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司馬遼太郎 坂の上の雲 ①--日清戦争 (1969、2004文藝春秋) [日記 (2020)]

坂の上の雲 <新装版> 1  朝鮮半島の歴史をあれこれ読んできたのですが、個人的な疑問は、日本政府が何故あれほど半島にこだわったのか?、ということです。南下政策を取るロシアが半島に進出れば、日本は対馬海峡を隔ててこれと向き合わねばならないという恐怖、というのが正解なのでしょうが、明治の日本にとってロシアがどんな存在であったかが分かれば、李朝末期から日韓併合に至る経緯、満州国成立の背景の理解が深まるのではないか。日清、日露戦争を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』を、「ロシア」という変則的な視点で読んでみます。

好古、真之、子規
 『坂の上の雲』の主人公は三人。露戦争で騎兵を率い、史上最強といわれるコサック騎兵を破る伊予松山の旧藩士族・秋山好古。海軍参謀となって日露戦争でバルチック艦隊を破った好古の弟真之。もうひとりが、俳句、短歌という日本の伝統文芸に近代文学の光をあてた正岡子規。作者は、この三人を主人公に明治という時代を描きます。たとえば、陸軍省は好古に軽騎兵の戦術、内務、経理、教育の研究を命じます。

要するに日本陸軍はこの満三十になったかならずの若い大尉に、騎兵建設についての調べのすべてを依頼したようなものであった。それだけではなく、帰国した後は好古自身がその建設をしなければならない。建設するだけでなく、将来戦いがあればその手作りの騎兵集団をひきいてゆくのは彼であり、一人ですべての役をひきうけていた。この分野だけでなく他の分野でもすべてそういう調子であり、明治初年から中期にかけての小世帯日本のおもしろさはこのあたりにあるであろう。

 著者は、明治国家を「オモチャ」とも表現していますが、寄ってたかって近代国家を造ってしまうという創生期の明治には、”手作り”感があって微笑ましいです。微笑ましいですが、日本の近代化には日本なりの必死な思いもあるわけです。

「明治日本」というのは、考えてみれば漫画として理解したほうが早い。すくなくとも、列強はそうみた。「猿まね」と、西洋人は笑った。・・・しかし、当の日本と日本人だけは、大まじめであった。産業技術と軍事技術は、西洋よりも四百年遅れていた。それを一挙に真似ることによって、できれば一挙に身につけ、それによって西洋同様の富国強兵のほまれを得たいとおもった。・・・西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。日本のこの己れの過去をかなぐり捨てたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡が賭けられていた。

明治維新を成し遂げたひとつには、この「恐怖」があるというのです。

この当時の日本は、個人の立身出世ということが、この新興国家の目的に合致していたという時代であり、青年はすべからく大臣や大将、博士にならねばならず、そういう「大志」にむかって勉強することが疑いもない正義とされていた。

 明治という時代は、個人の志と国家の要請が一致する幸せな時代です。秋山好古は陸軍、真之は海軍とそれぞれ国家有用の人間ですが、正岡子規は陸羯南の『日本』と自ら主宰する『ホトトギス』に拠り俳句・短歌の革新運動をとなえる国家有用とは少し異なった市井の一私人。秋山好古、真之兄弟を主人公として登場させれば必然的に正岡子規が出てくるわけですが、この性格の違った二つが国家有用の人間であったことも明治の面白さだといえます。

日清戦争
 原因は朝鮮半島、その地理的、地政学的存在です。ロシア帝国はすでにシベリアを領有し、沿海州、満州をその制圧下におこうとし、余勢を駆って朝鮮にまで手を伸ばそうとします。

「朝鮮の自主性をみとめ、これを完全独立国にせよ」
というのが、日本の清国そのほか関係諸国に対する言い分であり、これを多年、ひとつ念仏のようにいいつづけてきた。日本は朝鮮半島が他の大国の属領になってしまうことをおそれた。そうなれば、玄界灘をへだてるだけで日本は他の帝国主義勢力と隣接せざるをえなくなる。

 この恐怖感のもとで韓国に甲午農民戦争が起こり、李朝は清に派兵を要請。清の大群が半島に存在するという恐怖で、日本も「天津条約」によって半島に出兵します。韓国政府が清に派兵を依頼した翌日には日本政府は派兵を閣議決定し、陸軍参謀本部が動きます。著者によると、政府(伊藤博文)は清国との対抗上出兵はするが戦争は考えていなかったようです。陸軍は明治17年から参謀将校を清国、満州、朝鮮に放って戦争に備えていたようです。
 参謀次長・川上操六が登場します。首相・伊藤博文に朝鮮出兵の勢力を問われ、川上は1個旅団と答えます。多すぎるという伊藤に、川上は「統帥権」盾に一個旅団、戦時のおいては8,000の兵を朝鮮に入れます。

 首相の伊藤博文も陸軍大臣の大山巌もあれほど恐れ、その勃発を防ごうとしてきた日清戦争を、参謀本部の川上操六が火をつけ、しかも手際よく勝ってしまったところに明治憲法の不思議さがある。ちなみにこの憲法が続いたかぎり日本はこれ以後も右のようで在り続けた。特に昭和に入り、この参謀本部独走によって明治憲法国家が滅んだことを思えば、この憲法上の「統帥権」という毒物の恐るべき薬効と毒性がわかるであろう。

 「統帥権」を蛇蝎の如く嫌う司馬遼太郎ならではの表現です。日清戦争で、海軍少尉・秋山真之は黄海海戦では巡洋艦筑紫に乗り組んで後方支援にまわり、陸軍騎兵少佐・秋山好古の騎兵第一大隊は遼東半島に上陸し旅順攻略に参戦しています。子規は病のため従軍記者として戦場に行くこともままならず、

進め進め角(つの)一声月上りけり

などと下手な俳句を詠んで、根岸の子規庵で鬱勃たる日々。
 著者によると、19世紀は帝国主義の時代であり、国家というものはその生理として膨張を欲する」時代だといいます。ヨーロッパの近代国家はその膨張の野望を東アジアに向け、安全保障上列強の朝鮮侵略を何より恐れる日本は、韓国が自らの力で独立を保てない以上、日本は何が何でもその独立を保つ必要があったわけです。

続きます

タグ:読書
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