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司馬遼太郎 坂の上の雲 ③--日露戦争(1) (1969、2004文藝春秋) [日記 (2020)]

坂の上の雲 四 新装版 坂の上の雲 三 新装版続きです
日露戦争
 開戦に踏みきった日本の戦略を作者はこう書きます、

ロシアという大男の初動動作の鈍重さを利用して、立ち上がりとともに二つ三つ殴りつけて勝利のかたちだけ見せ、大男が本格的な反応を示し始める前に、アメリカというレフリーに頼み、間に割って入ってもらって止戦持ち込むというものであった。緒戦ですばやく手を出して殴りつければ国際的印象が日本の勝利のように見え、戦費調達のための外債もうまくゆく。アメリカも調停する気になる。この点をひとつでも踏み外せば、日本は敗亡するという際どさである。

 その戦術は、第一軍を朝鮮に上陸させて鴨緑江付近でロシア軍を叩き、第二軍を南満州に上陸させて遼陽でこれを撃滅し、陸軍を輸送するために海軍は旅順のロシア艦隊を沈めて制海権を握る、というものです。

 なにはともあれ、緒戦において勝って世界を驚倒させねば、外債募集がどうにもならぬ

 日本の国庫にはわずか1億1700万円、これの7~8倍の金額を外債で賄わなければ戦争は覚束ないという心細さ。
 金子健太郎をアメリカに派遣し、ハーバード大学の同窓である時の大統領セオドア・ルーズベルトと接触させ、高橋是清を英米に派遣し、外債の募集を行わせます。誰も日本が大国ロシアに勝利するとは思っていませんから、緒戦でロシアを叩き形だけでも日本の優勢を印象付け調停に持ち込まなければ、財政的にも行き詰まる日本の”際どさ”です。日露戦争というのはそれほどの「綱渡り」であったわけです。逆にいうと、綱渡りをしてでもロシアの脅威を除くことが安全保障上必要だったことになります。この「綱渡り」の戦いがどうだったかというと、

ロシア帝国の常備兵力は、二百万である。日本帝国のそれは二十万(13個師団)でしかない。ロシアの歳入は二十億円であり、日本のそれはただの二億五千万円でしかない。ゆらい陸軍というのは機械力を中心とした海軍とは違い、その国の経済力や文明度などをふくめた風土性を露骨にその体質をあらわしている。南山の戦いは貧乏で世界常識に欠けた国の陸軍が、銃剣突撃の思想で攻めようとし、日本より十倍富強なロシアは、それを機械力で防ごうとした関係において展開する
 南山の戦いでは死傷者4000名を出し、遼陽会戦ではロシア23万に対し日本は14万の兵力に過ぎず、おまけに砲弾が欠乏しているという戦いです。

旅順
(日本軍首脳は)近代戦における物量の消耗ということについての想像力がまったく欠けていた。この想像力の欠如は、この時代だけでなく彼らが太平洋戦争の終了によって消滅するまでの間、日本陸軍の体質的欠陥というべきものであった。
 日本陸軍の伝統的迷信は、戦いは作戦と将士の勇敢さによって勝つということであった。このため参謀将校たちは開戦前から作戦計画に熱中した。「詰将棋」を考えるようにして熱中し・・・戦争と将棋とは似たようなものだと考える弊風があり、これは日本陸軍の続く限りの遺伝になった。・・・「詰将棋」が予定どうりにうまく詰まないときは、第一線の実施部隊が臆病であり死を恐れるからだとして叱咤した。とめどもなく流血を強いた。

 この「とめどもなく流血を強いた」戦闘が「旅順攻囲戦」です。ロシア陣地に正面から突貫を繰り返し、いたずらに戦死者15000人、戦傷者44000名の犠牲をはらいます。作者は、司令官・乃木と参謀・伊地知幸介を口を極めて「無能」と罵ります。満州の戦車隊で太平洋戦争を戦った作者は、他人事ではなかったようです。

 庶民が「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家になったということが庶民の生活にじかに突き刺さってきたのは、徴兵ということであった。

 それ以前は兵士は武士という職業的兵士であり、原則として庶民が戦争に駆り出されることはありません。明治国家は国民を徴兵して戦場に送り、そこから逃れる自由を認めず、兵士は無能な指揮官の無謀な命令にも服従する他はなかったわけです。

 国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前はない。
 が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛ではなく、時にはその重圧が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものに初めて参加し得た集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。二〇三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。

 「坂の上」に「雲」という近代国家を打ち立てた明治の一側面です。

タグ:読書
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