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村上春樹 街とその不確かな壁 感想 (2023新潮社) [日記 (2023)]

街とその不確かな壁街とその不確かな壁 第一部第二、三部 の続きです。

街、壁、影
 この小説のキーワード、街、壁、影は、「あなたと出会った私は本当の私ではなく私の〈影〉です、本当の私は高い〈壁〉に囲まれた〈街〉にいる」という「きみ」の言葉から出発しています。第一部で「私の影」が言うように、街は少女の言葉から構築した私の妄想世界です。街で暮らす少女も門番も一角獣も私の意識の中だけに存在する幻。〈影〉とは、私という存在のスピリチュアルな側面の言い換えです。街に在るときは影と呼ばれ現実世界に在るときは本体と呼ばれます。第三部でイエロー・サブマリンの少年が言うように「どちらが本体で、どちらがその影というより、むしろそれぞれがそれぞれの大事な分身」です。

 現実世界と精神世界を隔てるのが〈壁〉。人間はフィジカルな肉体と精神から成り立っていますから、このふたつを分けるのが壁とも言えます。私が影と共に街から逃げ出すとき、煉瓦の壁は柔構造となって逃亡を妨げますが、影に励まされ壁を突破します。意思によって壁は変化するわけで、「不確かな」壁です。肉体が精神に影響を及ぼすこともあるはずです。

 〈夢読み〉は『ハードボイルド・ワンダーランド』にも登場しますから、作者にとって重要なモチーフです。本書では影によって明晰に語られます。古い夢とは「この街をこの街として成立させるために壁の外に追放された本体が残していった、心の残響みたいなもの」とされます。この街の反体制派の思想のようなもの?、この小説の文脈から言うと、見果てぬ夢、潰えた夢の恨み、哀しみのようものと考えられます。その夢の残響が街に漂い出すのを防ぐため卵型の容器に閉じ込め、図書館の書庫に格納したのです。〈夢読み〉とは、その恨みを読むことで夢を鎮魂し街を護ることだと思われます。
 本は意識の活動、妄想を記したものです。卵形容器に閉じ込めるか紙に印刷するかの差とすれば、現実の本も夢の記録であり、読書は〈夢読み〉となります。

子易さん、イエロー・サブマリンの少年、コーヒーショップの女主人
 「中年の危機」に陥った私は、17歳の頃に構築した〈街〉へと逃避し、街の図書館で古い夢を読む〈夢読み〉という幻想に逃げ込みます、これが第一部。現実世界では仕事を辞め町の図書館に勤めるという行動に出ます、これが第二部。第二部では、子易さん、図書館司書の添田さん、イエロー・サブマリンの少年、コーヒーショップの女主人が登場します。

 子易さんは何故幽霊なのか?。幽霊は肉体を持たないスピリチュアルな存在ですから、この小説の主題である〈壁〉のこちら側と向こう側、肉体と精神、生と死を繋ぐ存在として登場します。幽霊の子易さんに影はありません。かつて影を失った経験を持つ私は、同類として子易さんの姿が見え、声を聞くことができます。壁を越えて街に行き戻ってきた私、生と死の壁を越えてこの世とあの世を行き来する子易さん。魅力的なキャラクターですが、やがて私の前に現れなくなり退場します。退場は、私が街の呪縛から逃れて現実世界に根を下ろす前兆でしょうか。

 イエロー・サブマリンの少年は、サヴァン症候群という〈壁〉によって周囲とコミュニケーションが取れず、読書よって自分だけの精神世界を構築しています。現実ならざる世界に一歩足を踏み入れています。少女の語る言葉から街を作り上げた私の同類です。少年は、万巻の本を読み、写真に撮るように一字一句を記憶しますからさながら図書館。本とはまた、著者の見果てぬ夢の残響、残滓の様なものです。残響は活字となって図書館の書架に並べられます。
 少年は、私から街の存在を引き出し〈街〉へ行きます。彼によってもうひとりの私が街に存在していることが明かされます。私は、どちらが影で本体いうのではなく、それぞれがそれぞれの大事な分身として壁に囲まれた街と地方の小さな町の両方に存在しています。
 少年は〈夢読み〉を引き継ぎ、私をこちら側に送り出します。このふたつがイエロー・サブマリンの少年の役割です。

 コーヒーショップの女主人は、幽霊でもなく精神疾患も抱えていません、ごく普通の女性。北海道から単身見知らずの町にやって来てコーヒーショップを開き、ガルシア=マルケスを愛読するという幾分変わった女性です。バツイチで30代半ば。第一部の私が愛した少女のアナロジーです。
 女性は街、壁、影とも無縁の存在で、この物語には直接関わってきません。私は好意を抱き、一緒に食事をしキスをする仲となりますが、女性はセックスに対して〈壁〉を建て、少女との仲がそうだった様にそれ以上には進展しません。小説はそこで終わっていますが、街から帰った私と図書館長の私がひとつになり(とは何処にも書いてませんが)、私と女性の関係に進展があるはずです。女性は未来に投げられた存在だと思われます。

影、本体
 第三部では、第二部冒頭の伏線、「影に別れを告げ、あの壁に囲まれた街に単身残ったはずなのだ。」が回収されます。
 私は影と別れて街に留まったにもかかわらず、気づいて見れば壁のこちら側(町)に存在していた謎が明かされます。何のことはない、街と町の両方に存在するで両属だったわけです。街は幻想ですから、意識が分裂して両方の世界に存在してもいいわけです。

 イエロー・サブマリンの少年は街に不法侵入したわけで、見つかれば退去させられます。少年は私と一体化することでこれを逃れます。私の前に現れた少年は、私と少年の一体化を望みます。

ぼくはもともとあなたであり、あなたはもともとぼくなのですから。
ぼくらはもともとがひとつだったのです。 でもわけあって、このように別々の個体になってしまいました。しかしこの街 でなら、もう一度ぼくらは一体になることができます。そしてぼくはあなたの一部となって〈夢読み〉となり、古い夢を読み続けることができます。

で、私と少年は一体化し、サヴァン症候群の特異能力でスーパー〈夢読み〉となり、私は壁の向こう側に帰る決心をします。少年という優秀な〈夢読み〉の後継者が出来、私の存在理由が無くなったからでしょうか。小説はここで終わっています。町に帰ればふたりの「私」は存在できませんから、影と一体化し新生の「私」が誕生するのでしょう。

 ぼくときみ、影、幽霊、サヴァン症候群の少年、と多彩な人物が登場し物語を織り成します。舞台は地方の小さな町とぼくが妄想した「壁に囲まれた街」、現実の世界と「意識の世界」です。このふたつを分ける壁に通り抜けができる扉を設ければ、壁が「不確かな」ものとなれば、どんな世界が現れるのかという話です。→この項終い。

タグ:読書
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