万葉集の花・夏 (2) [日記 (2021)]
高円の 野辺のかほ花面影に 見えつつ妹は 忘れかねかねつも(大伴家持)
→高円の野辺に咲く容花のように 面影がちらちら見えて あなたを忘れかねているのですよ
→高円の野辺に咲く容花のように 面影がちらちら見えて あなたを忘れかねているのですよ
こいまろび、恋ひは死ぬとも、いちしろく、色には出でじ、朝顔の花(作者不詳)
→身悶えするほどに恋い焦がれて死んでしまおうとも、朝顔の花のように、はっきりと顔には出しますまい
@家持に比べて作者不詳の歌は「こいまろび、恋ひは死ぬとも」と...この作者は女性なんでしょうか?。
かほ花も他の花にもれず特定が出いていないそうです。ヒルガオ、アサガオ、ムクゲ、など諸説あるそうです。
ツユクサ(ツキクサ) トキワツユクサ
ツユクサ(ツキクサ) トキワツユクサ
朝露に 咲きすさびたる 月草の 日くたつなへに 消ぬべく思ほゆ(作者不詳)
→朝露を浴びて我が物顔に咲き誇る露草が、日が傾くにつれてしぼむように、日暮れが近づくにつれて、私の心もしぼんで消え入るばかりです
@いい歌ですね、揺れる女心?がよく出ています。
ネジバナ
芝付の 美宇良崎なる ねつこ草 あひ見ずあらば 吾恋ひめやも(作者未詳)
→あなたの側に寄り添うような事がなかったら、こんなにあなたのことを恋しく思うこともなかっただろうに
@雑草ですw。万葉集にネジバナがあるとは!。
クワ(桑)
たらちねの 母がその業(な)る 桑すらに 願へば衣(きぬ)に 着るといふものを(作者未詳)
→母が生業として育てている桑の木でさえも、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに
@「夕焼け小焼けの 赤とんぼ・・・山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか」の桑の実です。
ユリ
クワ(桑)
たらちねの 母がその業(な)る 桑すらに 願へば衣(きぬ)に 着るといふものを(作者未詳)
→母が生業として育てている桑の木でさえも、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに
@「夕焼け小焼けの 赤とんぼ・・・山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか」の桑の実です。
ユリ
タカサゴユリ ホトトギス
夏の野の 茂みに咲ける姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ(大伴坂上郎女)
→夏の野の茂みに咲いている姫百合が誰にも知られないように、相手に知られていない私の恋は、苦しく切ないものです
@日本原産のヤマユリ、姫百合は画像が無いのでタカサゴユリで代替、ついでにホトトギス(ユリ科)。
オニユリ
センダン(アチフ)
→夏の野の茂みに咲いている姫百合が誰にも知られないように、相手に知られていない私の恋は、苦しく切ないものです
@日本原産のヤマユリ、姫百合は画像が無いのでタカサゴユリで代替、ついでにホトトギス(ユリ科)。
オニユリ
センダン(アチフ)
妹が見し 楝(あちふ)の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに(山上憶良)
→妻が見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしているよ。私の泣く涙はいまだ乾かないというのに
@ 「栴檀は双葉より芳(かんば)し」のセンダンです。
ヤマボウシ(つみ、柘)
ヤマボウシ(つみ、柘)
→この夕べにもし柘の枝が流れて来たとしても「梁(やな)」を仕掛けていないので私は手にすることが出来ないだろうなあ
@山法師ですから、僧兵の白い頭巾を花の名に見立てたんでしょうね。
テイカズラ(石綱、いわづな)
@山法師ですから、僧兵の白い頭巾を花の名に見立てたんでしょうね。
テイカズラ(石綱、いわづな)
→山じさが露に濡れて重たく垂れ下がっているように、しょんぼりとうなだれてひたすら恋続けている私です
ハス(6月25日)
白鷺(堺市)公園
ひさかたの 雨も降らぬか蓮葉に 溜まれる水の玉に似たる見む(作者不詳)
→久々に雨でも降ってくれないかな。蓮の葉に溜まって水が玉をなすのが見たいものだ
マツの花
→松の花は花の数にも入らない。その程度にしか思われていないのに、私は松の花よろしくむなしく咲きつづけています
ノイバラ(うまばら、うまら)
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