娘と祖父の入学式は微笑ましいものがあります。君枝は幼いころ里子に出されていたため、なかなか一筋縄ではいきません。落語家〆団治が君枝の機嫌を取ろうと落語を談じる場面です、

——ええか。この落語はな、『無筆の片棒』いうてな、わいや「他あやん」みたいな学のないもんが、広告のチラシ貰て、誰も読めんもんやさかい、往生して次へ次へ、お前読んでみたりイ言うて廻すおもろい話やぜ。さあ、続きをやるぜ笑いや
・・・えらい鈍なことでっけど、わたいは親爺の遺言で、チラシを断ってまんのんで……
難儀な子やなあ。笑いんかいな

わてのお父ちゃんやお母ちゃんどこに居たはんねん?

こらもう、わいも人情噺の方へ廻さして貰うわ

 これ自体が落語です。その後、君枝は、近所の写真館のショーウィンドウに父親・新太郎が町内のマラソン競争で優勝した時の記念写真と、そこに写る母親・初枝の姿を見ることになります。その日から君枝はだんだん明るい子供となり、運動会で、わてのお父ちゃんはマラソンの選手やった、と一等賞をとるまでに成長します。
 他吉が喜んだのはもちろんですが、一等賞を取るほどに元気になったのならと、他吉は君枝に銭湯の下足番のアルバイトを命じます。それはあまりに可愛そうではないかと言う〆団治に、他吉はこう言います、

わいはこの子が憎うて、下足番させるのんと違うぜ。この子が可愛いさかい、させるねんぜ。君枝、お前もようきいときや。人間はお前、らくしよ思たらあかんねんぜ。

この、人生楽して生きてはアカン、人間はからだを責めて働かな嘘や、という言葉はこの後たびたび登場し、他吉の哲学であり、『わが町』で河童路地に生きる人々の哲学でもあります。

 と、突然、蝶子・柳吉が登場し『夫婦善哉』の世界が挿入されます。『夫婦善哉(1940)』『わが町(1942年)』です。作者は、わが町大阪を描くには蝶子・柳吉のキャラクターが必要だったので、再登場なのでしょう。『夫婦善哉』の粗筋が描かれ、これは『わが町』の借景ですが、要所では蝶子が登場します。

 「昭和」に入ると君枝は成人し、幼なじみの次郎と結婚します。この結婚にもいかにも他吉らしいエピソードが出てきます(煩雑なのでカット)。
 四ツ橋の「電気科学館」が登場します。電気科学館は昭和12年(1937)のオープンですから、作者も見学したのでしょう。同館の目玉はプラネタリウムで、当時珍しかったプラネタリウム(確か日本で最初)が1942年の『わが町』に登場しますが、プラネタリウムが登場した最初の小説かもしれません。この登場の仕方、させ方が上手いです。何かというと、南十字星。他吉や君枝の父・新太郎がマニラで見た南十字星です。この南十字星が、物語のラストを飾ります。噂を聞いて他吉は電気科学館にでかけます、

四ツ橋電気科学館の星の劇場でプラネタリュウムの「南の空」の実演が済み、場内がぱっと明るくなって、ひとびとが退場してしまったあと、未だ隅の席にぐんなりした姿勢で残っている薄汚れた白い上衣の老人があった。

 「ベンゲット他あやん」の最期です。

 これが、小説がマニラと「ベンゲット道路」から出発した「オチ」です。作者は、『わが町』を書くにあたって、ベンゲット道路から出発してプラネタリウム(南十字星)に終わったのか、プラネタリウムというネタがあってベンゲット道路が発想されたのか分かりませんが、電気科学館のプラネタリウムと南十字星にまつわる「ベンゲット他あやん」の組み合わせは、絶妙です。

 『わが町』が『幕末太陽傳』の監督・川島雄三によって映画化されているらしいです。これは見たいものです。 →見ました

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