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沢木耕太郎 天路の旅人 (2023日) [日記 (2023)]

天路の旅人
秘境西域八年の潜行〈上〉 (中公文庫)
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 西川一三
 1943年、蒙古大使館調査部員(諜報員)として満州・内蒙古から寧夏、甘粛、青海を経てチベット、インドに潜入した大東亜省調査員、西川一三の8年間を描いたノンフィクションです。西川の著書『秘境西域八年の潜行』(1972)と西川への1年に及ぶインタビューが元となっています。

 西川は旧制中学を卒業して満鉄に入社、天津、包頭などに赴任したのち満鉄を退社し、「蒙古善隣協会」付属の諜報員養成機関「興亜義塾」に入ります。『吉田松陰全集』だけを携えて入塾したと云いますから、西川の「八年の潜行」はナショナリズムと西域へのロマンティシズムが原点と考えられます。1944年22歳の時に興亜義塾を退学し(のち復学、卒業)、「張家口大使館(公館)」の調査部員(スパイ)となり「間諜」の道を歩みだします。

 著者は、『秘境西域八年の潜行』を読み西川にインタビューしますが、

なぜか旅の全体が把握しにくい。それは、一本一本の木々は枝や葉に至るまで丹念に描かれているのに、その木々が構成している森の全体が見えにくいというのに似ていた。(p22)

と書きます。「木を見て森を見ず」の「森」とは何か?。西川は「張家口大使館」調査員の辞令と6,000円の調査費を貰った「密偵」です。当然、探るべき事項が指示された筈です。ところが、本書には一切触れられていません。西川の著書『潜行』に記されていれば本書でも触れている筈です。スパイの仕事は、仮想敵国の政治、経済、軍事、外交を調査することです。

日本の軍部は、内蒙古を満州国の安定のための緩衝地帯と見なしていたが、もし内蒙古に親日的な独立国家ができれば、 青海省から新疆省に住む蒙古人やウイグル人らと手を結ぶことにより、漢族が主体の中華民国を包囲できるようになる。そこで、日本軍は、蒙古人で、チンギス・ハーンの血筋を引くという 徳王を首班とする自治政府の樹立に手を貸すことになった。(p53)

これは西川ではなく沢木の記述です。西川は東亜省の調査員として、この作戦の尖兵として諜報活動をしていたことになります。

ロブサン・サンボー
 西川はラマ僧を装い巡礼僧ロブサン・サンボーとして西域を巡り諜報活動をします。西寧の寺院では「中国各地の情報が労せず入ってくる」と書いていますが、その情報とは何であったのかは明らかにされません。また西川は張口に帰る商人に「報告書」を託していますがその中身は明らかにされません。『潜行』にはラマ僧や巡礼者、蒙古人やチベット人の風俗、砂漠やオアシスの自然、都市の様子については「一本一本の木々は枝や葉に至るまで丹念に描かれている」のですが、密偵の仕事については記されていないようです。密偵としての仁義を守ったのかどうか。

西川一三という、この希有な人物のことを書いてみたい。しかし、そうは思うものの、『秘境西域八年の潜行』という確固たる著作がある中で、どのように書けばいいかわからない。(p29)

 西川の旅を2度辿る長時間のインタビューでも、『潜行』以上のものは引き出せなかったようです。著者がノンフィクション執筆の突破口が見つけられなかったのは、巡礼者ロブサン・サンボーは見えても、西川一三が見つけられなかったからだと思われます。この著者のもどかしさはまた『天路の旅人』の読者のものでもあります。著者は『天路の旅人』で西川の『潜行』を再現しますが、そこに沢木耕太郎が全く登場しません。沢木は何のために本書を執筆したのか?。全17章のうち、沢木が登場するのは、序章「雪の中から」、 第1章「現れたもの」、終章「雪の中へ」だけです。本編はすべて『潜行』の忠実な再現あるいはダイジェストだと思われます。
 その「再現」が面白くないかと云うと、これが面白い。西川(ロブサン・サンボー)は単独である時は隊商に加わり西域のオアシスからオアシス、寺院から寺院を巡り、チベットからインドまで足を伸ばしヒマラヤの峠を7度超えます。パスポート、ビザ不要のラマ僧として托鉢し喜捨を受けて露命を繋ぎ、時には密輸をして路銀を得、インドでは無賃乗車を繰り返します。波乱万丈の冒険譚はまさに「小説より奇成り」です。

 沢木は「あとがき」でこう記します、

私は、この『天路の旅人』が、『秘境西域八年の潜行』という深い森を歩くための磁石のような、あるいは広大な海を航海するための海図のようなものになってくれれば、と願いつつ書き進めていたような気もする。(p565)

本書は『秘境西域八年の潜行』の海図だったわけです。

タグ:読書
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