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夏目漱石 夢十夜(1908青空文庫) [日記 (2021)]

夢十夜 夢十夜・草枕 (集英社文庫)  村上春樹の『一人称単数』を読んで、漱石の『夢十夜』を思い出し読み返してみました。夢かどうかは別にして、フロイトかユングで分析すれば面白そうな小説です。中身はこの辺りをご参照。「夢」だと言って、漱石の本音が出ていそうです。

第一夜
こんな夢を見た。 腕組をして枕元に 坐っていると、 仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。

 その女性は、「輪郭の柔らかな 瓜実顔 ・・・真白な頰の底に温かい血の色がほどよく差して、 唇 の色は無論赤い」。「私」は、長い睫に包まれた大きな潤のある真黒な眸の奥に映っている自分の姿を見るわけですから、ほとんど覆い被さるように女性に接していることになります。その女性が「もう死にます」というのです。

死んだら、 埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また 逢いに来ます。
・・・「百年待っていて下さい・・・百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ます。

百年の恋です。漱石にこんな直截的で艶っぽい文章ありました?。夢だから書けるわけです。その墓に白い百合が咲きます。百合の花は匂い花びらに露の雫が垂れ、

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子 に思わず、遠い空を見たら、 暁の星がたった一つ 瞬いていた。 「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

「白い百合」は、2年後の『それから』で、代助が友人の妻・三千代を訪ねる際に持参する花でとして結実します。「禁断の恋」の象徴です。

「覚えてゐますか」
「覚えてゐますわ」
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立(きたて)だつたんですもの。ぢき已(や)めて仕舞つたわ」
「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」・・・

『第一夜』のこの女性が「銀杏返し」かどうか分かりませんが、きっとそうですw。夏目漱石というと硬派の文豪のイメージですが、『こころ』で三角関係を、『それから』で不倫を描いていますから、『第一夜』ような「夢」も不思議ではありません。漱石は禁忌の恋を秘めていたのかも知れません。現世では叶わね恋ですから、その恋は死の影を纏うことになります、恋の成就が百年後(来世?)となります。なかなか切ない…。

第三夜
 こんな夢を見た。六つになる子供を 負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主 になっている。

盲目の我が子を捨てる夢です。

自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか 打遣 ゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端 に、背中で、 「ふふん」と云う声がした。 ・・・「御父さん、重いかい」と聞いた。 「重かあない」と答えると 「今に重くなるよ」と云った。
漱石には2男5女の子供がいます。子供を重荷に思っていたかどうかは分かりませんが、「個人主義」の漱石にとっては我が子といえど他者。他者との関係性を主題としてきた小説家は、心の何処かではこれを「重荷」と感じていたのでしょう。子供を「盲目」にして「背負う」という表現にそれを垣間見ることができます。
「私」は杉の根本に盲目の我が子を捨てようとします、

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、 忽然として頭の中に起った。おれは 人殺 であったんだなと始めて気がついた 途端 に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった

 漱石は生まれてすぐ古道具屋に里子に出され、夜店で品物の隣に並んで寝ている金之助を見た姉が不憫に思い実家へ連れ戻したという逸話があります。2歳の頃またも養子に出され9歳で実家に戻っています。そうした幼少期の記憶が『第三夜』に顕れているのかどうか?。捨て子の記憶が自分も子を捨てるのではないかというトラウマに発展し、背中の子供が石地蔵(地蔵は子供の護り神)となって人殺しの恐怖へと増幅されます。漱石の心の闇の深さです。

タグ:読書
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