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司馬遼太郎 街道をゆく40 台湾紀行② (朝日文庫1994) [日記 (2022)]

街道をゆく 40 台湾紀行続きです。
儒教と「私」
「犬が去って豚が来た」の続きです。豚と呼ばれる国民党、外省人の搾取は甚だしかったようです。筆者はこれを儒教による「私」の体系だと言います。

 儒教は、多分に私の体系である。仁をやかましくいう。仁は私人である。為政者の最高徳目で、それが人格としてにじみ出るのが徳であった。中国は前漢の武帝以来、儒教が国教とされ、二千年もそれがドグマとしてつづいた。つらぬいて人治主義だった。身もふたもなくいえば、歴朝の中国皇帝は私で、公であったことがない。その股肱の官僚もまた私で、たとえば地方官の場合、ふんだんに賄賂をとることは自然な私の営みだった。このため近代が興りにくかった。台湾にやってきた蒋介石の権力も、当然私であった。
・・・ひとびとの側に立って考えてみる。
歴朝の私が人民にとって餓えた虎でありつづけた以上、ひとびとはしたたかに私として自衛せざるをえなかったのである。・・・王朝からの害をふせぐには宗族で団結するほかなく...。

 「私の体系」は庶民の知恵でもあるわけです。で、司馬さんの蘊蓄が披露されます、

(私という漢字の)ふつうノギ偏、とよばれる木の字は、穀物の実って垂れるさまか
らきたという。・・・右側のつくりのムは古くは口で、囲むの意味。従って私とは、穀物を自分の取りぶんだけかこむことである。つまり、私とは、古代の小作農民が収穫の何割かを地主にさしだしたあと、残った自分の取りぶんをかこっておくというさまである。

権力に対する自衛が「私」の源流だといいます。その「私」が権力を振るうと「犬が去って豚が来た」となるわけです。台湾にも大陸から渡った中国人がいたわけですから、外省人による本省人の弾圧、搾取の要因が儒教だとというのは、ちょっと暴論のようにも思います。古田博司の『朝鮮民族を読み解く』にも、この儒教による「私の体系」がありました(ウリトナム)。儒教が中国、朝鮮半島を解くひとつのカギであることは、確かな様ですが。司馬遼さんに敬意を表して、そうい言うとにしておきますw。

南の俳人たち
 台湾には短歌、俳句の結社があるそうです。日本語で俳句を詠む俳人は、戦前に生まれ育った日本語教育を受けた人々です。そんな人々が台湾にいるという風景が、この紀行の特徴です。

尾牙(ペエゲ)や半生人に使われて
一筋にプロサラリーマンや尾牙来(ペエゲライ)

「尾牙」とは、商店などで主人が使用人にご馳走を振る舞う台湾の忘年会だそうです。

台湾の俳人たちは、すでに高齢化している。右の句集(台北俳句集)のなかに、祖父母は日本語、子の代は発音のへたな北京語、孫の代は流暢な北京語という一家の言語事情を十七文字にしたものもある。

一家三代二国語光復節

「光復節」とは、日本の植民地支配が終わり台湾が開放された8月15日です。

大正生まれ運不運光復節
学徒兵戻らざりけり光復節
頼られてゐて頼りなく秋扇
去年(こぞ)今年デモクラシーも進歩して

台湾の親日?が匂い立つようです。司馬遼太郎は大正12年の生まれで、学徒出陣で満州の戦車部隊に配属され、内地で終戦を迎えます。『台北俳句集』の俳人と同世代でしょう。

 以前、日本人の祖先は台湾からやってきたという仮説の検証に、台湾から葦舟を使って与那国島に渡るという実験がありました。与那国島→石垣島→宮古島→沖縄という「琉球弧」を考えると、その先にある台湾と日本のマージナル(境界)な世界を想像してしまいます。

タグ:読書
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