SSブログ

映画 利休にたずねよ(2013日) [日記(2016)]

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)利休にたずねよ 通常版 [DVD]
 原作は山本謙一『利休にたずねよ』。利休切腹の謎はけっこう魅力的なようで、何度も小説や映画になっています。なにしろ利休は茶道の大成者、その利休に切腹を命じたのが太閤秀吉ですから、関心を引かない筈はありません。 『利休にたずねよ』は、利休の「茶の湯」と切腹の謎に女性を配した「今風」千利休の物語です。

 天正19年(1591)、切腹を命じられた利休の屋敷に秀吉の使者が訪れます。例の物を差し出せば、利休が秀吉に頭を下げたものとして罪を許す、という秀吉の言葉が伝えられます。利休の返答は「私が額づくのは、美しいものに対してだけ」。何という傲岸不遜。このシーンで映画の骨格が決まります。「例の物」とは何なのか、利休は何故秀吉に逆らったのか?。時間は20年前に巻き戻され、利休と秀吉の関係が描かれます。
 俗物・秀吉と美の宰領者・利休の確執です。秀吉は財力にものを言わせ茶器の名品を収集し黄金の茶室を作りますが、利休は瓦職人に焼かせた楽焼の茶碗に価値を見出だし、茶室を一畳半の草庵にまで簡素化します。利休は、秀吉の美意識を否定するかのように侘茶へと走ります。

 目指すところが異なるわけですから、秀吉は利休を無視すればよかったのでしょうが、信長が認め前田利家や細川忠興など豊臣の有力大名を弟子にする利休は無視できない存在だったのでしょう。何故、戦国大名がこぞって利休を支持したのか、映画を見てもよく分かりませんが。秀吉は利休を戦場に連れて行き茶をたてさせています。利休は戦場に向かう武将に茶を接待し「はなむけ」とします。利休の茶の湯には生き死ににかかわる何かがあり、それが死と隣り合わせの戦国武将に支持された理由かもしれません。秀吉はおそらくそれを理解していなかったことでしょう。

 最後に、若き日の利休が描かれ、これらの謎が明らかにされます。利休がまだ与四郎と呼ばれていた頃、父親が武野紹鴎から預かった娘に一目惚れします。この娘は、半島から日本に売られて来た高麗の王族の姫で、何者かに売られる運命にあります。食事を取らず痩せ衰える娘に手を焼いた紹鴎は与四郎(利休)の求めに応じてその世話を任せ、与四郎は、高麗料理を習い娘の心を解きほぐすこと成功します。やがて娘は売られることになり、与四郎は娘を高麗に帰すために手に手を取って出奔。追手がかかり、ふたりは漁師の苫屋に逃げ込みます。逃げきれないことを悟ったふたりは、「末期の茶」に毒を入れ心中を図ります。娘は死に、与四郎は何故か茶を飲まず助かります。何故心中から逃げたのか?、好意的に解釈すれば、与四郎は「茶の湯」のなかに人の生き死ににかかわる(あるいは越える)何ものかを見つけ、それを見極めるために心中を思いとどまったのかも知れません。利休は後に、この娘から茶の湯を教わったと言っていますから、利休の茶には死というものが深く関わっているようです。利休が戦場で死を前にした武将に受け入れられたのは、このためでしょう。
 死を前にした娘は高麗の壷を与四郎に与え、この高麗の壷こそが秀吉が欲した「例の物」だというわけです。利休は高麗の壷を秀吉に差し出さず死を選びます。高麗の壷は、利休が目指した茶の湯の象徴であり、茶の湯を理解できない秀吉に渡すことを拒んで死を選び高麗の姫君に殉じたのです。

 精神の貴族利休と現実家の秀吉を並べると、秀吉には分が悪いという映画です。

監督:田中光敏
出演:市川海老蔵 中谷美紀 大森南朋

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0