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カズオ・イシグロ 忘れられた巨人 ③ (2017ハヤカワ文庫) [日記 (2020)]

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)
続きです。
かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します
 ブリトン人は北方ケルト系、サクソン人はドイツ系ですからこのふたつは別の民族、言葉も違います。ブリテン島に北から来たブリトン人が住み着き、そこへ南?(東)からきた民族サクソン人が侵入して両者の争いとなります。アーサー王はサクソン人と戦いブリトン人の国を作りますが、サクソン人の反乱の芽を摘むことは出来ず、ガウェントと魔法使いマーリンに命じ、竜の息に魔法をかけてブリトン島の住民の記憶を奪うことで平和(ブリトン人の支配)を実現しようとします。これが竜と「記憶の喪失」の真相です。竜と魔法をプロパガンダや宗教に置き換えれば、これは現実に起こりうる、既に起こっている世界です。ガウェンは言います、

あの日だけは、アーサー王の意志とともに神の意志をも行ったのだ。
この雌竜の息なしで、永続する平和が訪れただろうか。この息が止まったとき、いまでも国中で何が起こりうるかを考えてみよ。われわれは多くを殺した。認める。強き者弱き者の区別なく殺した。あのときのわれらには神も決してほほえまなかったであろう。だが、この国から戦が一掃されたのも事実だ。

「神の意志」に従ったのだと言います。神をイデオロギーに置き換えれば、これも現実の世界でしょう。ウィスタンは反論します、

悪事を忘れさせ、行った者に罰も与えぬとは、どんな神でしょうか。虐殺と魔術の上に築かれた平和が長つづきするでしょうか。・・・昔の恐怖が塵となり、飛び散ることを願っておいででしょう。

この神はキリスト教のことです。ウェスタンの使命は、竜を退治してサクソン人に惨劇の記憶を取り戻させ、ブリトン人に復讐を果たしサクソン人の国を作るというものです。

かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。遠からず立ち上がるでしょう。そのとき、二つの民族の間に結ばれた友好の絆など、娘らが小さな花の茎で作る結び目ほどの強さもありません。
正義と復讐が、いまや大急ぎでこちらへやってきます

『忘れられた巨人』とは恐怖と憎しみの記憶にほかなりません。竜をめぐってガウェンとウェスタンが戦いウェスタンが勝利し、竜退を治します。どんなドラゴンが登場するのかと思ったら、

まるで蚯蚓(みみず)によく似た水生爬虫類だ。それが何かの拍子に誤って陸上に這い上がり、そのまま脱水症状を起こしつつあるところに見えた。

映画『ホビット』の竜を創造していたのですが、脱水症状を起こしたミミズ!。竜は死に人々に記憶が戻り、憎悪と復讐の連鎖が始まります。

わが軍(サクソン軍)は進軍をつづけ、怒りと復讐への渇きによって勢力を拡大しつづけます。あなた方ブリトン人にとっては、火の玉が転がってくるようなものです。逃げるか、さもなくば死です。国が一つ一つ、新しいサクソンの国になります。

霧のおかげで傷が癒えたのかもしれない
 歴史は、サクソン人がブリトン人を駆逐し「七王国」の時代となりますが、本書では描かれません。竜が死ぬと、物語りはアクセルとベアトリスに戻ります。ブリトン人とサクソン人、ガウェンとウェスタンという「共同体の記憶」に対置されるのが、アクセルとベアトリスの「個」の記憶とその喪失、回復です。二人は記憶を取り戻し、息子を訪れる旅を再開します。

 島に夫婦を渡す「船頭」が再登場し、アクセルとベアトリスの「夫婦の絆」を試します。二人の大切な記憶が一致しないと夫婦の絆が疑われ、夫婦は揃って息子のいる「島」に渡して貰えません。アクセルは、息子が疫病で亡くなったこと、さらにはベアトリスに「不貞」があったことまで思い出します。不貞!、竜が死ぬとファンタジーは終わり、何やらシリアスな話になります。船頭に問われるままアクセルは語り出します、

ほんの一瞬、妻はわたしに不実でした。ですが、そもそもわたしのした何かが、妻を別の男の腕の中に追いやったのかもしれません。わたしが多くの責任を負わねばなりますまい。
ただ愚かだっただけです。それと自尊心。そして人間の心の奥底に潜む何か。もしかしたら罰したいという欲望だったかもしれません。わたしは許しを説き、実践していました。しかし、復讐を望む小さな部屋を心の中につくっていて、そこに、長年、鍵をかけてきました。つまらないことで妻にひどいことをしました。
わたしは許しを説き、実践していました」とは、アーサー王の下でブリトン人とサクソン人の間を周旋し、協定を結んで平和を実現したことを指すと思われます。部族間の争いでは「許し」を説いたアクセも、家庭では妻を不貞に追いやり、息子の家出の原因を作り息子を亡くしていたのです。アクセルは記憶に鍵をかけ、ベアトリスに息子の墓に行くことを禁じたのです。それがなぜ(島に行く)墓参を思い立ったのか?
いま思うのは、何か一つのきっかけで変わったのではなくて、二人で分かち合ってきた年月の積み重ねが徐々に変えていった、ということです。結局、それがすべてかもしれません。ゆっくりしか治らないが、それでも結局は治る傷のようなものでしょうか。

二人で分かち合ってきた年月の積み重ね」とは共に暮らした「記憶の積み重ね」のことであり、これがふたりの関係を修復します。アクセルは、ある朝ベアトリスの寝顔を見ている時に「最後の闇」は去り旅に出る決心がついたと言います。

霧にいろいろと奪われなかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれていただろうか。霧のおかげで傷が癒えたのかもしれません。

記憶の喪失がアクセルとベアトリスの絆を強くしたというのです。人は過去に拘っていては暮らしてゆけません。記憶が薄れ忘れることによって日々に平安が訪れるのだということでしょう。アクセルは、霧によって妻の不貞の記憶と息子の死の記憶を風化させ、ベアトリスとの絆を深めていったようです。

 ふたりは息子の墓を探すため船で島に渡ろうとします。船頭は、まずベアトリスを渡し続いてアクセルを渡すこととなります。ベアトリスが船に乗る最後のシーンです。

いるの、アクセル
まえの目の前だよ、お姫様。わたしたちは、いま、ほんとうに別れ別れになる話をしているんだろうか
じゃ、さようなら、アクセル
さようなら、わが最愛のお姫様
陸で待っていてくれたまえ、友よ。おれ(船頭)はぽつりと言う。だが、爺さんは聞いておらず、先へ進んでいく。

この会話はどう考えても最期の別れです。ふたりが渡ろうとする「島」はあの世のことで、船頭は三途の川の渡守。ベアトリスが持病を持っていたことを考えると、これは、ベアトリスが死にアクセルは生き残ると理解する他はありません。ここで小説は終わります。

 『忘れられた巨人』とは何か?。巨人とは、ブリトン人とサクソン人の民族、部族(共同体)の「記憶」であると思われます。小説の重要なパートはアクセルとベアトリスの老夫婦が担いますから、これはブリトン人とサクソン人の物語ではなく、アクセルとベアトリスの物語だといえます。ブリトン人とサクソン人の戦いの記憶は憎しみのと復讐の連鎖に至りますが、アクセルとベアトリスの記憶は夫婦の愛と絆を強めます。  また、ウェスタンはサクソン人の少年エドウィンにブリトン人の所業を忘れるな、ブリトン人を憎めと教えますが、そのウェスタン自身アクセルとベアトリスには好意を抱いています。別れ際にベアトリスはエドウィンに呼びかけます、  

  エドウィン、わたしたち二人からのお願い。これからも、わたしたちを忘れないで。あなたがまだ少年だったころ、老夫婦と友達になったことを思い出して」
それを聞いたとき、ほかにもよみがえってきたものがある。戦士との約束があった。ぼくにはすべてのブリトン人を憎む義務がある。でも、このやさしいご夫婦も含めろとは、ウィスタンさんも言わないだろう。
  

サクソン人で有ることを離れ個人に戻れば、エドウィンはブリトン人に憎しみを抱くことはありません。エドウィンの憎しみはサクソン人という共同体の憎しみに他ならないわけです。国や民族といった共同の記憶(幻想)を戴く集団を離れて個人に戻れば憎しみの連鎖は起こらない、と言っているわけです。
また、アクセルは「(竜の)霧のおかげで傷が癒えたのかもしれません」言います。「霧」とは、人に備わった忘却という治癒能力かも知れません。文学が(概ね)「個」に関わる精神世界を描くとするなら、作者は共同体の幻想、政治の上に文学(記憶)を置いたことになります。
 老化の進んだ頭でノーベル賞文学に挑んでも、所詮はこの程度のものです。それにしても「脱水症状を起こしたミミズ」には参った...。『忘れられた巨人』読了。

タグ:読書
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Lee

少し前に読みましたが難解ですね^^;ブリトンサクソン系の神話や歴史の背景が実感できればメタファーの理解が可能なのでしょうか。
by Lee (2020-04-13 13:50) 

べっちゃん

アーサー王伝説など馴染みがないですね。『日の名残り』『わたしを離さないで』で比べると、象徴性が高いように思います。執事、クローン、ドラゴンと、寡作のわりにバラエティーに富んでいますね。
by べっちゃん (2020-04-13 18:47) 

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