SSブログ

村上春樹 一人称単数 (2020文藝春秋) [日記 (2021)]

一人称単数 (文春e-book)  本書は、2018年~2019年に『文学界』に発表された7編の短編と、書き下ろしの『一人称単数』の都合8編を集めた短編集です。最後尾の「書き下ろし」がタイトルとなっているということは、7本の短編の総括が『一人称単数』ということだと思われます。

 19歳の僕がアルバイト先で知り合った年上の女性と一夜を共にする『石のまくらに』。ピアノ演奏会の招待状に導かれて出掛けた会場は無人のホール、ホール近辺の公園で「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」について語る老人と出会う『クリーム』。チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏する<架空>のレコードと出会う『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』。高校時代のガールフレンドとの顛末を語る『ウィズ・ザ・ビートルズ』。底なしに弱かったスワローズ愛を語る『ヤクルト・スワローズ詩集』。女性の容貌の美醜をテーマにした『謝肉祭』。温泉宿で出会った人語を解する猿の話『品川猿の告白』。見知らぬ女性から謂われなき非難をあびる『一人称単数』。いずれもテーマらしきものもあるにはありますが、時折々の想念を短い物語に定着させたエッセー風の小説です。味わいがあると言えば言えます。印象にのこったものを少し、

石のまくらに
 冒頭の1篇です。19歳の僕が年上の女性と一夜を共にする、いつもの”Boy meets Girl”です。どんな女性だったかというと、これが村上春樹的で、この女性は短歌を詠み、「僕」に歌集を贈ってくれます。

歌集のページを開き・・・声に出して読んでいると、あの夜に目にした彼女の身体を、僕は脳裏にそのまま再現することができた。それは翌朝の光の中で見た、あまりぱっとしない彼女の姿かたちではなく、月光を受けて僕の腕に抱かれている、艶やかな肌に包まれた彼女の身体だった。・・・彼女はオーガズムを迎え、タオルを思い切り噛みしめたまま目を閉じ、僕の耳元で別の男の名前を、何度も何度も切なく呼び続けていた。

 死のイメージをはらんだ歌は僕の心の奥に今も残り、彼女は生きているんだろうか?と回想するわけです。タイトル『石のまくらに』は、石を枕に横たわり死を迎える歌から採られています。”Boy meets Girl”の話が短歌を機にオチに入ります、

もし幸運に恵まれればということだが、ときとして いくつかの言葉が僕らのそばに残る。彼らは夜更けに丘の上に登り、身体のかたちに合わせて掘った小ぶりな穴に潜り込み、気配を殺し、吹き荒れる時間の風をうまく先に送りやってしまう。そしてやがて夜が明け、激しい風が吹きやむと、生き延びた言葉たちは地表に密やかに顔を出す。

 生き延びた言葉が僕に語りかけます。

彼らはおおむね声が小さく人見知りをし、しばしば多義的な表現手段しか持ち合わせない。それでも彼らには証人として立つ用意ができている。正直で公正な証人として。しかしそのような辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに載せなくてはならないのだ。

 言葉を擬人化したなかなか叙情的な一節です。人の心に届く言葉を「こしらえる」小説家の自負と、そうした行為は自らの首を(斬首台の)石のまくらに載せる行為でもあるのだと…。『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』、『ウィズ・ザ・ビートルズ』も死をテーマとしています。

品川猿の告白
 群馬県の鄙びた温泉宿で、人語を解する「猿」に出会う抱腹絶倒の1編です。村上春樹的にブルックナーが好きな猿に背中を流してもらいもらい、一人と一匹はビールを傾けます。ちなみに「品川猿」は、件の猿が品川で飼われていたことから来ているらしい。どうオチをつけるのかと読むと、猿離れした猿は、雌猿ではなく人間の女性に恋情を抱くようになり、女性の名前を「盗む」ことでその代償とするようになったと言います。千と千尋の「湯婆々」か!。名前を盗むことで女性の存在を自分の中に取り込む →恋情の成就となるらしい。で、猿は語ります、

愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのできない燃料であります。その愛はいつか終わるかもしれません。あるいはうまく結実しない かもしれません。しかしたとえ愛は消えても、愛がかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります。もしそのような熱源を持たなければ、人の心は――そしてまた猿の心も―酷寒の不毛の荒野となり果ててしまうでしょう。その大地には日がな陽光も差さず、安寧という草花も、希望という樹木も育ちはしないでしょう。私はこうしてこの心に(と言って猿は自分の毛だらけの胸に手のひらをあてた)、かつて恋した七人の美しい女性のお名前を大事に蓄えております。私はこれを自分なりのささやかな燃料とし、寒い夜にはそれで細々と身を温めつつ、残りの人生をなんとか生き延びていく所存です。

『一人称単数』
ポール・スミスのダーク・ブルーのスーツ(必要があって買ったのだが、まだ二度しか袖を通したことがない)をベッドの上に広げ、それに合わせてネクタイとシャツを選んだ。淡いグレーのワイドスプレッドのシャツに、ローマの空港の免税店で買ったエルメネジルド・ゼニアの細かいペイズリー柄のネクタイだ。

 小説家の僕は普段はラフな服装でスーツなんか着ないわけです。気まぐれにスーツを来てネクタイを締め、鏡の前で「悪くはない」。スーツがポール・スミスというのもいかにも。その姿でバーに出かけ、スツールに腰掛けてミステリーを読んでいると、五十前後の女性から声を掛けられます。

小柄でほっそりとした体つきで、髪はぴったり程よい短さにカットされている。着こなしがなかなか洒落ていた。柔らかそうな布地の縞柄のワンピースに、ベージュのカシミアのカーディガンを羽織っていた。とりたてて美人という顔立ちではないものの、そこにはうまく完結した雰囲気のようなものが漂っていた。

「五十前後の女性」でいいわけですがこの辺りが村上春樹。

「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と彼女は尋ねた。彼女が何を言おうとしているのか、うまく理解できなかった。・・・その顔には見覚えがなかった。私は人の顔を覚えるのが決して得意ではないけれど、これまでその女性に会ったことがないということにはかなりの確信が持てた。もしこの女性に以前に会っていたとしたら、間違いなくそのことを記憶しているはずだ。彼女はそういう種類の女性だった。「そんなこと?」と私は聞き返した。
「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」

「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」とは、この短編集の7篇の小説、小説を書いている作家自身を指すわけでしょう。「そんなことをしていて、なにか愉しい?」という女性の言葉は、作家の「照れ」に他なりません。最後の書き下ろしが、この短編集のオチです。

 7篇の小説を読んで、これは村上春樹版『夢七夜』(漱石の『夢十夜』)ではなかろうか。それなりに村上春樹のファンですから、それなりに楽しめました。

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。