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鈴置高史 韓国民主政治の自壊(2022新潮新書) [日記 (2022)]

韓国民主政治の自壊(新潮新書)
 嫌韓本が溢れ、netでは嫌韓サイトが賑わっています。確かに韓国は面白く、嫌韓は楽しいですw。嫌韓とは形を変えたナショナリズムなのですが...。

 鈴置高史の最新韓国分析です。同氏は、名だたる嫌韓?ジャーナリスト(自称「韓国観察者」)として所謂ネトウヨの絶大な支持を得ていますw。

 この本の目的は韓国の民主政治が壊れ始めたと日本人に知らせることにある。韓国はもちろん、朝鮮半島全体が不安定になるのは間違いない。当然、中国とロシアはこれにつけ込むだろう。日清・日露戦争につながった李氏朝鮮末期の再現だ。日本が備えるべき国際環境の激変は、中国の拡張主義と北朝鮮の核武装だけではないのだ。

 米中二股外交をやっている韓国を見ていると、露館播遷こそ無かったものの(ウクライナ侵攻の制裁も遅れて参加)高宋の李朝末期と言われても仕方がありません。現在が李朝末期なら、行く末は大国の属国と云わんばかです。目次は、

 第1章 コロナが暴いた韓国の素顔
 第2章 あっという間にベネズエラ
 第3章 そして、友達がいなくなった
 第4章 韓国はどこへ行くのか

K防疫
「西洋は終わった。東洋の時代が始まる」と韓国人が歓声を上げた。新型コロナウイ ルスの流行を契機に東西の「支配関係」が逆転すると考えたのだ。韓国人の心の奥底に棲む願望を期せずしてコロナが暴いた。

 欧米のパンデミックと自国のK防疫の成功(自画自賛)から、覇権が西洋から東洋へ移動すると考えたのです。結果は知っての通りで、常に欧米リードされる韓国の劣等感がK防疫という幻想を生んだというのです。著者は、

韓国という国は「自信」、つまり絶望的な劣等感が生む「から威張り」をキーワードに動くのである。

と切って捨てます。この劣等感は何処から来るのか?。朝鮮は、2,000年に亘って中国の冊封体制下あり、1910年以降は35年間日本に併合され、日本の敗戦によって連合国=西欧に解放されます。一度も自主独立の国家を持たなかった民族で、韓国の過剰なナショナリズムは、この劣等感が元となっているというわけです。

民主主義の崩壊
 ベネズエラは、石油資源によって南米随一の豊かな国で民主国家と見なされていましたが、左右対立による混乱によって疲弊し、大量の難民を送り出す国になってしまいます。そのベネズエラの転落に韓国が似てきたと云うのが第2章です。

 ベネズエラのチャベス大統領は、キューバを参考に左斜化し、最低賃金を引き上げ表現の自由を奪い司法を骨抜きにして国を滅ぼします。文在寅大統領が司法を左派で固め、高位公職者犯罪捜査処を設けて検察から捜査権を取り上げ、メディア懲罰法で言論自由を奪った政治はチャベスそのままではないかというのです。韓国の民主主義はもはや崩壊しており、このままでは韓国もベネズエラ同様に没落するというわけです。

国民情緒法
 もうひとつ、韓国は法治国家かという問題があります。「徴用工問題」が典型で、韓国の(左派)司法は、「日韓請求権協定(1965)」などの国際条約をいとも簡単に飛び越えます。「慰安婦問題日韓合意」もしかりで、新しく制定した法令で過去の罪を裁き「法の不遡及の原則」という近代法の概念がありません。「高位公職者犯罪捜査処」「メディア懲罰法」+国際法破りですから、「第3章 そして、友達がいなくなった」ということになります。これはもう、西側の民主主義国家ではなく独裁国家、全体主義国歌です。

 この法を蔑ろにして省みない政治の背景には、李朝から続く「儒教」があると云います。
 儒教がとなえるのは(法治ではなく)「徳治」である。「徳」といっても測定基準はないので、治める者が主観的に「徳がある」と信じ、周囲がひとまず情理として納得すればよい。だから関わりのない者が客観的にみれば、独善に陥りがちなシステムだった。
 日本との条約を含め、現代の韓国人が約束を平気で破るのは依然、行動原理の中枢に「法を蔑視する」儒教を据えているからであろう。韓国人は西欧型の法制度を導入したが、身に付いてはいないのだ。
 有名な「国民情緒法」です。

 で「第4章 韓国はどこへ行くのか」?。朝鮮は、楽浪郡など漢四郡の置かれた紀元前から中国の支配下にありました。韓国の米中二俣外交を見ていると、二千数百年続いた中国支配の軛(くびき)から未だ自由になっていないのではないか?、そう思います。余談ですが、古朝鮮・高句麗・渤海は中国の属国だと主張する「東北工程」は正論ではないかと思います。韓国は「今やG8になった!」などと言わず、二千数百年の「事大主義」に寄り掛かっている方が幸せなんじゃないか、鈴置さんはそこまでは言ってませんが。

 著者は、「おわりに-韓国にも『三四郎』はあるのだが」で締めます。漱石の『三四郎』です。

 (三四郎が)非常に美しい西洋人のカップルを見て劣等感を感じる。 相席になった男も「ああ美しい」と言った後「御互は憐れだなあ」 「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」などと言う。
三四郎が「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護すると、漱石の分身である「かの男」は澄まし顔で「亡びるね」と断じるのである。

李朝末期に始まり三四郎で終わります。なかなか面白いです。

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