映画 蜘蛛巣城(1957日) [日記(2014)]
原作はシェークスピアの『マクベス』。戦国時代に置き換えたシェークスピア悲劇です。
『マクベス』は、将軍マクベスが魔女に出って自分の未来を予言されます。マクベスは、予言通り王を暗殺して王位につき、予言に振り回されるように自滅するという話です。『蜘蛛巣城』は、これをそのまま翻案した映画です。従って、お馴染みの俳優は登場しますが、黒澤映画に漂うユーモアとペーソスは全くありません(左卜全と藤原鎌足は登場しません)。
蜘蛛巣城の城主・都築国春の武将、鷲津武時(=マクベス、三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、戦いの帰途「蜘蛛手の森」で不思議な老婆(妖かし)と出会います。老婆は、鷲津は「北の館」の主となりゆくゆくは蜘蛛巣城の城主となること、三木は「一の砦」の大将となり、その子が蜘蛛巣城の城主になることを予言します。
最初は笑い飛ばしていた鷲津と三木も、今回の戦争の恩賞としてそれぞれ北の館の主、一の砦の大将となるという出世を遂げます。老婆の予言が当たったわけです。
ここで鷲津の奥方・浅茅(山田五十鈴)が登場します。浅茅の読みは、鷲津が蜘蛛巣城の城主になるという予言が都筑の耳に入れば、都筑は、鷲津に謀反の陰謀ありとしてたちどころにこれを殺すだろう、というものです。いずれ殺されるのであれあば、先手を打って主君を殺し蜘蛛巣城を乗っ取ってしまえ、とまで言います。人のいい鷲津はこれを信用しません。都筑が狩りの途中だと言って、大軍を率いて北の館に立ち寄ったことで、浅茅の心配は現実味を帯びてきます。
浅茅は、都筑の寝所を護る兵士に酒を飲ませて眠らせ、浅茅にそそのかされるように鷲津は主君・都筑を暗殺し、蜘蛛巣城の主に収まります。
都筑は老婆の予言を知っているのか?(三木が喋ったか)、都筑が鷲津を殺すつもりで北の館に来たのか?、それについては一切不明です。浅茅の言葉と都筑の来訪によって、鷲巣の疑心暗鬼が膨らんだわけです。このあたりが、『蜘蛛巣城』の面白さでしょう。「下克上」が当たり前となっていた戦国時代ですから、図太い神経の持ち主なら疑心暗鬼とはならず、戦略として主君殺しが出来た筈です。疑心暗鬼となるくらいですから、鷲津も浅茅も小心者。小心者の妄想が膨らみだすとどんな結果をもたらすか、ということがこの映画の勘所です。
もうひとつ、主君殺しの引き金を引いたのが奥方というところが興味深いです。浅茅は、「一国一城の主となることは、弓矢をとるもので夢見ないものはない」、と言っています。浅茅の中には、鷲津から予言の話を聞く以前から、鷲津を蜘蛛の巣城の主にする野心、自分がその奥方となる野心があったことになります。
小心者の夫が奥さんにそそのかされて破滅するという、どこにでもころがっていそうな話です。
予言通り、子供のない鷲津は三木の息子を蜘蛛巣城の次期主に指名します。ところが、懐妊したという浅茅の一言で、鷲津は三木親子の殺害を企て、三木は殺したものの息子は取り逃がしてしまいます。殺人を犯し殺人をそそのかした者にどんな結末が訪れるのか。浅茅は、洗っても洗っても手に付いた血が落ちないという妄想にとり憑かれ、鷲津は三木の幻覚を見るようになります。
都筑と三木の息子に攻めこまれた鷲津は、再び自分の運命を占ってもらうために老婆に会いに「蜘蛛手の森」に出かけます。老婆は、森が動かなければ戦に負けることはないと占います。ところが、「森が動く」わけです。敵軍が、樹の枝で鎧や荷駄をカムフラージュして攻めてきただけなのですが。鷲津には森が動いたと見えたわけです。
人の心の弱さに付け込む予言、占いによって滅びる人間の哀しさですね。17世紀英国でも、戦国時代の日本でも、現代でもありそうな話です。だからシェークスピアは「古典」なのでしょう。
脚本:小国英雄 橋本忍 菊島隆三 黒澤明
出演:三船敏郎 山田五十鈴 千秋実
羅生門(1950)生きる(1952)七人の侍(1954)蜘蛛巣城(1957)隠し砦の三悪人(1958)用心棒(1961)椿三十郎(1962)影武者(1980)雨あがる(脚本)どら平太(脚本)椿三十郎(脚本、リメイク)荒野の用心棒(リメイク)荒野の七人(リメイク)
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