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スパイ・ゾルゲを読む ゾルゲ年譜 (日本上陸まで) [日記(2009)]

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リヒャルト・ゾルゲ Richard Sorge

独逸フランクフルター・ツァイツング特派員
独逸政治学博士
ソ連共産党中央委員会機密部員

◆ゾルゲ 年譜
1895年10月4日 バクーにて生まれる
1914年 第1次世界大戦に出征負傷
1915年 除隊 同年10月高等学校卒業資格取得
1916年 ベルリン大学経済学部入学 在学中出征。
 同年冬負傷して1ヶ月の入院後戦線に復帰。
 同年末負傷し6~7ヶ月入院・・・この頃医師及び看護婦の影響でマルクス主義の洗礼
19181月 ベルリン大学に復学・・・マルクス主義の文献渉猟、共産主義者となる
 同年4月 ハンブルグ市に於いてドイツ共産党に入党、党活動に従事
1919年3月 コミンテルンの創立と供にドイツ共産党はコミンテルン支部ドイツ共産党に発展的解消
 ハンブルグ市第一地区委員会所属
1920年 ベルリン大学卒業。11月ハンブルグ大学にて政治学博士の学位を取得
1921年 ハンブルグ市戦時統制組合に勤務
1922年 アーヘン市カール工業専門学校助手となる
1923年 オランダ国境付近の石炭鉱山にてオルグ活動
1924年1月 フランクフルト大学経済学研究室助手兼講師となる
 9月ドイツ共産党大会開催(非合法)に出席
 コミンテルン派遣のピヤトニッキー、マヌイルスキー、クーシネン、ロゾフスキーの接待員。ピヤトニッキーよりコミンテルン入りを勧誘される。
 12月ドイツ共産党中央書記局を代表してコミンテルンに派遣される
19251月 モスクワ着、コミンテルン情報局書記局員となる。同月ピヤトニッキー、マヌイルスキー、クーシネンの推薦にてソ連共産党入党申請。3月ソ連共産党入党、モスクワ地区コミンテルン細胞に所属
1926年春 コミンテルン情報局次長
1927年2月 コミンテルン情報局を代表してスカンジナビア(デンマーク、スェーデン、ノルウェー)を訪問
1928年7月 コミンテルン第6回大会にコミンテルン・スカンジナビア委員として出席。ブハーリンの秘書としてトロツキー、ジノヴィェフ、カーメネフの放逐活動、コミンテルン綱領起草に参加。
 9月スカンジナヴィア訪問
1929年春 イギリスに派遣。6月 ソ連共産党中央委員会機密部員として中国派遣を命ぜられる。9月、偽装工作のためベルリンにてゾチオロギッシュ・マガジン社特派員となる
1930年1月 上海上陸、諜報機関を組織 5月スメドレーの紹介で尾崎秀実を知る
19313月 上海にてクラウゼン合流
19331月 モスクワ帰還、2月既にブーケリッチ横浜上陸、4月日本派遣決定、コミンテルン、ソ連共産党、外務人民委員、赤軍、KGB各首脳と打ち合わせ。
 5月ベルリンに行き、ドイツ・フランクフルター・ツァイシンツ紙、オランダ・ハンデルスブラット紙日本特派員となり、ナチス入党を申請、7月パリ着、8月NYへ向け出航
 9月 横浜上陸

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 同年11月 宮城与得と接触
1934年5月 奈良にて尾崎と再会、11月クラウゼン合流、ナチス党員となる
1935年7月 報告のためモスクワに帰還、9月再来日
1941年10月 検挙

参照 現代史資料1 ゾルゲ事件(1) みすず書房

編集中



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